退院が近い患者たち数人を洗面所横の談話室に集めて、看護婦長が退院後の生活指導をする。テーブルには小さくて上品な緑色の和菓子と蓋付の湯呑みが、どうやら人数分置かれている。初対面の患者同士でなんとなく顔を見合わせていると、看護婦長が「院長からみなさんに」と微笑んだ。席について、菓子をつまみ、濃いめの緑茶を飲みながら、生活習慣の「改善」などについて20分ほどの講義を受けた。
最後に看護婦長が何か質問はありますか訊いた。患者の一人(初老のハゲオヤジ)が手を挙げて、看護婦長の勧めるような生活習慣は自分にはやれそうもないと云った。看護婦長は、そうするとまたすぐにここに戻ってくることになりますねと答えた。別の患者(痩せた中年女)が手を挙げて、うまくやるための何か具体的なコツはあるかと訊いた。看護婦長は、それはみなさんが自分の意識を変えることだと云った。
「みなさんの問題の本質は、みなさんが、身体というものを理解してないことにあります。みなさんはチューリング・テストというものをご存知でしょう。人間が見分けることができないレベルに到達した時点で、機械製の意識は、生身の人間の意識と同じだというアレです。ところで、機械製の意識が人間のものと区別がつかないレベルになるのに必要な条件は何でしょう? それは人間の身体です。そもそも意識は生命現象の副産物ですし、生命現象とは端的に云って身体のことです。人間に限らず、全ての生命現象に意識に類するものが付随していると考えたとして、それぞれの生命現象の意識には必ずそれぞれの生命現象の身体が反映されることになります。なぜなら、意識とは身体の結果だからです」
患者全員が揃って湯呑みを持ち上げ、空なのを思い出し、またテーブルに戻した。看護婦長は続ける。
「機械製の意識が現実の物理的な身体を持つ必要はありません。人間の身体体験のシミュレーションに拠って意識を枠付けをすればいいのですからね。みなさんがここに来ることになった一番の理由は、みなさんには現実の物理的な身体があるにも関わらず、みなさんの意識がその枠からはみ出して、勝手なことをしてきたからです。みなさんの、身体を手放した意識が、みなさん自身の身体を長年にわたって破壊し続けた結果が今のみなさんです。みなさんは、本来は誰もが自然に備えている身体の枠を意識に拠るシミュレーションで再構築しなければならないということです」