中央ホールでの余興はフェリー会社主催の相撲トーナメント。百歳王決定戦。百歳超えの老人達の戦い。決勝戦に間に合った。バーでホットミルクを注文する。胃の調子が良くないのだ。熱々を受け取り一口。仮設の土俵を遠巻きに立ち見。
東が白い締め込みの月ノ光(つきのひかり)。
西が黒い締め込みの黒蝙蝠(くろかわほり)。
双方ともに全身タイツの覆面姿。正体を隠すのは主に家族の希望(「いい歳をしてまったく…」)。どちらもヨチヨチ歩き。あるいはギクシャク歩き。仕切り線から塩の場所にヨチヨチ歩く。塩を摘んで投げる。それからまた仕切り線にギクシャク戻る。双方ともに蹲踞は出来ない。少し膝を曲げ、すぐに伸ばす。背中はずっと曲がり気味。ただし睨み合いだけは堂に入ってる。歳をとると体内時計の刻みが遅くなる。すなわち老人にとっての五秒は周囲の十秒。老人は少し植物に近づく。
たっぷり一分間睨み合った。
周りから拍手が起こる。お互いに目をそらしてその場を離れる。ヨチヨチ歩きで塩を取りにいく。ギクシャク歩きで仕切り線に戻る。
そしてまた一分間睨み合う。
それが延々と続く。いつまでも戦わない。
もうやるか?
…まだか!
最初大きかった拍手もパラパラになる。熱かったミルクもすっかり冷めた。コップを覗き込むと白い表面に黒いナニカ。小さい顔。
カンダタ?
地獄の血の池で浮いたり沈んだりしている。人間の血が赤いのは鉄分のせい。地獄の血には鉄分は含まれない。代わりに脂肪分が含まれている。すなわち地獄の血の池は白い。真っ白な血の池から顔を出すカンダタ。
いや待て。
鉄分の含まれていない血は酸素を運べない。それはまるで客車が一つもない機関車。むしろ鉄輪だけが鉄路を転がるようなもの。悪くはないが役には立たない。価値がない。しかし意味はどうだ?
意味だって?
小さく歓声が上がった。顔を上げ土俵に目を向ける。
どっちが勝った?
勝負有り!
行司の軍配が東を指す。すぐに審判の手が挙がった。物言い。審判たちが土俵中央に集まる。話し合いが済みそれぞれの場所に戻る。審判長がマイクを手にする。
「ただ今の協議についてご説明いたします。黒蝙蝠の心筋梗塞で行司軍配は東を上げましたが、月ノ光の脳溢血が先ではないかと物言いがつき、協議した結果、月ノ光の脳溢血が先に起きており、行司差し違えで、黒蝙蝠の勝ちといたします!」
少しの歓声と少しの響めき。パラパラの拍手。
そしてふたつの老人の死体。