「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年5月20日日曜日
4-4:回診/マッスルメモリー
朝食が終わってしばらくすると回診を知らせる館内放送がある。指示通りにベッドの上で待っていると、まず看護婦が入って来て、こちらの体勢を変えたり患部のガーゼを一旦剥がしたりして、回診に来た医師がすぐに診察できるように準備する。その後やって来た医師は、ドコカのナニカをちょっと見て、「結構ですね」「順調ですよ」「お大事に」などと云って、もう次の所へ向かう。ほんの2分ほどの出来事。
「物足りないと思うかもしれないけれど、そう思う方が間違っている」
毎晩こっそりやって来る若い白衣の男が云う。
「簡単な計算。1人2分でも30人診れば60分。それをあと2分伸ばして4分にしたら120分にもなるんだ。知っての通りここは人気病院で、しかも患者は入院患者だけじゃない。外来などは門前市を成す状態で、医師たちは毎日目の回るような忙しさなんだね。だから回診に毎日2時間も取られるわけにはいかないんだ」
若い白衣の男は、研究のためと云って、血液や粘膜や皮膚片を取っていく。
「僕はね、筋肉に於ける〈昔取った杵柄現象〉を研究してるんだよ。聞いたことないかな。一度体を鍛え上げたことのある人間の方が、生まれて初めて体を鍛える人間よりも、筋肉の成長がイイという話。僕の同僚は、体を鍛えたことで筋肉を強化する特定の遺伝子にスイッチが入って、そのせいで、一旦筋肉がしぼんでも、再び鍛え始めれば、初めての時よりも筋肉が効率的に発達すると主張してるんだけど、僕は違うと思うんだよ。起きてるのは多分ただの淘汰さ。一般に、筋肉が鍛えられて大きくなるのは、筋肉細胞がちぎれて死んだあとを、近くの筋肉細胞が埋め合わせる現象なんだから、筋肉を鍛えるという行為は、結局、たくさんある筋肉細胞の中の相対的に弱いものから順に破壊していく行為、つまり淘汰なんだね。それはつまり、相対的に強い筋肉細胞が生き延びて自分のコピーを増やすということでもある。一度鍛え上げれば、強い筋肉細胞の割合が元々よりも増えているわけだから、一旦しぼんでもまた鍛え直せば、最初の時より筋肉の発達が顕著になるのは当り前だよ。僕の同僚は、淘汰済みで粒の揃った筋肉の遺伝子を調べて、スイッチが入ったって騒いでるだけなのさ。本当は、元からスイッチの入っていた筋肉細胞が生き延びただけなのに…」
毎晩定時に巡回の看護婦が来て懐中電灯で室内を照らすが、その光はなぜか若い白衣の男には絶対に当たらない。