2019年4月25日木曜日

■『ふしぎなキリスト教』を読んだ


橋爪大三郎・大澤真幸「ふしぎなキリスト教」を読んだ。「深み」はないけど「裏事情」が満載という感じでオモシロいし、対談だから読みやすい。俺らが、今も続く一神教の世界のいざこざを心の深い部分で「クダラネエなあ」と感じるその理由の種明かしをしてくれるよ。

一神教の世界の内輪もめって、たとえば「スターウォーズ」シリーズの信奉者たちが、作品について身内でアレコレもめたり、制作者を批判したりするのと変わらないんだよな。「一神教の世界」の方が「スターウォーズ」より規模が大きかったり、歴史が長かったり、人が大勢死んだりするから、全然違うものだと思いがちだけど、本質は同じだよ。だから、ハタの俺たちはクダラネエって思っちゃうんだよ。

ユダヤ教-キリスト教-イスラム教のいわゆる「一神教」の系譜の世界観の幼児性というか幼稚さというか妙にお気楽な単純さは、人類の知性の平均点に対応してることだから仕方ないけど、それでも、ガッカリはするよね。

人間が云ってる「神」って何かっていったら、見えざる「意図」なんだよ。じゃあ、「意図」はどこから来るかって云ったら、もうだた意図する自分という存在の反射。あとはただの尾ひれ。長大なおとぎ話。人間の単なる思い込みを、自分たちで、どう言い訳してるかのバリエーションが、そのまま世界の神のバリエーションになってるだけ。簡単な話なんだけど、それ云っちゃうと、急に寂しくなるから、誰もそんなこと云いたくないし、信じたくもないんだよ。

世界は、人間が期待しているよりもずっと、身もフタもないものなんだよ。

2011年11月13日日曜日 アナトー・シキソ

■『教えて下さい。富野です』メモ


どうせ安彦良和の「ジ・オリジン」しか読まないんだから、立ち読みで済ませられるときはそうしている「ガンダムA」の7月号は、付録付きで本体がひもで縛られていたから、買って読んだ。

買って読むときは「ジ・オリジン」以外もちょっと読む。四コマ漫画とか「松戸アングラー隊」とか、トニーたけざきのヤツとか、気の抜けた感じの漫画を主に。

そして、ガンダム生みの親である富野監督が各界の〈達人〉を訪ねて対談する「教えて下さい。富野です」のコーナー。これも読む。少し前の、安彦さんとの特別対談のときにも感じたが、富野さんには、ちょっと「大思想家」の素養があって、世間の常識とか、学者さんの良識とか、評論家の思考の範疇には収まりきらないことをずばっと言うことがあって、それがかなりオモシロイ。まあ、そんなにオモシロクないときもある。

で、この7月号の対談は、オモシロかった。対談と言っても、ゲストの政治学者よりも、富野さんの方が熱弁していて、しかも、ゲストの政治学者の言ってることよりも、富野さんの言ってることの方がずっと切れ味がよくて、圧も大きいから、富野さんのインタビュー記事みたいになっているけど。

たとえば、今度の震災後の日本の政治のグズグズ感を指摘する中で、

「……新しい論を持って国家を立て直していく人材が果たして出るのか。僕は既存の政治家にはいないと思う。今、政治の中心にいるのは、団塊の世代という日本が一番ハッピーな時代を享受してきた人たちです。その人たちがリアリズムを備えたハードインテリジェンスを持っていないということが今回露呈したわけです」

というようなことをスラっと言えてしまえる。団塊世代以外の人間は、誰しもがうっすらと気付いていること(団塊世代の無邪気すぎる人生観世界観がもたらす危うさは政治には不向き)なんだけど、それをスラっと表明できるところが、富野さんが「大思想家」としての素養を持っている証。

これ以外にも、この号の富野語録には刺激的なものが多くて楽しめた。

更に、こういう話を、ふんぞり返った論壇誌などではなく、漫画雑誌で読めてしまえるところも痛快。

ああ、それにしても、「ジ・オリジン」もあと少しで終わりかあ。

(2011年6月4日土曜日)

2019年4月22日月曜日

■ワサビの音楽


もし、ワサビについての何の経験も予備知識もない外国人に、ワサビをたっぷり効かせた寿司を食べさせたら、口に入れた瞬間に驚いて吐き出すだろう。毒かナニカだと思うかもしれない。そのものについては何も知らないのに(あるいは知らないからこそ)拒絶反応が出る。その反応は動物的な自然な反応だ。原生動物が火に触れそうになって咄嗟に離れるのと同じ。

さて、今、ネット上には玄人素人有名無名を問わず、たくさんの音楽演奏が存在し、自由に聴くことが出来る。そういう中にはミゴトなのもあれば、そうでないものあるし、巧みなのもあれば稚拙なものもある。オモシロいと感じるものもあれば、ただウルサイというだけのものもある。が、そういう次元とは明らかに違う「これは誰が聞いても音楽として失敗だろう」と思えるようなものも時々ある。つまり、チューニングが極端にオカシなギターの演奏だとか、オモシロくも美しくも不気味でもない〔ただの調子ッパズレ〕とか、そういう音楽だ。

コッチとしても、いわゆる現代音楽に代表される前衛的な音楽について全くの未体験なわけでもない。だから、どうでもこうでも調性が「正しく」なれければ音楽ではないとかいうつもりも、そういう「耳」しか持ってないつもりもない。だから、ここで云ってるのはそういう類いの音楽ではない。そうではなく、聞いた瞬間に「うわ〜ッ」と思って演奏者の方を見れなくなる感じの演奏。大真面目に演説している人の鼻から鼻毛が一本飛び出してるとか、明らかな言い間違いを繰り返しているのに気付いたときの気まずさを感じてしまうような演奏。そういうものだ。

