「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年5月15日火曜日
4-3:相部屋のダークマター氏
病室は、簡易なパーテーションで仕切られただけの二人部屋だが、入り口もトイレも二つずつあって、一つずつを自分専用として使えるので、相部屋の患者の姿を病室内で見たことはない。病室内で見ていない以上、無論、病室の外で目にしたとしても、それが相部屋の彼だとは気づかない(声はわずかに聞いたので、男なのは分かっている)。
そのダークマターの彼が、さっきから猛烈な咀嚼音を響かせてスナック菓子を食べている。独特のシャリシャリ音がパーテーション越しにはっきりと聞こえる。ここの入院患者で命に関わる病気を患っている者はおそらく一人もいないだろうから、食欲がないとか一日ずっと臥せっていると云った、いかにも入院患者然とした殊勝な振る舞いをする者は、やはり一人もいないだろうが、しかしそれでもその音はあまりにも日常的且つ堕落的且つ弛緩的で、入院生活の非日常感や節制や緊張感を蔑ろにしていた。
相部屋のダークマター氏は、その不遜なスナック菓子を、おそらく一階ロビーの階段横にある小さな売店で買ったのだ(そんなものを入院するときに持ち込んだとは思えないし、見舞い客がわざわざ持って来るとも思えない)。その売店では、病室で貪り食うためのスナック菓子の他にも、患者が手術後に使うガーゼやテープを売っている。患者はガーゼやテープを、入院前にどこかで買って持ち込むか、入院後にその売店で買って手術に臨む。無論、手術で使うガーゼやテープは病院持ちだが、手術後に交換されるテープやガーゼは患者持ちで、このシステムを最初に看護婦から聞かされた時には、なんだか自前の米一合を持って参加する飯盒炊飯遠足のようだと思った。
ダークマター氏は先にこの部屋にいた。そして看護婦に依ると、まだ当分は退院できない。長年放置してすっかりコジラせた患部を何度かに分けて手術しなければならないからだ。
姿は見えなくても、ダークマター氏が確かにそこに居るのは、ふたつの情況証拠から明らかだ。一つ目の証拠は、この二人部屋に自分の後からは誰も入らなかったという事実。ここはベッドの空き待ちの出る人気病院であり、もしダークマター氏が実在しないのであれば、自分の後に誰かが部屋に来た筈だ。二つ目の証拠は、スナック菓子の咀嚼音。パーテーションの向こうにそれ用の音響装置が設置されていると考えるより、スナック菓子を食べる人間が実際に居ると考える方が「オッカムの剃刀」の原理に適う。