「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年4月9日月曜日
2-5:フクロウ
フェリーの大浴場の湯に包帯巻きの顔のまま浸かっていると、あとから若い裸がドヤドヤと入ってきた。混浴だったかと最初は驚いたが、いや、単にどちらかが間違えただけかもしれない、あるいは、或る特殊な接待ということもなくはない、などと考え直し、様子を見ていると、隣で茹っていた灰皿のような眼鏡が云った。
「あのフクロウたちは見かけとは違います」
灰皿眼鏡は湯の中から名刺を出す。完全防水仕様。灰皿眼鏡は派遣会社「梟の森」の社長で、裸のフクロウたちはその所属タレント。慰安旅行中だという。
「一緒に風呂に入って裸を見てもらえば仕事の宣伝にもなりますから」
しかし勝手に混浴にするのはどうだろう。
「いや、生物学的には混浴ではありませんからね」
つまり?
「だから、見かけとは違うと」
性改造人間?
「面白い云い方ですが、それならむしろ性改修人間です」
近くで見てもその完成度の高さはまるで天然物。とても人工物とは思えない。
巨大ディーゼルエンジンの排熱で湧かした湯に浸かった包帯と眼鏡と超性別連。全員無言で熱と水圧を堪能する。ふと閃き、包帯の中からイザという時の一本を抜き出し咥えた。しかし火がないことに気づく。すると隣にいたアフロヘアがモジャモジャ頭からターボライターを取り出して、ジェット噴射の青い炎で、湿った煙草に火をつけてくれた。
一服。
湯気と煙。
閃きを追った。
天然でも人工でも生命は生命。生物でも機械でも知性は知性。どちらも出自や機構には左右されない。出自は原因。機構は手段。しかし「女」はどうなのだろう? あるいは(同じことだが)「男」は? よくよく考えてみると、「女」も「男」も出自自体/機構自体なのかもしれない。「女」や「男」こそ、気の持ち様だと考えていたが、どうやらそうでもないらしい。現象として見た場合、「女(男)」は、生命に及ばないし、知性にも適わないが、物理と直結している可能性があるという点で、事実としてはその両方に優るのかもしれない。
「考えてますね?」
灰皿眼鏡が勘違いの目玉を動かし、安くしておくので一人どうかと勧める。
「このままお持ち帰りで構いません」
無論断る。
「滅多にないキカイだと思いますがね」
重ねて固辞。
「そうですか。ま、無理強いはしません」
「しかし性は虚構ですよ」と社長の唐突。「そうして虚構は母数つまりパラメータが全てです。ですから、例えば人工子宮装置が女でないのは母数が問題なんです」
逆上せた。