で、その「失態」に当人だけが気付かず、周りはみんな気付いて失笑を堪えているってのならカマワナイ(カマワナイというのは、気にならない、大した問題じゃない、〔そんなのフツウ〕という意味だ)。カマワナクないのは、現実には、失笑とは正反対のことが起きていることがあるから。それにガクゼンとするのだ。

つまり、ネット上に存在するそういう明らかな「失態」でしかない音楽、失笑モノでしかない音楽に対して、賞賛のコメントが付いていることがある。それも一人や二人ではなく大量に。で、それらの賞賛コメントが、ヒヤカシや皮肉やカラカイでないのなら、彼らには、実際に、その「失笑モノ」の音楽(演奏)が〔すばらしくて美しいもの〕に聞こえているということになる。

そこで悩むことになる。音楽のジャンルや種類やムードで、好みは色々、人それぞれだからそれは別にいい。そうではなく、音楽を楽しむことのできる人間なら誰でも気付きそうな欠陥や失敗や失態を聞かせている音楽に対して、それを「好い!スバラシイ!」と云う人間が存在することに悩んでしまうのだ。

考えられる答えは二つ。一つは、失笑モノの音楽を、好いと云っている連中の音楽的感受性に著しい欠陥がある、というもの。もし全てがこれなら安心だ。耳が全く聞こえなければ、音楽も道路工事の音も区別はないのだから。

ただ、もう一つの答えの可能性を考えると、ちょっと暗鬱となる。つまり、それが最初に云ったワサビだ。

ワサビの風味は、予備知識なしの身体にとって、その解釈・反応は「毒」だ。ワサビでなくてもいい。大粒の山椒の実を口の中でうっかり噛み砕いた経験のある者なら分かるだろうが、あれだって、予備知識がなければ、てっきり毒を盛られたのかと思うほど舌が痺れる。それがワサビや山椒だと知らなければ、あわてて吐き出すだろうが、知っているので「キクネエ!」などと笑いながら食べ続ける。つまり、身体が露骨な拒絶反応を示しているのを知識で押さえ込んで、その感覚を「楽しんで」いるワケだ。それと同じことが、どの方向から見ても聞いても失敗している失笑ものの音楽演奏にしか聞こえないものを「好い!ステキだ!」と云ってわざわざ賞賛のコメントと付ける連中にも起きてるんじゃないかということだ。

そうすると、オカシイのは、その失笑ものの音楽を、失笑ものだと云って笑っている俺たちの方になってしまう。だって、俺たちだって、ワサビや山椒はなくてはならないスパイスだと感じているし、ワサビや山椒の良さが分からない外国人を、バカにしたりヤレヤレお気の毒、と思ったりするわけだから。

ほら。

(2013/06/08)アナトー・シキソ


追記:

脳は「痛み」を「感じる」と脳内麻薬物質を放出して、快感を与える。激辛料理がヤミツキになったり、ランニングハイなどがいい例。要するに、自家製麻薬中毒。すなわちこれが、極下手くそな音楽を「好い」と感じてしまう理由かもしれない。

2019/04/22 アナトー・シキソ

2019年4月21日日曜日

■けどさ、人を殺したのは「てんかん」じゃなくて「自動車」だろ?


1000年後の人類(もしそれまで続いていれば)が見れば、生身の人間のすぐ横をどこの馬の骨が運転しているかも分からない鉄の塊(自動車)がワンワン走り回ってる今の街の光景は悪夢だよ。

自動車なんて、タバコの百倍はハタ迷惑なシロモノなんだけど、みんな「便利で安全」だと思い込まされてる(洗脳されてる)から、こういう事故が起きるとびっくりして大騒ぎする。年間で何千人も殺してる機械が「安全」なワケないだろう?

てんかんがどうこうじゃないのさ。居眠りも、酔っぱらいも、認知症も、なんでも殺人に繋がるのが自動車運転だ。それで、クチャとかベチャっとなったら、もうそれで何人か殺すわけだよ。ただてんかんだとか、ただ居眠りしたとかよっぱらっとかボケたとかじゃなかなか人は殺せない。自動車を運転してたからこそ殺しちゃうわけだろ? 今回の祇園の大事故だって、原因はてんかんじゃない。自動車だよ。みんなすぐに反対に考えるけど、居眠り運転でも、飲酒運転でも、ボケたジイサンの高速逆走でも、それで殺人事故が起きたら、その殺人の共通の原因は自動車なんだよ。

て云っても、大抵のヤツは何云ってんだ、て思うんだろうな。

タバコは完全な嗜好品で「便利」とか「有用」ていうキーワードが使えなかったから、割合簡単に社会的に抹殺されつつあるけど、自動車は「便利」とか「有用」ってキーワードが使える要素があるから、タバコみたいにはならない。ならないけど、喫煙と自動車運転の、周辺に及ぼす害悪のパターンはそっくり同じだよ。使用者だけがいい思いをして、まわりはただ迷惑なだけ。そしてそのどちらにも重篤な健康被害(サイアクの場合は死)をもたらす可能性がある。

因みに可能性とか確率とかいうコトバを使うと、途端に人間は、そのなかに「起きない」を入れたがるけど、物理法則に違反しないことは全て「起きる」ことで、その物理法則に違反しない事象についてナニカ云うときに用いられるのが可能性なわけだよ。物理法則に違反するなら、可能性なんかないし確率がどうとも云う必要はない。そんなことはこの宇宙ではただ「起きない」からだ。

その観点からすれば、たまたま自動車の運転中にてんかんの発作を起こして、たまたまその辺にいた7、8人をひき殺す、なんていうのは、可能性どうこうは余計な付け足しで、ただ、ふつうに起きることだよ。これからだって起きる。そのときに、てんかんの症状がある人は車の運転をさせないように指導するとか取り締まるとかよりも、自動車そのものを街中から排除する方がずっと根本的。

