記事を読んでいると、「グーグル断ち」(あるいは「ネット断ち」)は、最初、「ひとりタイムスリップ(過去へ)」のように思えて、楽しげだった。が、よくよく考えてみると、違った。楽しげなのは違っていない。「ひとりタイムスリップ」が、違っていた。
たとえば、江戸時代にタイムスリップをした現代人が体験する〔苦労・不便・イライラ〕は、現代の便利な道具や仕組みが、江戸時代では使えないという点で「グーグル断ち」と同じだが、自分以外の誰も、その「便利な道具や仕組み」を知らないし、使ってもいないという点で「グーグル断ち」とは違う。
ダカラ、むしろ、「グーグル断ち」は、突然、視力や聴力を失ってしまったのに似ている。あるいは、突然、車椅子生活をする事になったとか。
昨日まで当たり前に使っていた能力を失うことで陥る「パラレルワールド」体験。昨日までの世界とものすごく似ているのに、何かが決定的に違う世界に迷い込んでしまった、SF短編的(ウルトラQ的)体験は、考えようによっては、ちょっと甘美。