2019年4月1日月曜日

現の虚 2014-9-6【深海プール】


俺はあてがわれた部屋で早めに寝た。真夜中、ドアを叩く音で目が覚めた。開けると、首に包帯を巻いた痩せ過ぎの白い少女が立っていた。少女は白い花のついた木の枝を俺に渡すと、手品師のように空中からカードを一枚取り出した。カードには「シキミ」と書かれていた。少女は手を踊らせてそのカードを消し、反対の手から別のカードを出した。

世界王者がお待ちデス

世界王者は丸い敷物の上に座ってヨガの呼吸法を続けている。世界王者の部屋はイルカの写真だらけだ。俺の横に立って一緒に世界王者の様子を見ていた白い少女が空中からカードを取り出して俺に見せた。

潜水の世界王者で記録は四百呎デス

潜水の世界王者と白い少女と俺は、右側だけに窓が続く長くて狭い廊下を歩いて行き止まりの壁に隠されていた秘密のエレベータに乗り込んだ。精神を集中させている世界王者は何もしない。白い少女も空中からカードを出す以外何もしない。俺は秘密のエレベータの操作手順を読み、ボタンとレバーを操作して機械を作動させた。

到着した最上階はフロア全体がひとつの部屋だった。天井が低く照明はない。壁にはハメ殺しの窓がずらりと並んで、空気は妙に重油臭い。大きな船のデッキのようだ。

俺は緑に光るランプに気付いた。近づくとボタンで、振り返って少女を見ると頷いたので押した。ランプは点滅する赤に変わった。一拍おいて、ドーンとどこかで音がした。更に一拍おいて、部屋の中央の天井から垂れた太い鎖がチャリチャリ鳴り始めた。やがて鎖は部屋の床から大きな円形の蓋を持ち上げた。蓋の下からはキラキラ光る水面が現れた。白い少女が空中からカードを取り出し俺に示す。

深海プールデス

潜水の世界王者はすでに深海プールの縁に腰を下ろして臨戦態勢に入っている。天井から水底に伸びたロープに繋がれた潜水用装置(体力を使わず水に潜れる)のハンドルを掴んで呼吸を整える。どこからかカウントダウンの声がして、それがゼロになった。世界王者は息を大きく吸い込んで水の中に滑り込んだ。

と同時に天井の蓋が落ち、光る水面を隠した。

俺はまだ自分の部屋にいた。開いたドアの外に、喉を切り裂かれた白い少女が血を流しながら立っていた。片手で喉の傷を押さえ、もう片方の手で握った俺の右手を指さす。広げてみると緑色の五角形の木の実がひとつ。白い少女はその実を摘むと、俺に口を開けるよう、自分の口をあーんと開いた。

シキミノミハタベルトシヌ。