「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年4月25日水曜日
グルグル眼鏡
グルグル眼鏡のアイツが友達。
ちっとも勉強しないアイツが眼鏡で、
勉強している僕の顔には眼鏡がない。
あのグルグルで、空を見あげる。星を見る。
何か見つけて、拾って帰る。
あのグルグルで、世界の渦巻き探してる。
溺れたのに死ななかった
溺れたのに死ななかった。
ぶくぶく沈んで底まで行った。
息することを思い出さないようにして、
そのまま岸までどんどん歩いて助かった。
でも、それきり息することを忘れてて、
夕べ思い出した時には、もう死んでいた。
突然、出て行った
突然、出て行った。
置き手紙もない。
ケータイも置いたまま。
心当たりを全部調べてまわった。
でもいなかった。
ちゃぶ台の前に胡座をかいて、
缶ビールを開けたとき初めて気が付いた。
右足の裏の「サヨナラ」の四文字。
手術が長引いてる
手術開始から、はや七年。
手術室の赤いランプは一向に消える気配がない。
時々、医者や看護師が出入りして、
通りすがり、長椅子の僕に向かって、
大丈夫ですよ、安心して下さい、
などと云うが、僕は心配でたまらない。
2018年4月24日火曜日
3-3:非デジャブ
海の近くに泊まる。土地の名前は先住民の言葉で「釜をかけたり」。ホテルは木造モルタル二階建てで、古くもないし新しくもないが、清潔感はあり気分がいい。そして当然海が近い。部屋にある小さなベランダの下は砂浜だ。無論、砂浜に建っているわけではないが、砂浜ギリギリには建っている。ベランダの手すりから身を乗り出すと、下は砂浜だ。窓枠の風景もまるで海の上。しかし、散々フェリーで揺られてまた海かと思わせないところが海の面白さ。
晩飯。下のレストランに行く。他に客はいなかった。そもそも泊まり客自体が他にいない。気配がない。図らずも貸し切り。茸のパスタと地ビールを気分良く平らげる。
部屋に帰ってテレビをつけると、視聴者の依頼を探偵に扮した芸能人が調査する番組をやっていた。しばらく眺めていて、既に観た内容だと気づく。新聞を調べたが再放送ではない。しかし確かに既に観ている。デジャブではない。デジャブは所詮あと出しジャンケンだが、これはそれとは違う。展開と結果を先に云える。つまり、デジャブではない。
CM。女の声のナレーション:
デジャブ。今初めて見たものを既に知っていると感じる時、実際には「今この瞬間」の知覚すなわち体験が、瞬時に「過去」に送り込まれ、過去の体験として「思い出される」のです。故に認識者がそれを「既に知っている」と思うのは自然な反応です。認識者が「以前から」と思う、その認識自体は実は誤りでありません。なぜなら、厳密に云えば、どんな知覚=体験も、脳による処理の過程で、全て「過去」の出来事になってしまうからです。脳は、体験と認識との時間差をあらかじめ織り込み、それらを「同時」と錯覚させる或る種の「嘘」をつくことで、私たちの日常体験の根幹を支える重要な機構となっているのです。デジャブについてお悩みの方、更に詳しくお知りになりたい方は、是非、当社まで。C-O-B-E。私たちはコービーです。
仏壇屋のCMに変わった。大昔の幼児が手を合わせる。
テレビを消した。今は睡魔。これをどうにかしたい。無闇に大きいベッドに潜り込み目を閉じた。
目を開いた。暗い。日の出前。どれほど眠り続けるだろうと思ったら、翌朝普通に目が覚めた。睡眠負債の案外な低金利。ともかく、フェリーで取り損ねた分は全て取り戻した。
朝飯後に近所を歩いて、一軒しかない食料品店で梨を買った。部屋に帰ってから、食料品店で借りた包丁でその梨を切った。
2018年4月23日月曜日
3-2:四半世紀人
先住民の言葉で「砂の入江」。そういう名前の海岸に来た。迎えの者が是非にと勧めたからだが、本当は勧誘者自身の念願。脇道に入って車を降り、崖を下った普通の砂浜の「立ち入り禁止」の向こうに見上げる崖の途中の奇妙な建物。
「竜宮です」と迎えの者。
竜宮は海の底ですよ。
「竜宮です」
迎えの者は満足げだ。確かに建築様式が独特で浦島太郎が一杯やっていそうだが、アメリカ映画に出てくる忍者を連想させる違和感もある。少しすると迎えの者が「ちょっと失礼」といなくなった。来た崖の上にオバケ公衆便所があった。一人になると睡魔が勢力を盛り返してきた。堪らず近くの岩に腰を下ろし目を閉じる。
「ちょっとヨロシイかしら?」
肩を叩かれて振り返ると、怪士(あやかし)の能面のような顔の女が立っていた。女はニジューゴネンジンについて話したいがいいかと訊いた。
ニジューゴネンジン?
