「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年4月23日月曜日
3-2:四半世紀人
先住民の言葉で「砂の入江」。そういう名前の海岸に来た。迎えの者が是非にと勧めたからだが、本当は勧誘者自身の念願。脇道に入って車を降り、崖を下った普通の砂浜の「立ち入り禁止」の向こうに見上げる崖の途中の奇妙な建物。
「竜宮です」と迎えの者。
竜宮は海の底ですよ。
「竜宮です」
迎えの者は満足げだ。確かに建築様式が独特で浦島太郎が一杯やっていそうだが、アメリカ映画に出てくる忍者を連想させる違和感もある。少しすると迎えの者が「ちょっと失礼」といなくなった。来た崖の上にオバケ公衆便所があった。一人になると睡魔が勢力を盛り返してきた。堪らず近くの岩に腰を下ろし目を閉じる。
「ちょっとヨロシイかしら?」
肩を叩かれて振り返ると、怪士(あやかし)の能面のような顔の女が立っていた。女はニジューゴネンジンについて話したいがいいかと訊いた。
ニジューゴネンジン?
「正確にはその優しさの源についてです」
どうぞ。
怪士面の女の話:
ニジューゴネンジン、別名〈四半世紀人〉は生まれて25年経つと子供を産む。その点で、有名な〈17年ゼミ〉いわゆる〈素数ゼミ〉と似ている。(無論25は素数ではありませんよ)。ニジューゴネンジンの赤ん坊には両親が居る。その両親は25年前に生まれた。更にその25年前に祖父母が生まれ、その更に25年前には曾祖父母が生まれた。(彼らが四半世紀人と呼ばれる所以です)。人数は、最初の赤ん坊が一人。次の両親が二人、祖父母は4人、曾祖父母は8人。それぞれの人数を2の累乗で表すと、指数はそれぞれ、0、1、2、3。指数は百年で4カウントずつ増えていくので、千年でざっくり40になる。(あくまでザックリとですが)。現在のニジューゴネンジンの人口は70億。四十年前は30億。千年前はもっとずっと少ない。しかし上の計算に従うなら千年前の先祖の数は2の40乗人。約1兆人。ここに論点がある。現実に生きた先祖の数が、計算上の先祖の数よりも何桁も少ない。この圧倒的不等号の〈意味〉を理解すること。
「つまり」と怪士面の女は云った。「全てのニジューゴネンジンは家族なのです。主義主張としてではなく、喩えでも希望でもなく事実としてそうなのです。これがニジューゴネンジンの優しさの源です」
そうなりますか…
「参加無料の講習会に是非どうぞ」
怪士面の女はパンフレットを差し出した。受け取って表紙を見ると、そこには「COBE主催」の文字があった。