原発に通じるハナシ。原発事故をなくしたいなら「原発を安全に運用する」とかいう、どうせ最初からしくじると分かってることをやろうとするより、原発そのものをなくしてしまえばいい。自動車事故をなくしたいなら、自動車をなくせばいい。簡単なハナシだ。今の人類の技術レベル社会レベルでは、自動車は輸送手段として手放せないだろうが、移動手段としてなら今すぐ手放したところで大した問題はない。電車やバスに乗って、あとは歩け。

と云っても、中毒だから、乗り続けるわけだよ、人間は。一昔前の子供が成人したら、もう、義務のように喫煙を始めるみたいなもんでさあ。必要があろうがなかろうが、免許取りたがるだろ、バカだから。

自動車産業は儲けなきゃいけないから必死で宣伝して、自動車が市民生活の中でなくてはならないもの、〔自動車のある生活のスバラシサ〕というイメージを植えつけようとするけど、そんなのはタバコメーカーがやってたことと同じで、根拠のないただのイメージだ。自動車なんかなくてもすばらしい市民生活は送れる。いや、むしろ、自動車がもし今より圧倒的に少ない社会に暮らせるなら、それだけ自動車に殺される可能性も減るわけだから、むしろ自動車は出来るだけない方がスバラシイ生活になる、とさえ云える。

輸送手段としての自動車は、ひどく出来損ないのシステムだし、そういう出来損ないのシステムが、これまた出来損ないの粗雑な交通システムの中で動き回っているから、ただてんかんが起きただけの人間や、道を歩いていただけの人間が自動車に殺されるはめになる。

玄関前に乗り付けられるのが便利とか云ってないで、もう、いい加減やめればいいんだよ、人間が暮らす街中を自動車が走り回るようなシステムは。まあ、街中を走れる車両は救急車か消防車くらいにして、あとは、ぜんぶ、街の外に追い出すか、地下か高架に自動車専用道路を作って、完全に隔離してしまえばいいんだ。

物流? 台車かなんかで運べばいいだろ。大きな駅の中でモノ運ぶのに自動車なんか使ってないだろ?

自動車の運転それ自体が仕事になっているヤツは別にして、今、街中で自動車を運転しているほとんどのヤツの自動車を乗り回す理由は、喫煙者が煙草を吸う理由と変わらない。要するに嗜好だ。好きだからそうしてる、そうしたいからそうしてる。けど、それは歩いているヤツが、歩きたいから歩いてるっていうのとは、まるで違う問題を孕んでる。つまり、自動車を運転するということは、今日、誰かの子供の頭蓋骨を自分の自動車のタイヤで踏みつぶす可能性を自らの手で生み出しているということだからだ。

「そんなの車でちゃっちゃと運べよ」とか「なんですぐ来なかった? 車があるだろう?」とか、そういう、大した用事でもないのに自動車を運転させようとする社会的な圧力を消せない限り、これからも人間は自動車に殺され続けるだろうな。あとあれだ、自動車を使うことを前提にしている町づくりや商売のやり方も、大した用でもないのに自動車を使わせようとする圧力になってるよね。

まあ、どうでもいいや。

(アナトー・シキソ)2012年4月13日金曜日

2019年4月14日日曜日

■合法的タカリ自体をとやかく言う気はない


録画していた『逆転人生』という番組を見た。iPodで採用された「タッチホイール」の特許を巡ってアップルに勝訴した_ただ一人の日本人_というオヂサンを取り上げた番組だ。

番組を見る前は、巨大企業アップルに自分の発明を横取りされた個人が、諦めず戦いを挑んで勝利を勝ち取ったハナシかと思ったのだが、実際は、最近よく聞く、特許という仕組みを利用した「合法的タカリ」に成功したオヂサンのハナシだった。

だから、主人公のオヂサンの「逆転」には全く共感できなかった。ただ、最後まで見るとちょっと気の毒にもなった。番組が、当人とはまるで違う人物像を作り上げようとして、オヂサン自身が当惑している感じがしたからだ。

オヂサンの実情は、借金で行き詰まって苦し紛れに特許出願した「発明」と同じようなものが、のちにiPodでも使われているのを知り、特許の仕組みを利用して金儲けをしただけのこと。肝心なのは、オヂサンが発明した仕組みそのものが直にiPod開発で活かされたのでもなければ、アップルに「盗まれた」のでもないことを、オヂサンもその弁護士も十分に分かっていたこと。そして、当然アップルも分かっていた。当事者全員がそれは十分に分かった上で、単に「先にアイディアを出した方がカネを請求する権利がある」的な特許の仕組みがあるために、オヂサンには金をもらう権利が、アップルに金を払う義務が生まれ、前者はその適用を、後者はその回避を求めて争い、結果オヂサンが勝ったというだけのハナシ。

だから、iPodが世界中で受け入れられ、持て囃され、売れまくったところで、オヂサンは「自分の発明」が世の中に認められたとか、世の中の役に立ったとは少しも思えない(口で何を言っても、本心はそうだ)。

これを最近のことで言えば、新元号「令和」をどこかの誰かがたまたま言い当てたところで、当てた当人は新元号の選定に何の貢献もしてない、というのと同じ。予想がたまたま当たっただけで、新元号の選定に関わっていないのだから。だがもしここに〔新元号を最初に言い当てていた者には、政府にカネを請求できる権利がある〕という仕組みがあったら、その人は政府にカネを請求することはできる。しかし、カネは手に入っても、新元号選定になんの貢献もしていないという事実は変わらない。アップルに勝訴したオヂサンの立場もこれと全く同じ。

もっとイヤなのは、番組制作者自身も、今言ったようなことを全部分かっていること。つまり、オヂサンがそもそも「被害者」ではないことを分かった上で、だから「被害者である」とは一回も言わずに、しかし、全体の印象としてはなんとなく、巨大企業に大事なものを奪われた弱い個人の逆転劇にしたてあげようとしていて、そこが気にくわない。視聴者の気を引きたいのだろうけど、安直。

