2019年4月25日木曜日

■『ふしぎなキリスト教』を読んだ


橋爪大三郎・大澤真幸「ふしぎなキリスト教」を読んだ。「深み」はないけど「裏事情」が満載という感じでオモシロいし、対談だから読みやすい。俺らが、今も続く一神教の世界のいざこざを心の深い部分で「クダラネエなあ」と感じるその理由の種明かしをしてくれるよ。

一神教の世界の内輪もめって、たとえば「スターウォーズ」シリーズの信奉者たちが、作品について身内でアレコレもめたり、制作者を批判したりするのと変わらないんだよな。「一神教の世界」の方が「スターウォーズ」より規模が大きかったり、歴史が長かったり、人が大勢死んだりするから、全然違うものだと思いがちだけど、本質は同じだよ。だから、ハタの俺たちはクダラネエって思っちゃうんだよ。

ユダヤ教-キリスト教-イスラム教のいわゆる「一神教」の系譜の世界観の幼児性というか幼稚さというか妙にお気楽な単純さは、人類の知性の平均点に対応してることだから仕方ないけど、それでも、ガッカリはするよね。

人間が云ってる「神」って何かっていったら、見えざる「意図」なんだよ。じゃあ、「意図」はどこから来るかって云ったら、もうだた意図する自分という存在の反射。あとはただの尾ひれ。長大なおとぎ話。人間の単なる思い込みを、自分たちで、どう言い訳してるかのバリエーションが、そのまま世界の神のバリエーションになってるだけ。簡単な話なんだけど、それ云っちゃうと、急に寂しくなるから、誰もそんなこと云いたくないし、信じたくもないんだよ。

世界は、人間が期待しているよりもずっと、身もフタもないものなんだよ。

2011年11月13日日曜日 アナトー・シキソ