2022年6月8日水曜日

「思春期を拗らせた若い男」問題

銃乱射事件に直結する 「怒りを抱えた若いアメリカ人男性」問題にも目を向けよ(COURRIER)

「怒りを抱えた若い男」は、アメリカに限らず世界中どこにでもいる。「怒りを抱えた若い男」は、アメリカ社会が生み出しているのではなく、繁殖本能を持つ生物である人間の有り様それ自体が作り出すものだから。身も蓋もなく言ってしまえば、「怒りを抱えた若い男」とは、「サカリ=発情期=思春期を拗らせた若い男」にすぎない。その程度のものだから、人間が繁殖を諦めない限り、そんな「若い男」は毎年現れ続ける。世界中で。


にもかかわらず、アメリカ以外(の先進国)では、アメリカのような銃乱射事件がめったに起きないのは、単に、身近に銃がないからだ。身近に銃がなければ、「怒りを抱えた若い男=思春期を拗らせた若い男」は、学校の窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走ったり、歩行者天国で包丁を振り回したりするかもしれないが、銃は乱射しない。


「思春期の制御」は人類の難問で、未だに、決定的な解決法・対策はない。とにかく、それぞれの親・教師・当人が、おっかなびっくりの綱渡り式に、正解もわからないまま、どうにかやりすごしてきたのが、人類のこれまでの歴史(でなければ、封建制や軍国主義でギューギューに締め付けて、犬を躾けるみたいにして通り抜ける)。そして、多分、これからもそう。


思春期の人間というのは「天然の薬物中毒患者」のようなものだから、危なくてしょうがないのは当たり前。去勢でもしない限り、人間は誰もが、この「天然の薬物中毒患者」になる。そして、この「天然の薬物中毒患者」は、何がきっかけで、どう暴走するかは、分かったもんじゃない。


それに比べれば、銃を社会から一掃することは、言ってしまえば、単なる機械的作業。社会の構成員の合意を(強引にでも)取り付けて、あとは、物を集めて処分するだけのこと。世界の殆どの国が実現しているこんな「易しい」ことができないくせに、全人類が未だ嘗て一度も成し遂げていない「思春期の暴走の完全制御」に手を出すなんて、愚かというより欺瞞。欺瞞というより怠慢。


核戦争、自動車事故、銃乱射事件。構造は全部同じ。「キチガイに刃物を持たすな」はそのとおりだが、そもそもキチガイを見分けるのは至難の業なので、最初から誰にも刃物を持たせないのが一番なのだ。