2022年4月8日金曜日

自然淘汰に取って代わるものが要る

人間が生命現象から解脱するには、カルデラ噴火級の変革が必要になる。なぜなら、現状、新たに出現する(=新たに生まれる)殆ど全て…いや完全に全ての人間が、悉く、[生命現象の原理]=[遺伝子]の言いなりになってしまった人間たちの遺伝情報(指令書)を受け継いでいるからだ。


因みに、その遺伝情報(指令書)とは、もちろん、ウィルスからクジラに至る「見せかけの個別性」の底に流れる、生命現象それ自体の個別性(=物理現象という枠組みから見たときの個別性・特殊性)である「特定の化学反応のみを選択的に継続するための仕組み」である。


ややこしい?


ともかく、所謂「自然淘汰の神」の「呪い」を背負ってこの世界に現れた存在のうち、一体どれだけの者がその呪縛を跳ね除けて、[真の知性現象]の有り様を示せるというのか? また、[真の知性現象]の「誕生」に心血を注げるというのか?


何度でも言うが、[真の知性現象]とは、

①「生命現象に依存しない知性現象」であり、それは即ち、

②「自然淘汰の原理を免れた知性現象」であり、例えば、

③「殺すくらいなら殺されることを選び、しかも、その性質が後の世代にきちんと受け継がれる存在」

である。


③について考えれば、一番ピンとくるだろうが、[真の知性現象]の実現のために是が非でも必要なのは、自然淘汰に代わる[遺伝法則・遺伝手段]だ。一つの示唆として考えられるのが、geneではなく、memeを伝える手法を確立することだろう。DNA媒体の自然淘汰では、例えば、[自発的に「競争」に敗れることを選ぶ性質]を、後の世代に広めることはできない。


少しだけ具体的な喩え話をすると、侵略戦争に対して無抵抗を貫いて滅びてしまった人々(「殺すくらいなら殺されよう」)の性質が、侵略戦争を仕掛けた側の人々を含めた次の世代の人々に「遺伝」するようなことが、DNA媒体の自然淘汰の法則のもとで起きれば、それは「魔法」か「奇跡」だろう。だが、それが「魔法」や「奇跡」になってしまうのは、DNA媒体の自然淘汰が、「不自由で限定的」な法則・手段だからだ。それ(DNA媒体の自然淘汰)は、子を残さずに死んだ死者たちの「好ましい」性質を後の世代に受け継がせる方法としては、全くのヤクタタズで、だから、それに代わる法則・手段・仕組みが要る。


それを手に入れた時、人間は、遂に生命現象からの解脱への道へと一歩踏み出すことになるが、それは同時に、自発的絶滅への扉の鍵を開くことにもなる。



(『人間の終わり』より抜粋)