2021年8月15日 日曜日
天気:晴れ。涼しい。04:20頃と14:45頃猫散歩
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晩飯:ロゴダジ(赤)、タマゴサンド(手作り)、コロッケ(ベンリー)、ラタトゥユ(ベンリー)、チョコクリームパン、冷コー、他。
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△『JOKER』(2019)吹き替え版/prime video/2021年8月15日/ホアキン・フェニックス主演。凡人を安心させるために、凡人が作った、凡人を描いた映画。いかにも、凡人が思いつきそうな「真実のジョーカー像」が2時間かけて描かれる。つまり、本当はごく普通の人だったのが、いろいろな理由や生い立ちや環境の影響で、とんでもない「怪人」になるという発想(と、安心)。
いかにも凡庸。こういう凡庸なクリエイターは、奇人や変人や怪人の「ホンモノ」に出会ったことがないのだろうし、自分の中にそういう「ホンモノ」を持っていないのだろう。「ホンモノ」が「ホンモノ」である理由や原因は、ハタの人間が納得できたり、理解できたり、安心できたりするものではない。そういう「ホンモノ」に対して精神科医が下す「診断名」なんか、霊能者のいう「この世に未練を残して死んでいった霊の怨念です」と同じくらい「空っぽ」で「的外れ」。
だから、或る男に、この映画のようなことが起きても、バットマンの好敵手としての「あのジョーカー」には絶対にならない。この作品のジョーカーは、顔を白く塗っただけの、現実に世の中にたまに出て来る、プッツンしちゃったただの自暴自棄(京アニの放火犯とかね)。
この「凡人」発想の「バットマン:キャラ設定」は、この作品が初めてではない。そう、クリストファー・ノーランの「ダーク・ナイト」三部作のブルース・ウェイン(バットマン)がまさに[「凡人」発想の「真実のバットマン」像]。
まあ、この映画(『JOKER』)の製作者が言いたいことは、「ジョーカー」になってしまう人間は我々の社会に普通に複数存在する。我々は、そういう人間を「ジョーカー」として「覚醒」させないために、社会を運営していかなくてはならない、みたいなことだろう。安心したいんだよね。
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「岡田斗司夫ゼミ」視聴。「もののけ姫」解説。ジコ坊は、「峰不二子」であり「銭形警部」という話。他。
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「山田五郎の大人の教養講座」視聴。ルノワールの回と、モローの『出現』の回。