「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年4月4日木曜日
8-5:逆旅麻雀
ガラス張りの天井の上をリュウグウノツカイが泳ぐ薄暗い部屋で雀卓を囲む。
世界の誰とも似ていない隻眼の紳士が牌を鳴らしながら云った。
「すでに生命機構から自立してしまった知性体は、地球人類にもその文明にも何の関心も示さないでしょう。なぜなら生物として始まった知性が辿り着くべきゴールとして既に彼ら自身が存在しているからです。目的地に着いてから地図をひろげても仕様がありませんからね」
物腰の柔らかい男が尋ねる。
「今もし猿や猫や蛸に高度な知性体としての兆しが見えたら、人間は彼らを歓迎するでしょうか?」
車椅子の老人は付き添いの若い看護婦から受け取った牌を顔に近づけ、ふんと鼻を鳴らした。脳に繋いだ装置が老人の考えを伝える。
「知性進化の研究材料としては有用でしょうが、それだけですな。資源の分配から権利の保証まで、人間は人間同士でさえ、そうした問題を未だに解決できてはいない。もしそこに新たに高等な知性体が現れたら、問題が自分たち以外にも拡大するわけです。裏山の火事にオロオロしているうちに、向かいの山からも煙が上がるようなもので、人間は間違いなく、排斥と殲滅を図るでしょう」
ソノヒトは牌をつまみ上げ、捨てた。
隻眼の紳士が云った。
「学者たちは人間を含めた全ての地球生命は地球上の至る所で同時多発的に発生したのではなく、特定の一カ所で発生したあと徐々に広まったと考えていますが、知性も、広い宇宙のアチコチで発生するのではなく、どこか特定の場所で発生し、それが全宇宙に広まるという筋道を辿るのかもしれません。もしそうなら、現に一定程度の知的存在である地球人類がその道の上にいることもありえます。しかし一方で、地球人類に充分先行する別の知的存在が既に存在するなら、地球人類の前途は相当に厳しいものになるでしょう」
物腰の柔らかい男が頷く。
「完全な知性体はその完全さゆえに、どこで始まり、どの経路を辿ろうとも、全て同じにならざるを得ず、ならばそれは全宇宙にひとつで充分ですからね。結局、個性とは不完全さの云い替えに過ぎません」
車椅子の老人は看護婦に口を拭いてもらう。
「円ですよ。完全な円からすれば、それ以外の図形は、三角形も百角形も兆角形もただの不完全な円です。完全な円はそれ一つで全宇宙の需要を満たすのです」
ソノヒトの四暗刻。三人は一斉にソノヒトを見た。看護婦が、靴を預かっているのであとで部屋に取りに来るように云った。