「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年5月13日日曜日
4-1:手術と重力
入院初日に看護婦から「説明」を受けた。動物の中で人間にだけ発症する「安寧に生きていく上での障害」を除去する手術だが、当該の障害と同様に、この手術もフツウは命に関わるものではないと看護婦は云った。
命に関わるって、例えば出血多量とか?
「麻酔ですね」と看護婦。
麻酔が?
「体質によっては、効きすぎてショック症状を起こしたりすることがあるので」
悪くすると死ぬ?
「そんなことがないように万全を期してます」
でも死ぬ時は死ぬ?
「死ぬ時はただ寝ていても死にますよ」
二人でハハハと笑う。同意書(承諾書)に署名した。
手術は個室ラーメン方式。朝の九時に患者五、六人がいっぺんに手術室に歩いてやってくる。到着した患者たちは、看護婦の誘導で、カーテンで仕切られた手術台に一人ずつ乗せられる。患者同士はその時点でお互いの姿が見えなくなる。その後、看護婦たちが受け持ちの患者に麻酔注射(局部麻酔)を打つ。麻酔が効くまで半時間ほど無為に待つ。手術は副院長がたった一人で行う。談笑を交えながら、端から順に全員の患部を切ったり縫ったりするのだ。独特な体勢で手術台の上にいる患者は、手術の様子も医者の姿もイッサイ目にすることはない。
順番が来た。副院長のよろしくの挨拶が背後から聞こえたので、こちらも挨拶を返した。すると副院長が看護婦を相手にこんな話を始めた。
「この病気は人体の構造が未だに地球の重力に最適化されてないことの証拠なのよ。ねえ、重力ってなんだか分かる? 重力は質量。質量は物質が持つ[時空を歪める力の量]のことで、時空の歪みが重力なんだから、重力は質量なのよ。循環論法みたいだけど。で、面白いのはここからで、重力は時空の属性で、質量は物質の属性で、なおかつ重力と質量は別の視点から見た同じものなんだから、それぞれが属性となっている時空と物質もやっぱり別の視点から見た同じものなんだよね。つまり、物質は極端に圧縮された時空でしかないの。自身が圧縮された時空の集合体である人間には到底理解できないだろうけど」
いつになったら始めるのだろうと思っていた手術は、実は副院長のよろしくの挨拶と共に始まっていて、そのお喋りが唐突に「お疲れ様」になった時に終わった。看護婦が切り取ったばかりの患部を小瓶に入れて「これです」と見せてくれた。
手術が終わった患者たちは、今度は歩かずに、全員が看護婦の押す車椅子に乗って、それぞれの病室のベッドに帰る。