「正確にはその優しさの源についてです」
どうぞ。
怪士面の女の話:
ニジューゴネンジン、別名〈四半世紀人〉は生まれて25年経つと子供を産む。その点で、有名な〈17年ゼミ〉いわゆる〈素数ゼミ〉と似ている。(無論25は素数ではありませんよ)。ニジューゴネンジンの赤ん坊には両親が居る。その両親は25年前に生まれた。更にその25年前に祖父母が生まれ、その更に25年前には曾祖父母が生まれた。(彼らが四半世紀人と呼ばれる所以です)。人数は、最初の赤ん坊が一人。次の両親が二人、祖父母は4人、曾祖父母は8人。それぞれの人数を2の累乗で表すと、指数はそれぞれ、0、1、2、3。指数は百年で4カウントずつ増えていくので、千年でざっくり40になる。(あくまでザックリとですが)。現在のニジューゴネンジンの人口は70億。四十年前は30億。千年前はもっとずっと少ない。しかし上の計算に従うなら千年前の先祖の数は2の40乗人。約1兆人。ここに論点がある。現実に生きた先祖の数が、計算上の先祖の数よりも何桁も少ない。この圧倒的不等号の〈意味〉を理解すること。
「つまり」と怪士面の女は云った。「全てのニジューゴネンジンは家族なのです。主義主張としてではなく、喩えでも希望でもなく事実としてそうなのです。これがニジューゴネンジンの優しさの源です」
そうなりますか…
「参加無料の講習会に是非どうぞ」
怪士面の女はパンフレットを差し出した。受け取って表紙を見ると、そこには「COBE主催」の文字があった。
2018年4月22日日曜日
3-1:ベンザ問題
フェリーを降りてから到着の電話をした。自家用車で迎えに来ると云う。
自分:何時頃?
相手:今何時?
時計を観た。午前9時。
相手:昼までに。
自分:昼までに?
相手:はい。
自分:じゃあそれで。
相手:はい。じゃあ。
電話を切った。(じゃあってなんだ?)
初上陸の最北の地。既にはっきりと寒い。ともかく待ち合わせの駅に向かう。歩き始めて気付いた。猛烈に眠い。思い返してみるとゆうべはいくらも寝ていない。なぜだかウトウトしているうちに朝になってしまったのだ。
駅に着いた。9時半にもなっていない。港町は港と駅が近すぎる。珈琲屋に入って一杯注文した。珈琲と煙草は人間の証し。動物にはどちらも必要ない。変なガラスの灰皿に灰を落とし、メニュー立てからメニューを取って開いてみるとノートだった。(メニューは床に落ちていたので拾って戻した)
【ノートの中身】
男が使用後に便座を下ろしておかないことを非難する女の中にも、そうと決めても使用後に便器の蓋を下ろしておくことができない者は多い。そもそも洋式便器の蓋は使用後に閉めておくためにある。故に、使用後に便座を下ろさない不埒な男も、使用後に蓋を下ろさない怠惰な女に対してだけはこう主張していい。「使った後の便座はちゃんと〈上げて〉おけ!」と。要点は、自分は蓋を下ろさないのに便座が下りてないことに腹を立てる女は、単に自分が使いやすいかどうかだけの都合で腹を立てているのだから、入ってすぐに立って小便が出来るように便座を上げておくべきだと男が主張したとしても、それを否定することは出来ないということ。(COBE)
なんだいこりゃ?
