まず第一に歩いて通える距離であること。バイト先を決める時の常に変わらぬ第一条件。電車もバスも自転車も不確定要素。その道は帰宅困難者へと続く。自動車通勤は論外。渋滞、ガス欠、故障、そして人身事故。そもそも自動車に使える毎月のカネがあるなら働かない。本末転倒とはこのこと。
面接のおばさんが念を押す。
「普通のホテルじゃないですよ」
微笑みと共に頷く。
「分かってますか?」
再度微笑む。
「そう…」
面接のおばさんは履歴書に目を落とす。
「で、なぜウチで働こうと?」
だから、一番近かったので。
面接のおばさんは変な顔をした。
採用。
黄緑色の間抜けな半袖制服を着て、日替わりの二人一組で仕事をした。或る日組んだ老婆は「私はやめないよ。ここも大変だけど、どこに行っても同じだから」と云った。別の日に組んだ若いシングルマザーは「子供育てなきゃならないからさあ」と煙草を吹かして笑った。他のパートから毛嫌いされて「チェック係」(誰とも組まずに一人でする仕事)に回された或る60女の弁当はいつも漫画の爆弾のようなまん丸の大おむすび一個で、「うん、これがね、これが一番簡単で、簡単なのよ」と、誰からも訊かれてないことを、誰の目も見ずに話した。
どこにでも人間はちゃんといて驚く。
或る日の夕方、鬱陶しいことを云う無線機に向かって「云いたいこと」を云ったら(空腹のなせるワザ)、同じ無線機がすぐに支配人室に来るように云った。行くと、椅子に座ったスーツの男がいた。初めて見る。頭から湯気を出して色々云うが、実態は、聞いて覚えただけの云い回しを状況に応じて並べているだけの「人工無脳」で、思わず笑みが漏れた。それを見てまた相手が怒りを爆発させる。しかし、実力を伴わない怒りの爆発はウケない一発ギャグと同じだとコビもラジオで云っている。ナニゴトもなく休憩室に戻ったら、キヨミズ君がスゴイと云って感心した。キヨミズ君はいつも疲れた様子の年下の先輩だ。
「イヤ、ホント、この会社にアンナこと云って、それでクビにもならず、辞めもしないって…こんなヒト初めてですよ、フフフ…」
しかしその2ヶ月後に、他にやりたことがあると嘘をついて辞めた。本当は、もうすぐ暑くなることに気づいてゾッとしたのだ。やたらに腹が減るのも不経済で不健康。なぜか「パートさんたちのリーダーとして頑張ってほしかったのに」と引き止められた。
冗談でしょう。
最後まで笑わせてくれる職場だった。