2022年6月22日水曜日

『鎌倉殿』はちょっと無理

『鎌倉殿の13人』は木曾義仲が京都に行く直前で見るのをやめた。別に木曾義仲のせいではない。三谷幸喜の書くドラマも、現代劇はスキな方。そうではなく、人殺し一家のホームコメディは無理だと思ったから。

他人でも身内でも、とにかく、なにかにつけて殺してしまう。で、殺した当初はそれなりに深刻な顔をしているけれど、少し経ったらとケロッとして、またホームコメディをやる。こんな人達(キャラクター達)にはとても共感できないと思って見るのをやめた。

いや、そもそも、「大河ドラマ」は殆ど場合、問題解決の選択肢に「人殺し」が入っている〔戦国武将や軍人〕が、主人公や〔主人公の身内〕なのだから、今回の『鎌倉殿』も、その点では同じだろうと思うかもしれないが、全然違う。「ふつう」の大河ドラマの「人殺し」主人公たちには「覚悟」がある。その「覚悟」は、要するに「虚構性」で、「現代人とは価値観も世界観も違いますよ。現代人のあなたには理解できないでしょうけどね」アピール(もしくはexcuse)でもある。

ところが、『鎌倉殿』に出てくるのは、〔自分本位の「正当な」理由、つまり大義〕があれば、他人でも身内でも当たり前に殺して澄ましている「現代人」たち。嘗て、三谷幸喜自身が、『鎌倉殿』は「サザエとカツオが共謀して波平を追い出す話」と説明したが、まさにそのとおりの現代人の空気。ただし、マスオさんの指示のもと、人を殺しまくるサザエさん一家の話なのだ。

だから、ちょっと無理。代わりに、ディアゴスティーニの『古畑任三郎』を毎号買って見てる。今、山城新伍。