ページを繰ろうとしたら珈琲が来た。ノートを脇に置く。さっきは気付かなかったが表紙にも「COBE」。COBEといえばCosmic Background Explorerで、それならアメリカの深宇宙探査衛星。宇宙マイクロ波背景放射を最初に観測した衛星だが、まあ、関係は無いだろう。
「それ、私のなんで、返して下さい」
ウェイトレスが云った。〈それ〉とはノートのことだ。いつまでも帰らないのでオカシイと思った。ノートを手渡しながらCOBEの意味を訊いたが、無視/無回答。そのままノートを持って立ち去ってしまった。
外は曇って来た。更に寒そうだ。珈琲を啜る。人の気配に振り返ると、さっきとは違うウェイトレス。湯気の立つ珈琲を盆に乗せて立っている。
「あら、もう来てますね、珈琲」
2018年4月17日火曜日
2-9:鏡像
寒い。目が覚めた。納棺された夢を見た。棺は冷蔵庫。冷蔵庫が棺。庫内の温度は摂氏10度以下で夏でもドライアイスなしで遺体が痛まないのは発明だが、(死体の体温は室温のはずだから、室温より温度が低いと死体も寒いんじゃないかな)と、船室のベッドの上で震えながら考える。無論、道理は粉々に砕けている。夢の無重力の影響が残っているのだ。
重力は徐々に戻って来た。
口の中が苦い。
(歯を磨かなくては…)
洗面所の鏡の前に行く。
鏡にヒビが入っている。
ナニカをぶつけたのだ。
ぶつけたナニカはすぐに分かった。
鏡の中の顔が眉間から血を流している。
触る。
痛みはない。
顔を洗う。
顔を上げる。
鏡の中の眉間から血が流れ出す。
また顔を洗う。
また上げる。
また流血。
止血するものが要る。
(そんな都合のいいものがあったかな?)
タオルくらいは、と鞄を探る。
あった…だがタオルではない。
包帯の新品。
(いつの間に?)
鏡の前に戻る。
巻き方を知らない。
とにかく巻いてみる。
鉢巻き状にしてみた。
これでは眉間の傷を覆えない。
眉間を覆うにはバツの字に巻くしかない。
そうした。
鏡を見る。
まあまあだ。
血が滲んで来る様子もない。
(なぜだろう? たまたま巧く傷を塞いだ?)
まあいい。
残りを適当に顔の上下に巻きつける。
出来上がりを見て笑う。
ミイラか透明人間。
しかしこれでいい。
この顔に見覚えがある。
なるほど、と思う。
なるほどアイツはコイツだと納得する。
煙草をつける。
煙を吐く。
また笑う。
(そうだ。歯を磨くのを忘れてた…)
煙草を消す。
顔を上げる。
鏡の中に包帯でぐるぐる巻きの顔。
(一体、何のつもりだ?)
包帯を外す。
ゆっくりと巻き取っていく。
全て取って、顔中くまなく調べる。
傷も何もない。
巻き取った包帯を眺める。
捨てようかと思ったがやめる。
屈んで、鞄の奥に突っ込む。
体を起こしたときに耳の石がズレた。
目が回り、無重力が戻って来る。
(傷を負ったのは顔ではない。別の箇所だ。顔の包帯はその象徴に過ぎない)
ふらついて、バランスを崩す。
額をナニカにぶつけた。
割れる音。
(鏡?)