2019/04/14 アナトー・シキソ

2019年4月12日金曜日

8-9:手の石が作動し全てを吹き飛ばす


猫を追ってソノヒトが余の書斎に現れた。ソノヒトは余を見上げた。余はソノヒトを見下ろした。ソノヒトは書斎を見回し「靴を探しています」と云った。余はペンの尻で書棚の一つを指した。そこに鉄色の猫がいた。猫はキラキラ光る目でソノヒトを見下ろした。「なるほど、ありがとう」とソノヒトは云った。

余は書き物机に肘をついて、ソノヒトが書棚をよじ登る様子を眺めた。ソノヒトは二度書棚から滑落した。一度目は大した高さでもなかったが、二度目の時は無事では済まない高さだった。落ち方もよくなかった。事実、書斎の床に叩きつけられたソノヒトは、そのまま一週間ほど全く動くことがなかった。余は、おそらくもうダメだろうと思った。しかし八日目の朝、ふと書き物の手を止めて見てみると、ソノヒトはいつの間にか起き上がって、書棚の上で香箱を作っている猫を見上げていた。諦めた様子は見られなかった。事実ソノヒトは登攀を再開した。

余は驚いた。と同時に感心した。しかし気の毒にもなった。一体あれは何のための苦労だろう。逃げだした猫を連れ戻したところで、猫がそばに留まるのはほんのいっときに過ぎない。猫は必ずまたソノヒトの元を離れる。猫とは本来的にそういうものなのだ。であるなら、猫のことはきっぱり忘れて、この裸足の安寧にとどまり続けるべきではないのか。

余は、ソノヒトの努力と熱心を称えつつも、その無意味を、ソノヒトに説いた。それに対してソノヒトはただ「分かっています」と微笑んだ。しかしその微笑みは何も分かっていない者の微笑みだった。余は、書棚にへばりついたソノヒトの襟首をつまんで床に下ろした。そうしてソノヒトに虚無を説いた。宇宙、存在、時間の無意味と無価値をできるだけ優しい言葉で明らかにした。しかしソノヒトはやはり同じ微笑みを浮かべ「分かっています」を繰り返しただけだった。

余は落胆し、余の仕事に戻ることにした。猫はどうしたかと見てみると、いなかった。猫はソノヒトの足元にいた。自分で戻ったのだ。猫とはそういうものだ。猫はソノヒトを見上げて呑気にニャアと鳴いた。

こうしてソノヒトは靴を取り戻した。

ソノヒトは靴の紐を結び終えると、まっすぐに立って、正面の余を見た。ソノヒトの右の手の中には例の石が握られていた。そして不意にその石が作動した。その場の全てが吹き飛んだ。ソノヒトも消え、余も消えた。あとには深い水の底に待つ虚無の裏側だけが残った。

8-8:人体安置所


壁面がガラス張りの円形の人体安置所。ガラスの向こうを姥鮫の群れが周回している。シーツから足だけ出した人体を乗せた無数の安置台が整然と並ぶ。その間をレコードプレイヤーを乗せた車椅子を押して歩く青いワンピースの看護婦。後ろをヘッドホンをつけたソノヒトがついていく。ヘッドホンはレコードプレイヤーに繋がっている。レコードは回っている。針は溝をなぞっている。音楽はソノヒトの耳に届いている。

人体の多くは裸足だが中には靴を履いたものもあった。防ぎようのない手違いからソノヒトの靴も人体のどれかが履いているが、それがどの人体かはソノヒトが今聴いている音楽でわかるはずだ、と青いワンピースの看護婦は説明した。

暗い安置所の中を歩きながらソノヒトが聴いていた音楽は、逃げる男が岩や川や海に拒絶される歌だった。岩は叫び、川は血を流し、海は沸騰することで逃げる男を拒絶する。逃げる男は絶対者の不興を買ったのだ。絶対者の皮肉な勧めで向かった先で、逃げる男は遂に歓迎される。そこで待っていたのは、或る資格を持つ者にだけ、もはや逃げ回らずに済むだけのチカラを与えてくれる裏界者。歓迎は、逃げる男にその資格があることを意味する。

看護婦は正しかった。或る人体の近くに来た時、その足が、ソノヒトが聴いている歌に合わせてリズムをとっていた。看護婦に確かめると「間違いないでしょう」という答え。遂にここまで来た。ゴールは目の前だ。胸が苦しくなる感じを覚えながら、ソノヒトはヒクヒク動く靴に手を伸ばした。その時、その人体が、頭からシーツを被ったままでひょいと上体を起こした。
人体はシーツ越しに云った。
「死の超越?」
それからするりと足を組んで半跏座になった。
「永遠を獲得?」
人体は上半身を乗り出した。靴がシーツの中に隠れた。
「ダカラナニ?」
沈黙と不動。
シーツの人型がくにゃりと潰れた。下から一匹の猫が顔を出した。鋳造したての鉄の色をした猫。ソノヒトと目が合った。猫とソノヒトは見つめ合う。ヘッドホンの音楽が終わり、針が溝の終点で飛び跳ね始めた。ソノヒトは無意識に針の飛び跳ねを数えた。9まで数えた時、猫が低い姿勢でシーツを飛び出した。そして一目散に走り去る。
「追いかけなさい。このままだとまた靴に逃げられるわよ」
レコードをジャケットにしまいながら看護婦がソノヒトに忠告した。ソノヒトはヘッドホンを看護婦に返すと、あわてて逃げた猫の後を追った。

2019年4月6日土曜日

8-7:隙間に挟まれた子供


じっと待っていると廊下の天井が開いた。そこからロープを伝って、非常に痩せたとても背の高い係員が降りてきた。ヒョロナガの係員はギョロギョロ目玉で執拗に辺りの様子を伺い、やっと安心すると、長い腕を伸ばして、ドアを塞ぐ背中を向けた大男をひょいと持ち上げた。大男は写真を貼り付けただけの等身大パネルだった。係員が向きを変えた時に担いだパネルの表側が見えた。鏡になっていた。ソノヒトは鏡に映ったものを見てアッとなり、続いてナルホドと思った。

