2022年6月3日金曜日

銃を本に喩えたら

いろいろ言い訳しても、結局のところ、銃はまず第一に「殺すための道具」だからね。本に喩えるなら「詳細で具体的な殺人手引書」のようなものだよ。もしそんな本が街中でフツウに売られていたら、アメリカ人だってギョッとするだろう。で、実際にそんな本を買っていく人間を見かけたら、大抵のアメリカ人が警察に通報するに決まっている。しかし、モノが銃になったら、途端に、半分のアメリカ人が「平気」になるんだよね。


「詳細で具体的な殺人手引書」を買ったり所持していたりする人間のことは「潜在的な殺人者」の可能性があると正しく警戒できるけど、銃を買ったり所持していたりする人間は「普通の人」だと思いがちなところに、アメリカ人(アメリカ社会)の病理がある。〔銃に対するアメリカ人の認識〕の異様さや時代錯誤感は、もはや「ハラキリ」や「カミカゼ」レベルで、ああ、結局人間って、知性体としては「つなぎ」に過ぎないなあ、と思ってしまう。


銃で身を守れるのは、撃たれる前に撃つ者だけだってことに、なかなか気付けないから、自分は絶対人殺しはしないと思いながら、しかし護身のために銃を持ちたがるマヌケも後をたたない。そもそも、相手に撃たれる前に撃つとか、丸腰の相手を撃つとか、それは要するに、銃乱射事件の犯人たちがやっていること。


強盗や強姦魔を追い払うための「威嚇」道具としての銃の必要性を主張したりもするけど、そもそも「誰でも」銃が持てるんだから、当の強盗や強姦魔も、やっぱり銃を構えて襲ってくるわけで、そうなると、あっという間にどちらかが死ぬかもしれない「取り返しのつかない状況」に陥る。なにより、銃を持っていなければ、安心して生活できない社会ってどうなのよ? まず必死で改めるべきはそこでしょう?


真偽は定かでない「猿にマスターベーションを教えたら死ぬまでやってる」説ってのが昔からあるけど、野良猫がもしも銃を使えたら、発情期の度に、オス猫や場合のよったらメス猫の死体(射殺体)がそこら中に転がることになるだろうね。野良猫がともかくも「平和的」に発情期を乗り越えられるのは、彼らの武器が牙と爪という相対的に穏便なものだからだ。人間に銃を渡すのも、野良猫に銃を渡すのと大差ない。