2018年4月2日月曜日

2-2:眼帯


暗いうちに目が覚めた。大して寝ていない。オカマの丸太の長話のせいだ。甲板に出たら、少々寒いがいい気分。ベンチで煙草をつける。空が徐々に明るくなる。

手摺りに海を見ている男。煙草を咥えて隣に行く。挨拶をする。挨拶が返って来る。眼帯がトレードマークの有名な若い博士で、英雄的行為を讃える写真入りの新聞記事を読んだばかりだからすぐに分かった。
「見えますか?」
博士が水平線を指す。独特の輪郭は遠くてもよく分かる。核実験が生んだ巨大怪物で博士の超兵器によって抹殺されたはずだ。
「違うのです」
博士に煙草を勧めると「どうも」と一本抜き取った。煙を海風に飛ばし、「戦争ですか?」と、こちらの顔の包帯のことを訊く。曖昧な返事に博士は頷き「私は目です」と自分の眼帯を指した。この時代の身体欠損はありふれている。整形手術は戦争が生んだ私生児。いや、人類の持ち物の多くが戦争の私生児だ。
「ご覧なさい」
博士が指さすフェリーのすぐ横の海中を怪物が並走している。
いつの間に?
「つきまとわれてましてね」
博士がオモシロそうに笑う。それから唐突に、
「人間が戦争をやめない理由を考えたことは?」
生物は全て蹴落とし合いで前に進む。共存共栄は生物にとってただの妥協。潰し合いこそが生物の駆動力。善いも悪いもない生物の本分。そして人間にとって今や競合者は人間のみ。故に人間は戦争をやめない。生物である限り戦争は人間の一部であり続ける。
博士は頷く。
「私は更に一歩踏み込んでこう考えました。戦争は或る備えになると」
怪物が海上に首を出した。臭う。
「つまり、究極の怪物の出現に対する備えです」
だがしかし、戦争のための兵器開発競争自体がこの怪物を産んだ。
博士は笑う。
「この程度のものを究極の怪物とは呼びません。これはただの公害です。あるいは事故です。究極の怪物は宇宙から来るのです。それは人間の営みの埒外から容赦なく襲いかかる。小惑星の衝突や全球凍結。あるいは老いて膨脹する太陽。つまりは宇宙の季節の巡り。それが究極の怪物です」
怪物がこちらを向いて口を開いた。背びれが光る。博士は怪物の口の中に煙草の吸い殻を投げ入れた。怪物は海水になって海面に流れ崩れた。
「その時々の最恐の敵を凌駕し続ける。それが最後に現れる究極の怪物を退ける備えになるのです。何物にも脅かされない生存になることが生命の最終目標であり、戦争とは生命の最終目標達成努力なのですよ、これが…」