送別会の帰りにタクシーを拾い損ねて、雪の中を歩いて帰った。真夜中近くにアパートに着くと、ドアの外に魔女がいた。魔女は魔女だとは名乗らなかったが、立てかけてあった古い棕櫚箒の毛を一本一本熱心に数えていたので、そうと分かった。魔女は数えながら「サーレもダメなのよ」と云った。「つい朝まで粒の数を数えてしまって」。サーレって何だっけ、ああ、イタリア語の塩か、と、そこで目が覚めたら、寂しい路地の突き当たりの自販機の前で半分雪に埋もれて死にかけていた。小さい女が顔を覗き込んで「生きてる?」と訊いた。小さい女は自販機で熱いおしるこを買うと、飲むように云った。飲むと少し元気が出たので、そこで初めて礼を云った。おしるこの礼ではなく、凍死から救ってくれた礼だ。小さい女は、礼には及ばないと云い、それから、路地の外に車を待たせてあるからついて来いと云った。ついて行ったら、車ではなくサイドカーだった。フルフェイスと革のつなぎで完全装備した痩せたバイカーがバイクに跨っていた。バイカーはマッチ箱のマッチをつまんでバイザーの隙間に入れていた。マッチが入るたびにヘルメットの中がぼうっと光った。ライダーは幽霊で、幽霊だからマッチの燐が好物なのだ、と小さい女が説明したので、そんなバカなと笑おうとしたら、凍死しかかったせいか、うまく笑えなくなっていて、代わりに変な短い音が出た。小さい女に促されてサイドカーのカーの部分に乗りこんだ。小さい女は幽霊ライダーの後ろに跨りゴーグルをかけた。自分はコートのフードを頭にかぶった。幽霊ライダーは空になったマッチ箱を潰して捨てた。サイドカーが走り出した。てっきり家に送ってくれるものと思っていたら、着いたのは夜間診療の看板が出た民家の前だった。小さい女が「自分で思っている以上にギリギリで、このまま何もしないで家で寝たら、きっとそのまま二度と目が覚めないわよ」と脅かすので、しぶしぶ「受付」の小さい窓を覗いた。すぐに診察室に連れて行かれた。そこで待っていたのは魔女だった。魔女は魔女とは名乗らなかったが、ピンセットと顕微鏡で塩の粒を熱心に数えていたので、そうと分かった。魔女は数えながら「右手はこの中です」と、床の保冷ボックスを持ち上げて見せた。
右手ならある。ほら、握ったり開いたり。
「それはただのオバケです」
幽霊なら今乗せてもらって来たばかりだ。
「あれはゴースト。それはファントム」