大男が背中を向けて入口を塞いでいるので、ソノヒトは靴のある部屋に入れない。
元は高名な学者だったモッカ・ドゴンスイは昔、罰で巨大な五角形の鉄板を背負わされた。それ以来四つん這いの生活を続けている。背中の鉄板は立って歩くには重すぎるのだ。眠る時は或る工夫をするが具体的にどうするかは「恥ずかしくて云えない」と歯を見せて笑うモッカ・ドゴンスイ。その腕は鉄板の重さに耐えかねて絶えず震えていた。四つん這いの老人モッカ・ドゴンスイは、ソノヒトの足元から亀のように首を伸ばして耳打ちした。
「気配とは人間の耳には聞こえない超低周波音のことで、人間の体からはその超低周波が常に出ている。それを皮膚で感じ取ると、例えば背後にいる人の気配になる。気配は気のせいではない」
その言動。今も全く懲りていない。だがソノヒトはナルホドと思った。こんなすぐ近くにいるのだから、目の前で行く手を塞ぐ大男も自分の出す超低周波にまもなく
気付くに違いない。
ところが何も起こらない。
懲りない老学者の更なる耳打ち。
「ご存知か。あらゆる哺乳類は2億5千万回ずつ息をしたら、もう死ぬのだ。ネズミもゾウもヒトも同じ。人間はよく、自分がいつ死ぬか分からないと云いうが、それは違うのだな。これまでに何回息を吸ったかを記録しておけば、あと何回息が吸えるかが分かる。そうすれば、簡単な算数でいつ死ぬかも分かる。もちろん2億5千万回を数える前に死んでしまうこともあるだろうが、上限は2億5千万回。実に具体的な数字だ。呼吸回数を自動で数える装置を作るのはそう難しくはないから、そういう装置を作って、生まれたばかりの人間に取り付ければ、誰でも呼吸の残り回数が分かる。つまり人生の残り時間が分かるようになる。いや、実はそういう装置は既にあるのだ。そしてそれは、実際、生まれたばかりのアンタにも取り付けられた。ごらんなさい。この数字がアンタの残り呼吸回数だ。1万回を切っておる。1万回というと多そうだが、時間にするとあっという間だぞ。2秒に一呼吸として2万秒。ほんの6時間足らずだ。つまり、もうアンタに靴など必要ない!」
その時モッカ・ドゴンスイの四つん這いが潰れ、五角形の鉄板がモッカ・ドゴンスイの頭を潰した。鉄板の下から手足が4つとも出ていて、右手は通話中の電話を握っていた。ソノヒトは電話を拾って耳に当てた。電話の声は「そのまま30秒間何もしないで待て」と云った。