2022年4月29日金曜日

生き物の尊さ

誰もが勘違いしているが、「生き物は尊いもの」という認識は、生き物自身にはない。「生き物は尊い」という認識は、生き物すなわち生命現象を媒体とすることで初めて存在できる[人間型の知性現象]の段階になって初めて現れるものだ。ミジンコもクジラも、自分自身の「血縁」は尊いと「思っている」かもしれないが、生命全般をまるごと尊いとは、微塵も「思って」いない。ミジンコもクジラも、そして人間も、「血縁」は皆、自動的に「生き物」だ。だから、人間はついウッカリ、「生き物は尊い」が、生き物全般の認識のように勘違いしてしまう。しかし、生き物全般の生き物に対する認識は、良くて「エサ」、悪くて「脅威」、そして殆どは、ただの「環境」でしかない。つまり、風や水や地面と同じ。

(『人間の終わり』より抜粋)