目眩が止まらず眼を開けられない。
それでも世界はグルグルと回り続ける。
(それはそうだ。誰も観ていなくても世界は回り続ける)
ドアをノックする音にハッとなる。目を閉じたまま返事する。フェリーが港に着いても下船していない客が居るというので乗組員が船室に様子を見に来たのだ。
了解し、すぐに降りる旨を伝え、目を開けた。
2018年4月16日月曜日
2-8:待合室
その25分後。
一人は顔面包帯巻きで詰襟。青い煙を立てて一人掛けのソファに腰を下ろしている。斜向いの二人掛けソファには二つの大きなジャガイモ袋が座る。
「中身はジャガイモではありませんよ」
ジャガイモ袋の一つが云う(男の声)。
「ただの年金暮らしの夫婦ですわ」
隣のジャガイモ袋がホホホと笑う(女の声)。
「コイツはつまり防護服です」
【ジャガイモ袋防護服の着用法】
(1)一人当たり二つのジャガイモ袋を用意します。
(2)袋に両脚を入れて胸まで引き上げます。
(3)別の袋を頭から被って腰まで下ろします。
(行政発行の小冊子より)
ジャガイモ袋の夫は小冊子を袋の中にしまう。
周囲を埋め尽くすガラクタは、家具、食器、家電、瓶と缶。裂けて垂れ下がった赤いカーテンと、ゴッホの渦巻きのように宙を舞う大量の塵埃。
夫のジャガイモ袋が云った。
「あなたのお顔の包帯も今度の爆弾で?」
相手が何とも答えないうちに妻のジャガイモ袋が
「まあ、それはお気の毒にねえ…」
空井戸に小石を落すとこんな音がする。ただ云ってるだけのオクヤミ。
「幸い私たちは二人ともどこも何ともありません」
「本当にありがたいことですわ」
「このジャガイモ袋のオカゲだよ」
「まったくね。家の中はメチャクチャになったけど」
「それでも怪我がなかったのはナニヨリさ」
「本当に」
床のガラクタの中から電気ポットが這い出した。両手に揃いの紅茶茶碗をぶら下げている。脛毛の生えた丈夫そうな二本の脚。大きく跳躍してテーブルに登った。電気ポットは夫婦の前に紅茶茶碗を並べ、安全装置を自分で解除すると、湯気の立つ中身を二つの茶碗に注いだ。
「あら、紅茶じゃないわ」
そう云って見せた中身は、月のない真夜中のようなブラック珈琲。
「状況を考えると贅沢は云えないさ」
「でも私ブラック珈琲は飲めないのよ」
「冷蔵庫に牛乳があったろう?」
「カフェオレね」
夫のジャガイモ袋から伸びた腕が、床に仰向けに倒れた冷蔵庫を開けた。
「おや、ダメだ。固まってるよ」
夫のジャガイモ袋は牛乳瓶を振った。
「きっと今度の爆弾の熱のせいだわ」
「いや。電気が止まったせいさ」
逆さにした牛乳瓶から白い液体がぼとりと落ちた。
「冷蔵庫が動かなくてそれで腐ったんだよ」
いや。電気は止まってない。冷蔵庫も冷えている。証拠は庫内に横たわる真っ白な凍死体。裸足の親指に「見本品」のタグがあり、捲ると小さな活字で「中身はレジでお渡しします」と書かれている。
2018年4月15日日曜日
2-7:テープレコーダー
あと一晩で港。明日には新天地。体力も神経も消耗するだろう。
早めに寝る。
枕に頭をつけたらナニカが当たった。異物。枕カバーに手を入れる。ある。取り出した。マイクロカセットテープレコーダー。テープが装着済み。イジェクトボタン。取り出す。裏表。手がかりなし。未知のテープを装置に戻す。
再生。
ハブが回る。
声)もしもし、エディ?
留守電のテープらしい。
声)そう、そりゃよかった…
ちがった。電話の録音だ。しかし相手の声は聞こえない。代わりに無音が挟まる。
声)でさ、ウン…そうなんだけど…
声)あの…大事なこと先に云っていい?
声)いきなりだけど、この電話盗聴されてるんだ。
一旦止める。
ナンダコレ?
まあ、いい。再生。
声)どこかに盗聴器が…(ガサゴソ音)あるはずなんだけど…で、たぶん録音もされてるから滅多なことは話せないんだけど…ないなあ、どこだろう?
声)そう。裁判で証拠にされるからね…
声)うん、そう、そのとおり。でも、もう構わないことにしたよ。
声)何って…トム少佐のことだけど。確かにいうとおりだと思ってね。あと、ジュディについてはこちらからは一切話さないから。
次々と登場人物。盗聴の事実を知りながら?
