2022年4月5日火曜日

雑なアタマ

ウィル・スミスの「ビンタ事件」で気付かされたのは、ビンタ(平手打ち)と人殺しを一緒くたにする雑なアタマの持ち主が、割と多いということ。ウブな「若者」ならトモカク、結構な年寄りにも、そういう「経験の足りてない」のが居て、ガッカリし、ゲンナリする。

カマトトぶっているのかな? いや、やっぱりアタマが雑なんだろう。

「現場」を知らず(あるいは、忘れて?)、観念だけでモノを考えるから、ビンタと人殺しが、「暴力」と呼ばれる「同じモノ」に見えてしまう、思えてしまう。

デート中に彼女から平手打ちをくらった男が、それを理由に、殺人事件の遺族会に当事者面で出席したら、遺族たちは涙を流して怒るゾ。

もうひとつ。親しい者が侮辱される体験がどういうものか、ヒトによってショックやダメージがどれほど違ってしまうのかを、分かっていない者も多い。

しかし、この手の「雑なアタマ(いや、ココロか?)の持ち主」たちでも、コト、宗教的な侮辱に対しては、敏感だったりするからオモシロイ。それは、宗教に対する侮辱への報復がいきなり「暗殺使令」や「死刑判決」だったりするからだけど、ここで重要となる認識は、「侮辱」の「深刻度」を決定するのは、いつでも「侮辱された側」の人間だということ。

「痛み」と同じだよ。周りがどれだけ「否定しても・疑っても・気のせいだと言っても」、当人にとっては正真正銘の現実。