2019年4月5日金曜日

現の虚 2014-9-9【大団円あるいは初めに戻る】


その時突然深海プールの重い蓋が落ちて、ボクの右手首を切断しました。切り離された右手は、きっとソレを握りしめたまま、ソレと一緒に深い水の底に沈んで、地上に残されたボクは激しい痛みのために気を失ったのです。
ソレというのは?
半分に割れた石です。石の地図です。
石の地図?
はい。もう半分は別の誰かが持っています。石の地図は特殊な信号を発していて、それは低軌道上の人工衛星のレーダーに映ります。人工衛星に搭乗する監視員は、そのレーダーのオカゲで石の地図を持ったボクともう一人の誰かの位置を正確に知ることが出来るのです。
監視員というのは国際宇宙ステーションの乗組員のこと?
いえ。彼(あるいは彼らかもしれませんが)は異星人でしょう。地球人ではないはずです。
なぜそう思うの?
地球人にはそうする理由がないからです。半分に割れた石の地図を二人の人間に持たせて、それぞれの居場所を監視する理由が、地球人には思いつきません。
なるほどね。私にも思いつかない。
ですよね!
君を病院に担ぎ込んだ眼帯の人との関係は?
行きつけの喫茶店のマスターです。というか、あなたがそのマスターじゃないですか。いやだなあ。

私が駆けつけた時には、貯水槽の蓋は閉じていて、甲斐さんの姿も、あの男の姿もなかった。甲斐さんの車椅子が床に倒れ、ちぎれた右手が貯水槽の蓋のすぐ近くに落ちていた。そこで正確に何が起きたのか、私には分からない。私はいつものクールミントガムを口に入れ、ちぎれた右手を拾い上げた(職業柄、バラバラの人体には慣れている)。拾った右手を広げてみると、中からクシャクシャに丸めた手紙が出てきて、手紙にはこう書いてあった。

水面に顔をつけると水面から顔が出る。水に潜ると別の水面に浮かび上がる。水はそうやって世界を繋いでいる。水の深さは虚構だ。全ての水には水面しかない。

いや、これは手紙じゃないよ。世界完璧図書館所蔵のある本の破り取られた1ページさ。大昔に何者かが大切な蔵書を傷付けたんだ。もはや存在しないと思ってたけど、あったね。さっそく持ち帰って修繕だ。ああ、僕らの本職は世界完璧図書館の蔵書の永久管理人なんだ。

ビルの屋上を不法に占拠して暮らしている。雨水を飲み、一斗缶で火を燃やして汁を炊く。履ける靴もある。猫も一匹いる。そんな俺を度々訪ね、最後に柵を越えて飛び降りたソイツは、結局一度も俺の前ではそのピンクのウサギの着ぐるみを脱がなかった。