海の近くに泊まる。土地の名前は先住民の言葉で「釜をかけたり」。ホテルは木造モルタル二階建てで、古くもないし新しくもないが、清潔感はあり気分がいい。そして当然海が近い。部屋にある小さなベランダの下は砂浜だ。無論、砂浜に建っているわけではないが、砂浜ギリギリには建っている。ベランダの手すりから身を乗り出すと、下は砂浜だ。窓枠の風景もまるで海の上。しかし、散々フェリーで揺られてまた海かと思わせないところが海の面白さ。
晩飯。下のレストランに行く。他に客はいなかった。そもそも泊まり客自体が他にいない。気配がない。図らずも貸し切り。茸のパスタと地ビールを気分良く平らげる。
部屋に帰ってテレビをつけると、視聴者の依頼を探偵に扮した芸能人が調査する番組をやっていた。しばらく眺めていて、既に観た内容だと気づく。新聞を調べたが再放送ではない。しかし確かに既に観ている。デジャブではない。デジャブは所詮あと出しジャンケンだが、これはそれとは違う。展開と結果を先に云える。つまり、デジャブではない。
CM。女の声のナレーション:
デジャブ。今初めて見たものを既に知っていると感じる時、実際には「今この瞬間」の知覚すなわち体験が、瞬時に「過去」に送り込まれ、過去の体験として「思い出される」のです。故に認識者がそれを「既に知っている」と思うのは自然な反応です。認識者が「以前から」と思う、その認識自体は実は誤りでありません。なぜなら、厳密に云えば、どんな知覚=体験も、脳による処理の過程で、全て「過去」の出来事になってしまうからです。脳は、体験と認識との時間差をあらかじめ織り込み、それらを「同時」と錯覚させる或る種の「嘘」をつくことで、私たちの日常体験の根幹を支える重要な機構となっているのです。デジャブについてお悩みの方、更に詳しくお知りになりたい方は、是非、当社まで。C-O-B-E。私たちはコービーです。
仏壇屋のCMに変わった。大昔の幼児が手を合わせる。
テレビを消した。今は睡魔。これをどうにかしたい。無闇に大きいベッドに潜り込み目を閉じた。
目を開いた。暗い。日の出前。どれほど眠り続けるだろうと思ったら、翌朝普通に目が覚めた。睡眠負債の案外な低金利。ともかく、フェリーで取り損ねた分は全て取り戻した。
朝飯後に近所を歩いて、一軒しかない食料品店で梨を買った。部屋に帰ってから、食料品店で借りた包丁でその梨を切った。