朝の食堂が開く前に具合が悪くなった。核実験で生まれた怪物に近づき過ぎたせいだ。強めの放射線。その影響だろう。医務室に行く。
「船酔いだね」
煙草を咥えた船医が云った。火はついてない。睡眠薬を渡される。
また寝る?
「寝るのが一番」
さっき起きたのに?
「そのための睡眠薬」
ここで飲んでも?
「どうぞ」
水を貰う。眠くなった。
ベッド借りれますか?
「悪いね。先客が居るんだ」
覗くと半透明のビニールに包まれた大きな人体。
死体?
「まさか」
船医がビニールを少し開く。大きな顔が見えた。体温計を咥えている。
「…ないね」と体温計を振る船医。大きな顔が何か云った。
「疲れたって?」と船医。大きな顔は「Zigarette…」と口元を指さす。
「なんだ、煙草かい?」
三人で煙草を吸う。
大男は北極から流氷に乗って来た。海水温が上がって流氷が溶けてからは、ビニールに包まって漂流した。そこをビニールごとフェリーに救助されたのだ。救助された大男はドイツ語を喋る。フランス語と英語も出来る。だが日本語は分からない。船医とはドイツ語で話した。
大男:機能不全を起こした身体Aから脳Aを取り出し、一方で、脳死状態の身体Bから脳Bを取り除きます。脳Aを身体Bに移植するとき、延命されるのはAでしょうか、それともBでしょうか。
船医:人間の本質は人格すなわち意識だろう。意識は殆ど脳に由来する。だから、延命されたのはAになるだろうね。
大男:脳自体をツギハギにしたらどうですか。脳の一部を取り除いて別の脳の一部と置き換える。それを何カ所も繰り返しひとつの脳にする。その時その脳に宿る意識はどうなるでしょう。最大勢力を占める意識が全体となるでしょうか。複数の意識が混在する多重人格となるでしょうか。
船医:そのような脳の結合は少なくとも現代医学では不可能だよ。しかし、思考実験としては興味深い。
大男:私の脳は元は4人の人間の脳です。大勢が巻き込まれた爆発があり、その時、或る悪魔的な技量を持つ無免許外科医が現れ、4つの壊れた脳から一つの完全な脳を作ったのです。彼は、4人のうちの誰か一人でも助けようとしたのです。その脳が今私の頭の中にあります。しかし私は4人のうちの誰でもありません。4人全員が混在しているのでもありません。私は、謂わば、5人目の新たな人間なのです。
三人は黙って煙を吐いた。
寄せ集められた脳の断片を音という物理現象と考えるなら、意識とは旋律だろう。