2022年4月1日金曜日

殺人鬼の信仰

殺人鬼というのは、おしなべて、ゴリゴリの生命教信者だよ。所謂、快楽殺人というのも、熱狂的な生命教信者がやること。


生命教信者の最大の特徴は、本来[物理現象=化学反応]の一形態にすぎない生命(=生命現象)に、この宇宙で最大の価値や意味や意義を見出しているということ。殺人鬼が、生命現象に積極的に関与して、それを歪めたり、消滅させたりする(要するに殺人を犯す)ことに多大な労力を払い、その結果として、何ものにも代え難い「精神的報酬」を得るのも、連中が、生命現象を殊更に特別なもの信じ込んでいるからに他ならない。

だから、殺人鬼は生命教信者だという。


例えば、液体の水にこの宇宙で最大の意味や価値や意義を見出している「水教」の信者は、鍋の湯が沸騰して蒸発していく様に「ただならぬもの(大概の水教信者にとっては恐怖)」を感じるだろう。しかし、「殺水鬼」は、その「ただならぬもの」に惹かれ憑かれて、折を見ては、こっそり、水を沸騰させたり、蒸発させたりして、ヨロコビに浸る。


生命に価値はない。それは事実で、だからこそ、積極的に「生命を尊ぶ」というフィクションを全員で実践しなければ、人間は、自らの知性現象の基盤である生命現象の安定性を、自ら脅かすことになる。しかし、それはあくまでも方便だということを忘れてはいけない。「生命には本当に価値や意味や意義がある」と思い込んだ瞬間から、その人間の心のどこかに殺人鬼の癌腫が生まれる。

(『人間の終わり』より抜粋)