煙草をつけた。
声)ダメダメ。ここは今、禁煙だから。
おっと…。テープを止めて室内を見回す。船窓の円内は夜の海のはずだが今は何も見えない。ふうと煙を吐いて再生。
声)猫に遠慮してるんだよ。だから本当は禁煙じゃなくて断煙。つまり吸う本数を二十年に一本くらいに減らしただけで、やめたわけじゃない。
吸っても吸わなくても死ぬんだから吸えばいいのさ。
声)そういうのってやっぱり死神に魅入られてるんだろうけど、死神なんて実はどうってことないんだよ。死神が祟るのは生命だけだから。
へえ。
声)本当に厄介なのはMr.SoWhat。あれは知性に直接に祟るからね。
…?
声)ダカラナニ氏のことだけど?
急いで止めた。手帳を取り出して古い自筆のメモを読み返す。
>死神は所詮生命現象に祟るだけ。人間にとっての本質的な問題ではない。
>本当に厄介なのはダカラナニ氏。こちらは知性現象に直接祟る。
さっきより真剣に室内を見回し、テープももう一度調べてみるが何もない。
煙草を消す。
再生。
声)そう。魔女の仕業。
声)思考が電波になって漏れ出す。
声)装置じゃない。病気。こっそり感染させる。
声)そうさ。巧妙なのさ。
声)いや、治療法はあるよ。
声)患部の右手を切り落とす。
2018年4月10日火曜日
2-6:フランス式サンドイッチ
食堂は憂鬱なので売店で晩飯を買う。店員は外国人。労働力不足なのか。
これは?
「ロワイヤルチーズ」
ハンバーガー?
「そう。クォーターパウンダー」
どっち?
「どっちも」
どっちもって?
「同じ」
意味が分からない。じゃ、これは?
「サンウィチーズ」
チーズ?
「ちがう。サンウィチーズ」
サンドイッチ?
「はい」
この長いバゲットまるごと?
「フランス風。チーズ入り。私、毎日食べてる」
これを?
「はい」
全部?
「はい」
どうやって?
「齧る。今朝も齧った」
このまま?
「齧ります。美味しいですよ!」
買った。紙に包まれたサンドイッチを抱えて部屋に帰る。ベッドに座って紙を拡げる。切るものがないのでそのまま齧った。堅い。堅いがなるほど美味い。
確かに!
齧るちぎる噛む噛む噛む。齧るちぎる噛む噛む噛む。
美味いが疲れた。咬筋不足。一緒に買った不味い珈琲を飲んで休憩。
再開。
齧るちぎる噛む噛む噛む。齧るちぎる噛む噛む噛む。
もうどの辺だろう?
テレビをつけた。何も映らないつもりが映った。陸の近くを離れず進んでいるせいだ。但しこの地方CMは観たことがないし天気予報の地図も違う。航海が進めばこれからもう一度変わるはずだ。
サンドイッチを齧る。
トトトトンとドアを叩く音。開けた。背の高い顎の尖った男。
(船長?)
恰好はそうだ。雰囲気は全然。入っていいかと訊く。答える前にもう入っていた。猫背気味。長身のせい。ふたつあるベッドのひとつに腰を下ろす。
早口。
「まず現在から始めてすぐに過去に戻る」
分かったかとコチラを指さすので頷く。
「それから現在を跳び越えて未来を見せる」
人指し指に頷く。
「そのあとで現在に戻って物語を閉じる」
また指したのでまた頷く。
「するとどうなると思う?」
今度は指ささない。コッチも頷かない。
「それは何だい?」
サンドイッチだと答える。
「へえ…」
早口の男は本題に戻る。
「観客は主人公の過去と未来を現在のうちに見る」
そう云っておいて、いや待てと手を広げた。
「分からないだろう。うん、これでは分からない」
少し考え、おおそうだと顔を上げる。
「原因と結末の後で途中に戻れば…」
気を使って自発的に頷く。
「死を否定することなく、しかも永遠に生きられる」
どうだこれで分かったろうという顔。
珍紛漢紛。
「それ、少しイイかな?」
サンドイッチをねだられた。
渡す。
バゲットの尻にカブりつく顎の尖った男。
「なんだ…マヨネーズが入ってるぞ」
顔をしかめて、ゆっくりと口を動かす。
2018年4月9日月曜日
2-5:フクロウ
フェリーの大浴場の湯に包帯巻きの顔のまま浸かっていると、あとから若い裸がドヤドヤと入ってきた。混浴だったかと最初は驚いたが、いや、単にどちらかが間違えただけかもしれない、あるいは、或る特殊な接待ということもなくはない、などと考え直し、様子を見ていると、隣で茹っていた灰皿のような眼鏡が云った。
「あのフクロウたちは見かけとは違います」
灰皿眼鏡は湯の中から名刺を出す。完全防水仕様。灰皿眼鏡は派遣会社「梟の森」の社長で、裸のフクロウたちはその所属タレント。慰安旅行中だという。
「一緒に風呂に入って裸を見てもらえば仕事の宣伝にもなりますから」
しかし勝手に混浴にするのはどうだろう。
「いや、生物学的には混浴ではありませんからね」
つまり?