ソノヒトがドアを開けて靴のある部屋に入ると、空中に赤い矢印が浮かんで点滅していた。矢印が指している壁には隙間が空いていた。覗き込むと中に子供の顔があった。子供は瞬きをしない。それで目からは涙が溢れ続けていた。口も開いたまま。それでときどき涎が流れ落ちた。子供の顔は微動だにしないが、子供は生きていた。

首から上だけの女がソノヒトの左肩のあたりに現れて、「設計者のミスで、こんなところに隙間が出来てしまったんです」、同じく首から上だけの同じ顔をした別の女がソノヒトの右肩のあたりに現れて、「この子がここに挟まれてしまったことには特別な意味があるのだと思うのです」と云った。
子供は瞬きもせず、口も閉じず、ただ正面を見ている。
「この子があなたに伝えようとしていることが分かりますか?」
左肩の女の首が云った。
イヤとソノヒト。
「生が消えれば死も消える」
ナルホドとソノヒト。
右肩の女の首が云った。
「この子の今のこの状態がこそがこの子そのものでありこの子の生そのものなのですからこの子が生き続けることを諦めさせても諦めてもいけないのです」
挟まれた子供は深く息を吸い込もうとしたが、胸が圧迫されているのだろう、極浅い呼吸を一瞬だけして、元から青かった顔を更に青くした。それでソノヒトは、つい舌打ちをした。すると左肩と右肩の両方の女の首が同時に同じことを云った。
「あなたが何者なのか私には分かっています」
それからまた同時に、しかし今度は別々のことを云った。
左肩の女の首「よくぞ来てくれました」右肩の女の首「直ちに立ち去りなさい」
ソノヒトには壁に挟まれた子供の眼球が右にほんの少し動いたように見えた。

「おまたせ」
青いワンピースの看護婦がレコードプレイヤーが乗せた車椅子を押して現れ、子供の挟まった隙間から一枚のレコードを取り出した。看護婦はレコードをターンテーブルに乗せ、そっと針を落とした。

2019年4月5日金曜日

8-6:老学者モッカ・ドゴンスイ


大男が背中を向けて入口を塞いでいるので、ソノヒトは靴のある部屋に入れない。

元は高名な学者だったモッカ・ドゴンスイは昔、罰で巨大な五角形の鉄板を背負わされた。それ以来四つん這いの生活を続けている。背中の鉄板は立って歩くには重すぎるのだ。眠る時は或る工夫をするが具体的にどうするかは「恥ずかしくて云えない」と歯を見せて笑うモッカ・ドゴンスイ。その腕は鉄板の重さに耐えかねて絶えず震えていた。四つん這いの老人モッカ・ドゴンスイは、ソノヒトの足元から亀のように首を伸ばして耳打ちした。
「気配とは人間の耳には聞こえない超低周波音のことで、人間の体からはその超低周波が常に出ている。それを皮膚で感じ取ると、例えば背後にいる人の気配になる。気配は気のせいではない」
その言動。今も全く懲りていない。だがソノヒトはナルホドと思った。こんなすぐ近くにいるのだから、目の前で行く手を塞ぐ大男も自分の出す超低周波にまもなく
気付くに違いない。
ところが何も起こらない。
懲りない老学者の更なる耳打ち。
「ご存知か。あらゆる哺乳類は2億5千万回ずつ息をしたら、もう死ぬのだ。ネズミもゾウもヒトも同じ。人間はよく、自分がいつ死ぬか分からないと云いうが、それは違うのだな。これまでに何回息を吸ったかを記録しておけば、あと何回息が吸えるかが分かる。そうすれば、簡単な算数でいつ死ぬかも分かる。もちろん2億5千万回を数える前に死んでしまうこともあるだろうが、上限は2億5千万回。実に具体的な数字だ。呼吸回数を自動で数える装置を作るのはそう難しくはないから、そういう装置を作って、生まれたばかりの人間に取り付ければ、誰でも呼吸の残り回数が分かる。つまり人生の残り時間が分かるようになる。いや、実はそういう装置は既にあるのだ。そしてそれは、実際、生まれたばかりのアンタにも取り付けられた。ごらんなさい。この数字がアンタの残り呼吸回数だ。1万回を切っておる。1万回というと多そうだが、時間にするとあっという間だぞ。2秒に一呼吸として2万秒。ほんの6時間足らずだ。つまり、もうアンタに靴など必要ない!」
その時モッカ・ドゴンスイの四つん這いが潰れ、五角形の鉄板がモッカ・ドゴンスイの頭を潰した。鉄板の下から手足が4つとも出ていて、右手は通話中の電話を握っていた。ソノヒトは電話を拾って耳に当てた。電話の声は「そのまま30秒間何もしないで待て」と云った。

現の虚 2014-9-9【大団円あるいは初めに戻る】


その時突然深海プールの重い蓋が落ちて、ボクの右手首を切断しました。切り離された右手は、きっとソレを握りしめたまま、ソレと一緒に深い水の底に沈んで、地上に残されたボクは激しい痛みのために気を失ったのです。
ソレというのは?
半分に割れた石です。石の地図です。
石の地図?
はい。もう半分は別の誰かが持っています。石の地図は特殊な信号を発していて、それは低軌道上の人工衛星のレーダーに映ります。人工衛星に搭乗する監視員は、そのレーダーのオカゲで石の地図を持ったボクともう一人の誰かの位置を正確に知ることが出来るのです。
監視員というのは国際宇宙ステーションの乗組員のこと?
いえ。彼(あるいは彼らかもしれませんが)は異星人でしょう。地球人ではないはずです。
なぜそう思うの?
地球人にはそうする理由がないからです。半分に割れた石の地図を二人の人間に持たせて、それぞれの居場所を監視する理由が、地球人には思いつきません。
なるほどね。私にも思いつかない。
ですよね!
君を病院に担ぎ込んだ眼帯の人との関係は?
行きつけの喫茶店のマスターです。というか、あなたがそのマスターじゃないですか。いやだなあ。

