新型コロナウィルスの感染が疑われても、症状が軽ければ自宅待機/自宅療養ということになって一安心だ。病気そのものよりも、隔離されて普段の生活場所から切り離されることの方が大問題になるヒトたちが圧倒的に多いはずだからだ。例えば、1人暮らしで、赤ん坊やネコやガー(熱帯魚)の世話をしているヒトなどがそうだ。
生命現象にとって、ウィルスというのは、まあ、毎年来る台風みたいなもので、或る種の「掃除屋」。新型となると、さらに念の入った本格的な掃除屋というところ。そういう「大風」が吹き荒れて、古い木や弱った木をなぎ倒して、海の底をかき混ぜることで、生物環境の新陳代謝を促す。人間で言えば、老人や病気持ちに「死の機会」をもたらす。
もちろん、人間は生命現象である以上に知性現象なので、生命現象では当たり前の定期的な「大掃除」に個人として誰も巻き込まれたくはない。生命現象としては、年寄りや病人を定期的に一掃することはむしろ「好ましい」ことだとしても、知性現象として、そんなのおぞましいばかりで全然納得できない。
何度も言うように(そしてこれからも何度も言うだろが)、人間が抱える問題や不合理や、人間が生み出す害悪は、すべて、人間が生命現象という機構の中にとどまっているために起こる。言い換えると、人間の知性現象がいつまでも生命現象という「媒体」に頼っているからこそ起こる。人間が今乗り越えられないでいる数多くの問題や難題や悩みは、すべてこの生命現象という「媒体」が理由。
ちょうど、物語後半で、機械(マシン)としてガンダムが、ニュータイプとして覚醒したアムロの反応(パイロット能力)についてこれなくなったように(其の場凌ぎ的にモスク・ハン博士のマグネットコーティングで最終回までごまかして、そこでジオングと刺し違えて壊れた)、人間の知性現象の側面(というかまあ、本質なんだけど)に、人間の生命現象の側面(というか媒体/機構/まあ、やっぱりこれもガンダムと同じ機械やね)が追いつけなくなり、対応しきれなくなったことで起こるのが人間の諸問題。
ガンダムといえば、『Gのレコンギスタ』(だっけ?)を見たいなあと思ったら、富野さん当人が、オトナが見ても仕方がないよ的なことを言っていたので、見るのをやめた。ただ、富野さんのは、他の連中が作るガンダムと違って、世界像に得体の知れないデカさあるから好きなんだよな。他の連中のはただの…