2018年5月28日月曜日

4-8:演奏会/独立栄養生物と従属栄養生物


入院患者のために毎週水曜日に一階ロビーで音楽会が開かれる。演奏家の若い女が二人でやってきて、一人が持参したピッコロやオカリナを吹き、もう一人がロビーに備え付けのグランドピアノを弾く。聴衆は全員入院患者で、入院している以上は全員体調は万全ではないのだから、あたりまえだが、ノリはよくない。ノリはよくはないが、命に関わる病気でもないし、殆どが一ヶ月もせずに退院していく連中なので、本格的な絶望感もない。単に、やや不機嫌で元気がないというだけだ。しかしこのやや不機嫌で元気がないというのが、こういう場合わりあいに影響が大きくて、これなら、数ヶ月/数年にわたって制限の多い監視生活を強いられてはいるが、体調は返って一般より良好なくらいの刑務所の中の連中の方が、聴衆としてはずっとアリガタイし、やりやすいはずだ。

明るいネイロの演奏が終わるたびにガンバッテ拍手をしながら、そんなことを考えていると、どこからか大きめのガガンボが飛んできて前の席の人の髪の上に止まった。ガガンボには目の細い若い女の顔が付いている。ガガンボが云った。

「何より、演者と聴衆がお互いに気を遣い合っている空気がイタタマレないのよね。演奏する方は、あなたたちの体調に気を使った選曲と演奏をしてますよって。聴いてる方は、楽しませてもらってますよ、感謝してますよって。そうやって両方が遠慮しまくってる感じが、もう、どうしようもなく不健康。病院で不健康はダメでしょ」

ガガンボは、何の重さも与えず、足音も立てず、前の人の頭の上を歩き回る。

「不健康で思い出したけど、不健康の本質はなんだか分かる? それはね、有機物資源の略奪のことなのよ。有機生物が自分の有機物を、自分の存続以外に強制的に消費されるときに不健康という状況が生じる。だから、無機物から栄養を作り出す独立栄養体(独立栄養生物)に不健康を生じさせるものは殆どいない。不健康を生じさせるのは、大体が、他の生き物の作り出した有機物を横取りすることで生きている従属栄養体(従属栄養生物)なのよ。分かるかしら? 今、生き物はもれなく有機物なのだから、有機物(燃料としてか、体の構造そのものとしてか)を横取りされることで不健康になる。もちろん自分の有機物を生物学的に略奪されるだけでなく、物理学的/化学的に直接破壊されてもやっぱり不健康は生じるわけだから、原理的には無機物も不健康の原因にはなるけどね」