私が駆けつけた時には、貯水槽の蓋は閉じていて、甲斐さんの姿も、あの男の姿もなかった。甲斐さんの車椅子が床に倒れ、ちぎれた右手が貯水槽の蓋のすぐ近くに落ちていた。そこで正確に何が起きたのか、私には分からない。私はいつものクールミントガムを口に入れ、ちぎれた右手を拾い上げた(職業柄、バラバラの人体には慣れている)。拾った右手を広げてみると、中からクシャクシャに丸めた手紙が出てきて、手紙にはこう書いてあった。

水面に顔をつけると水面から顔が出る。水に潜ると別の水面に浮かび上がる。水はそうやって世界を繋いでいる。水の深さは虚構だ。全ての水には水面しかない。

いや、これは手紙じゃないよ。世界完璧図書館所蔵のある本の破り取られた1ページさ。大昔に何者かが大切な蔵書を傷付けたんだ。もはや存在しないと思ってたけど、あったね。さっそく持ち帰って修繕だ。ああ、僕らの本職は世界完璧図書館の蔵書の永久管理人なんだ。

ビルの屋上を不法に占拠して暮らしている。雨水を飲み、一斗缶で火を燃やして汁を炊く。履ける靴もある。猫も一匹いる。そんな俺を度々訪ね、最後に柵を越えて飛び降りたソイツは、結局一度も俺の前ではそのピンクのウサギの着ぐるみを脱がなかった。

2019年4月4日木曜日

8-5:逆旅麻雀


ガラス張りの天井の上をリュウグウノツカイが泳ぐ薄暗い部屋で雀卓を囲む。
世界の誰とも似ていない隻眼の紳士が牌を鳴らしながら云った。
「すでに生命機構から自立してしまった知性体は、地球人類にもその文明にも何の関心も示さないでしょう。なぜなら生物として始まった知性が辿り着くべきゴールとして既に彼ら自身が存在しているからです。目的地に着いてから地図をひろげても仕様がありませんからね」
物腰の柔らかい男が尋ねる。
「今もし猿や猫や蛸に高度な知性体としての兆しが見えたら、人間は彼らを歓迎するでしょうか?」
車椅子の老人は付き添いの若い看護婦から受け取った牌を顔に近づけ、ふんと鼻を鳴らした。脳に繋いだ装置が老人の考えを伝える。
「知性進化の研究材料としては有用でしょうが、それだけですな。資源の分配から権利の保証まで、人間は人間同士でさえ、そうした問題を未だに解決できてはいない。もしそこに新たに高等な知性体が現れたら、問題が自分たち以外にも拡大するわけです。裏山の火事にオロオロしているうちに、向かいの山からも煙が上がるようなもので、人間は間違いなく、排斥と殲滅を図るでしょう」
ソノヒトは牌をつまみ上げ、捨てた。
隻眼の紳士が云った。
「学者たちは人間を含めた全ての地球生命は地球上の至る所で同時多発的に発生したのではなく、特定の一カ所で発生したあと徐々に広まったと考えていますが、知性も、広い宇宙のアチコチで発生するのではなく、どこか特定の場所で発生し、それが全宇宙に広まるという筋道を辿るのかもしれません。もしそうなら、現に一定程度の知的存在である地球人類がその道の上にいることもありえます。しかし一方で、地球人類に充分先行する別の知的存在が既に存在するなら、地球人類の前途は相当に厳しいものになるでしょう」
物腰の柔らかい男が頷く。
「完全な知性体はその完全さゆえに、どこで始まり、どの経路を辿ろうとも、全て同じにならざるを得ず、ならばそれは全宇宙にひとつで充分ですからね。結局、個性とは不完全さの云い替えに過ぎません」
車椅子の老人は看護婦に口を拭いてもらう。
「円ですよ。完全な円からすれば、それ以外の図形は、三角形も百角形も兆角形もただの不完全な円です。完全な円はそれ一つで全宇宙の需要を満たすのです」
ソノヒトの四暗刻。三人は一斉にソノヒトを見た。看護婦が、靴を預かっているのであとで部屋に取りに来るように云った。

現の虚 2014-9-8【深い水の底に眠る】


窓から俺の部屋に入って来た暗視ゴーグルの女は、低血糖症で動けなくなった俺の顔にスプレーを吹き付けながら、世界のサカイメを支配するのは人の記憶よ、と云った。暗視ゴーグルの女は俺の後頭部に手を当てると、ゲーム画面を表示したコンピュータのモニターに俺の顔を押し付けた。てっきりブラウン管(恐ろしいほどの旧型なのだ)だと思っていたそれは実は水面で、俺は顔を水の中に押し付けられて息ができない。水中から顔を出そうと慌てて頭を引いたら、どう間違えたのか本当は引いた側が水中で、俺は鼻と口から思い切り水を吸い込む。ガラス張りの水槽の中でもがく俺は、硬質ガラスの向うに腕組みをして立っている暗視ゴールグの女を見つけ、助けを求める。するとなぜか女の声が耳元で囁くように聞こえる。

ここでは物理法則ではなく記憶が支配してるって云ったでしょう。助かりたければ自分の記憶の道を辿り抜けることね。

俺の眉間に小さな稲妻が走った。

深海プール。ここは深海プールの中だ。

慌てる必要はない。俺は真鍮で出来た頑丈な潜水服に守られている。太くて丈夫な管を通じて新鮮な空気も絶えず送り込まれている。プールの壁にはライトが灯っているから、深く潜っても決して暗闇にはならない。全てが順調。俺は潜水服の重みでゆっくりと確実に深海プールの底へと降りて行く。

