2018年4月17日火曜日

2-9:鏡像


寒い。目が覚めた。納棺された夢を見た。棺は冷蔵庫。冷蔵庫が棺。庫内の温度は摂氏10度以下で夏でもドライアイスなしで遺体が痛まないのは発明だが、(死体の体温は室温のはずだから、室温より温度が低いと死体も寒いんじゃないかな)と、船室のベッドの上で震えながら考える。無論、道理は粉々に砕けている。夢の無重力の影響が残っているのだ。
重力は徐々に戻って来た。
口の中が苦い。
(歯を磨かなくては…)
洗面所の鏡の前に行く。
鏡にヒビが入っている。
ナニカをぶつけたのだ。
ぶつけたナニカはすぐに分かった。
鏡の中の顔が眉間から血を流している。
触る。
痛みはない。
顔を洗う。
顔を上げる。
鏡の中の眉間から血が流れ出す。
また顔を洗う。
また上げる。
また流血。
止血するものが要る。
(そんな都合のいいものがあったかな?)
タオルくらいは、と鞄を探る。
あった…だがタオルではない。
包帯の新品。
(いつの間に?)
鏡の前に戻る。
巻き方を知らない。
とにかく巻いてみる。
鉢巻き状にしてみた。
これでは眉間の傷を覆えない。
眉間を覆うにはバツの字に巻くしかない。
そうした。
鏡を見る。
まあまあだ。
血が滲んで来る様子もない。
(なぜだろう? たまたま巧く傷を塞いだ?)
まあいい。
残りを適当に顔の上下に巻きつける。
出来上がりを見て笑う。
ミイラか透明人間。
しかしこれでいい。
この顔に見覚えがある。
なるほど、と思う。
なるほどアイツはコイツだと納得する。
煙草をつける。
煙を吐く。
また笑う。
(そうだ。歯を磨くのを忘れてた…)
煙草を消す。
顔を上げる。
鏡の中に包帯でぐるぐる巻きの顔。
(一体、何のつもりだ?)
包帯を外す。
ゆっくりと巻き取っていく。
全て取って、顔中くまなく調べる。
傷も何もない。
巻き取った包帯を眺める。
捨てようかと思ったがやめる。
屈んで、鞄の奥に突っ込む。
体を起こしたときに耳の石がズレた。
目が回り、無重力が戻って来る。
(傷を負ったのは顔ではない。別の箇所だ。顔の包帯はその象徴に過ぎない)
ふらついて、バランスを崩す。
額をナニカにぶつけた。
割れる音。
(鏡?)
目眩が止まらず眼を開けられない。
それでも世界はグルグルと回り続ける。
(それはそうだ。誰も観ていなくても世界は回り続ける)
ドアをノックする音にハッとなる。目を閉じたまま返事する。フェリーが港に着いても下船していない客が居るというので乗組員が船室に様子を見に来たのだ。
了解し、すぐに降りる旨を伝え、目を開けた。