2021年8月18日 水曜日
天気:1日中雨。猫散歩休止。
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晩飯:黒ラベル、豆カレー(無印)+白米(冷や飯)、トマト+オリーブオイル、食パン+牛酪、アイスクリン、他。
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△『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)視聴。prime video/
死んだ嫁さんに「会いたい」一心で、世界を「虚構=フィクション」に「置き換え」ようとした父親を、最後の最後にその息子が「成仏」させて(=「銀河鉄道」から降りてもらって)、なおかつ、親父が全人類にしたことを(一応)「なかったこと」にするまでのお話。(テレビ版は見てないので知らないけど、同じなのか?)
映像表現は(好き嫌いは別にして)丁寧だし凝ってるので面白がれたが、人間の物語の方は相変わらずの「中学生日記」や「金八先生」レベルで、「コドモ」なら真顔で見れるかもしれないけど、「オトナ」は忍耐の無表情(よくて愛想笑い)が続く2時間半になる。まあ、「オトナ」でも、デッチアゲの「庵野神学」に惑わされてしまうような連中は、「なにか凄いこと」が語られている(描かれている)と錯覚して、のめり込んだりするのかもしれない。
どうなんだろう。『Twin Peaks : the Return』に通じる[世界の別バージョンへの移行]という結末という見方もできるし、あるいは、『Inland Empire』に通じる、「フィクション(映画やアニメ)の中の登場人物たちを救う(成仏させる/解放する)」お話と捉えることもできる。だから、モチーフに馴染みがないわけでもないし、さして難解というわけでもない。
「忍耐の無表情」の原因は「道中」にある。
どうしても、セリフが陳腐で凡庸。その上、いちいち説明的。戦闘場面などで「軍人/兵隊」たちが「専門用語的なもの」を連呼/連発している間は、いかにもそれっぽい雰囲気でごまかせているが、本当に大事な[キャラクターたちの心情や本音]が語られる場面になると、途端に[作品を支えている思想の浅さ/小ささ]と[言葉遣いに対する鈍感さ/幼稚さ]のボロが出て、一気にシラけてしまう。
宮崎駿のアニメの特徴は「映像表現の力量は抜群だが、物語はタワイナイものばかり」ということだが、庵野秀明のアニメもそれと同じに思える。天は二物を与えず。『エヴァンゲリオン』の4作の新劇場版を観て思ったのは、所謂『エヴァ』が、世間の「勘違い」で、うっかり人気が出たせいで、ご当人は要らぬ苦労してきたんだろうなあ、ということ。見ればわかる通り、庵野秀明って「映像と設定」の人であって、とうてい、「深い」物語や「大きい」物語が作れる人じゃないもの。こと物語に関しては、「借り物」感、あるいは「宿題の読書感想文」感が半端ない。
なんにせよ、全体としては、「綺麗に盛り付けられた野菜サラダ」という印象の作品。見た目が綺麗で、不味くはいけど、食べ応えはなくて、だから、平らげたとしても満足感は得られない。
ともかく、これで、庵野秀明は、一つの呪い(祟り)から解放されたんじゃないかな。
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『コロンボ』第1話「殺人処方箋」視聴。
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