深い水の底に、それは本当にあった。分厚いアクリル樹脂で出来た透明の棺。中には、長い髪の、だが手脚のない裸の白い女が横たわっている。いや、女は手脚がないのではなく、萎縮して(あるいは溶けて)小さくなっているだけだ。白い女の切り開かれた喉には、3本の管が差し込まれていた。赤と白の二本が気管へ、黄色い一本が食道に差し込まれていることを俺は知っている。更に、白い女の頭と体からはコードが何本も伸びている。それが枕元の装置に繋がって、装置はチカチカと赤や黄や緑の発光ダイオードを光らせていた。

俺は潜水服の腹のポケットから小瓶を取り出した。中身は合成樹脂を食べるバクテリアの濃縮液だ。ハチミツのようにドロッとした金色のソレを棺の蓋の上に垂らすと、少し凹んだ中央に集まって溜まった。見えはしないがバクテリアはもう食べはじめている。棺は三日と保たないだろう。

不意に白い女が瞼を上げ、俺を見た。白い女は無表情のまましばらく俺を見て、それからすっと視線を動かした。その視線の先には人間の右手がゆらゆらと漂っていた。

2019年4月3日水曜日

8-4:ケセラー医師の魚の日


「私は画期的な死刑を思いつきましたよ。自殺刑です」とケセラー医師は云った。「死刑囚の苦しみは刑が執行されるまでのものです。死んでしまえば、苦しみも何もありはしませんからね。体験の主体がなくなれば、体験そのものが消える。刑の執行は死刑囚にとって或る種の救いでしょう」
ケセラー医師は、よく切れるナイフで肉を切り分けて口に運ぶ。新しいが出来の良い赤ワインを一口飲んで、ウムと頷く。
「一方、死刑執行人、というか、まあ刑務官ですかな、彼らの苦悩は、まさに刑の執行によって生まれ、その後ずっと続くのです」
ケセラー医師がソノヒトを食事に招待したのは治療の一環である。ケセラー医師にとって火傷の一番の薬は肉であり、彼は主治医としての義務を果たしたのだ。
「死刑囚は刑に処されるべきですが、しかし、その刑の執行のために罪もない人間が苦しめられてはならない」
ケセラー医師が皿の上で切り分けているのは、よく見ればただの生肉である。いや、臓器である。それも腫瘍のある。ケセラー医師は臓器から変色した腫瘍を切り取って口に運ぶ。目を閉じ、微笑み、ワインを一口。
「さてそこで自殺刑です。自殺刑も死刑の一種ですが、刑を執行するのが死刑囚自身だという点が画期的なのですな。自分で自分に刑を執行すれば誰も苦しめません。自殺刑の導入には費用も大してかかりませんよ。通電ボタンを死刑囚自身の手元に置けるように少し改造するだけで現行の電気椅子がそのまま使えますからな。絞首刑なら更にお手軽ですよ。死刑囚自ら穴に飛び込めばいいだけですから。おや、いけませんね。ちっとも召し上がらない。それとも肉はお嫌いでしたか?」
ソノヒトが何か答える前に、ケセラー医師はあっと云って掌で自分の額を叩いた。「なるほど、今日は魚の日でしたな!」
ケセラー医師はすぐに給仕に指示した。「肉料理」が下げられ、代わりに「魚料理」が置かれた。設備、広さ、調度品。とても深海艇の中とは思えなかった。しかし深度計の針は確実に動いている。こうしている間もソノヒトは深海プールの底に近づいているのである。
「人間の肉差別の起源は何だとお考えですか。つまり、或る生き物の肉は食べていいが、或る生き物の肉はダメだというアレのことですがね…」
「魚」に手をつけようとした時、給仕がやって来てソノヒトにメモを渡した。メモには「個体発生は系統発生を繰り返す」とあった。
深海艇の外で女の叫ぶ声がした。

現の虚 2014-9-7【夜の10時半に集金が来る】


ためしに始めた大昔の古いコンピュータゲームに夢中になっているとインターホンが鳴った。時計を見た。ちょうど10時半。夜の10時半だ。俺は聞こえなかったことにした。すると訪問者はドアを小さくノックして、小声で俺の名を呼んだ。新聞屋だ。集金だろう。

俺は現実世界を無視して、ゲームの世界に戻った。

ゲームの主人公である「俺」は、コンピュータの粗いドット絵の世界にいた。主人公「俺」自身も積み木のような粗いドット絵だ。大昔の古いゲームだからビジュアル的にはこんなもので、またそれが味わい深さでもある。

「俺」は今、暗い塔のような場所にいて、下層に向かって階段を下り続けている。怪物と遭遇して闘ったりはしない。代わりにたくさんの変人、怪人と出会う。彼らは襲って来ることはない。不思議な振る舞いや、謎のコトバや、使い道の分からないアイテムを提示するだけだ。それらを、プレイヤーである俺が一旦現実世界に引き受けて、実際に知識のある人に訊いたり、自分で考えたり、図書館で調べたりして答えを見つける。答えは「意味」と云い換えてもいい。見つけた「意味」は、キーボードを使って、ゲーム内の主人公「俺」の「心」に打ち込む。すると、ゲームの世界では主人公「俺」が「そういう意味だと思った」というコトになって、ゲームの物語が進展する。

という、あんまりよく分からないゲームシステム。

なぜあんまりよく分からないのかと云うと、プレイヤーの俺が見つけた「意味」、つまりゲームの主人公の「俺」が「考えた意味」が何であっても、とにかく、それがナンラカの意味をなしていれば(意味をなさない文字の羅列でなければ)、「物語」は進展するからだ。要するに、適当に思いついたデタラメな「意味」を「俺」の「心」に与えても、それは有効な「回答」としてゲームを先に進める鍵になる。

二つの不穏。一つは「意味」がナンデモいいなら、そもそも課題をクリアして行くことが基本原理であるゲームというものそれ自体に背いているのではないかということ。もう一つは、求められる「意味」には実は「正解」が存在していて、もし全てに「正解」すれば「正しい」物語展開や結末に到達できるのではないかという疑念や希望が常にあるのに、そうした「正解」が本当に存在するのかどうかを確かめようがないのはなぜか、ということ。

またインターホンが鳴った。時計を見ると11時を過ぎている。
俺は今度は返事をした。

2019年4月1日月曜日

現の虚 2014-9-6【深海プール】


俺はあてがわれた部屋で早めに寝た。真夜中、ドアを叩く音で目が覚めた。開けると、首に包帯を巻いた痩せ過ぎの白い少女が立っていた。少女は白い花のついた木の枝を俺に渡すと、手品師のように空中からカードを一枚取り出した。カードには「シキミ」と書かれていた。少女は手を踊らせてそのカードを消し、反対の手から別のカードを出した。

世界王者がお待ちデス

世界王者は丸い敷物の上に座ってヨガの呼吸法を続けている。世界王者の部屋はイルカの写真だらけだ。俺の横に立って一緒に世界王者の様子を見ていた白い少女が空中からカードを取り出して俺に見せた。

潜水の世界王者で記録は四百呎デス

潜水の世界王者と白い少女と俺は、右側だけに窓が続く長くて狭い廊下を歩いて行き止まりの壁に隠されていた秘密のエレベータに乗り込んだ。精神を集中させている世界王者は何もしない。白い少女も空中からカードを出す以外何もしない。俺は秘密のエレベータの操作手順を読み、ボタンとレバーを操作して機械を作動させた。

到着した最上階はフロア全体がひとつの部屋だった。天井が低く照明はない。壁にはハメ殺しの窓がずらりと並んで、空気は妙に重油臭い。大きな船のデッキのようだ。

俺は緑に光るランプに気付いた。近づくとボタンで、振り返って少女を見ると頷いたので押した。ランプは点滅する赤に変わった。一拍おいて、ドーンとどこかで音がした。更に一拍おいて、部屋の中央の天井から垂れた太い鎖がチャリチャリ鳴り始めた。やがて鎖は部屋の床から大きな円形の蓋を持ち上げた。蓋の下からはキラキラ光る水面が現れた。白い少女が空中からカードを取り出し俺に示す。

深海プールデス

潜水の世界王者はすでに深海プールの縁に腰を下ろして臨戦態勢に入っている。天井から水底に伸びたロープに繋がれた潜水用装置(体力を使わず水に潜れる)のハンドルを掴んで呼吸を整える。どこからかカウントダウンの声がして、それがゼロになった。世界王者は息を大きく吸い込んで水の中に滑り込んだ。

と同時に天井の蓋が落ち、光る水面を隠した。

俺はまだ自分の部屋にいた。開いたドアの外に、喉を切り裂かれた白い少女が血を流しながら立っていた。片手で喉の傷を押さえ、もう片方の手で握った俺の右手を指さす。広げてみると緑色の五角形の木の実がひとつ。白い少女はその実を摘むと、俺に口を開けるよう、自分の口をあーんと開いた。

シキミノミハタベルトシヌ。

8-3:世界の誰とも似ていない紳士


ソノヒトが深海プールに飛び込むと、やはり光は水底からやってくる。暗いはずの水底が明るいのも奇妙だが、まるで浮力を感じないのはもっと奇妙だった。浮力は感じないが、さりとて沈むわけでもない。比重が同じなのだとソノヒトは気づいた。してみると、この水はただの海水ではない。

ソノヒトは自分の体と同じ比重を持つ謎の液体の中で上下が分からなくなったが、ともかく明るい水底に向かって腕と足を動かし続けた。するといきなり水面に顔が出て驚いた。今出た水面はさっき飛び込んだ水面とは違った。部屋の作りは似ていたが、天井には煌々と明かりが灯っていた。あるいは、プールに潜っている間に照明がつけられ、それがために、まるで街灯に引き寄せられる虫のように方向感覚がおかしくなってしまい、それで、水底に向かっているつもりが、元の水面に戻っただけなのかもしれない、とソノヒトは考えたが、そうではないことがまもなく分かった。ソノヒトを出迎えてくれた杖をついた片麻痺の紳士が、ここが一つ上の階だと教えてくれたからだ。一つ下ではないのかとソノヒトが確かめると、紳士は「なぜ?」と訊いた。ソノヒトは答えられなかった。

紳士の左目は眼帯で覆われ、その顔は世界の誰とも似ていなかった。

世界の誰とも似ていない隻眼の紳士は、ソノヒトをシャワー室まで連れて行く途中にあった階段を杖の先で指し、今日の麻雀大会はあの上でやるのだと云った。麻雀を知らないソノヒトはただ、そうですかと答えた。

ソノヒトがシャワーを使っている間、世界の誰とも似ていない紳士は、すぐ外の壁にもたれかかり、麻痺した左手に嵌めたツイードの手袋の指先を引っ張ったり戻したりしながら、全知全能神を崇めるありとあらゆる宗教は、『全ては無価値で無意味』というシンプルかつ美しく揺るぎない事実に対する、人間の涙ながらの無益な抗弁なのだと嘆いた。無論、シャワーを使っていたソノヒトにはただの一言も聞き取れなかった。

ソノヒトはシャワーの水に、水ではない液体が混じっていることに気づいた。最初その液体が何なのか分からなかった。水の割合が徐々に減り、水ではない液体の割合が増えてきて、それがガソリンだと気づいたときには既に相当量を全身に浴びていた。ガソリンは燃えればもちろんだが、たとえ燃えなくても人間の皮膚を焼く。ソノヒトは今すぐ深海プールに飛び込むべきだと考えたが、それと同時に未知の化学反応も恐れた。