「だから、見かけとは違うと」
性改造人間?
「面白い云い方ですが、それならむしろ性改修人間です」
近くで見てもその完成度の高さはまるで天然物。とても人工物とは思えない。
巨大ディーゼルエンジンの排熱で湧かした湯に浸かった包帯と眼鏡と超性別連。全員無言で熱と水圧を堪能する。ふと閃き、包帯の中からイザという時の一本を抜き出し咥えた。しかし火がないことに気づく。すると隣にいたアフロヘアがモジャモジャ頭からターボライターを取り出して、ジェット噴射の青い炎で、湿った煙草に火をつけてくれた。
一服。
湯気と煙。
閃きを追った。
天然でも人工でも生命は生命。生物でも機械でも知性は知性。どちらも出自や機構には左右されない。出自は原因。機構は手段。しかし「女」はどうなのだろう? あるいは(同じことだが)「男」は? よくよく考えてみると、「女」も「男」も出自自体/機構自体なのかもしれない。「女」や「男」こそ、気の持ち様だと考えていたが、どうやらそうでもないらしい。現象として見た場合、「女(男)」は、生命に及ばないし、知性にも適わないが、物理と直結している可能性があるという点で、事実としてはその両方に優るのかもしれない。
「考えてますね?」
灰皿眼鏡が勘違いの目玉を動かし、安くしておくので一人どうかと勧める。
「このままお持ち帰りで構いません」
無論断る。
「滅多にないキカイだと思いますがね」
重ねて固辞。
「そうですか。ま、無理強いはしません」
「しかし性は虚構ですよ」と社長の唐突。「そうして虚構は母数つまりパラメータが全てです。ですから、例えば人工子宮装置が女でないのは母数が問題なんです」
逆上せた。
2018年4月8日日曜日
2-4:老人相撲
中央ホールでの余興はフェリー会社主催の相撲トーナメント。百歳王決定戦。百歳超えの老人達の戦い。決勝戦に間に合った。バーでホットミルクを注文する。胃の調子が良くないのだ。熱々を受け取り一口。仮設の土俵を遠巻きに立ち見。
東が白い締め込みの月ノ光(つきのひかり)。
西が黒い締め込みの黒蝙蝠(くろかわほり)。
双方ともに全身タイツの覆面姿。正体を隠すのは主に家族の希望(「いい歳をしてまったく…」)。どちらもヨチヨチ歩き。あるいはギクシャク歩き。仕切り線から塩の場所にヨチヨチ歩く。塩を摘んで投げる。それからまた仕切り線にギクシャク戻る。双方ともに蹲踞は出来ない。少し膝を曲げ、すぐに伸ばす。背中はずっと曲がり気味。ただし睨み合いだけは堂に入ってる。歳をとると体内時計の刻みが遅くなる。すなわち老人にとっての五秒は周囲の十秒。老人は少し植物に近づく。
たっぷり一分間睨み合った。
周りから拍手が起こる。お互いに目をそらしてその場を離れる。ヨチヨチ歩きで塩を取りにいく。ギクシャク歩きで仕切り線に戻る。
そしてまた一分間睨み合う。
それが延々と続く。いつまでも戦わない。
もうやるか?
…まだか!
最初大きかった拍手もパラパラになる。熱かったミルクもすっかり冷めた。コップを覗き込むと白い表面に黒いナニカ。小さい顔。
カンダタ?
地獄の血の池で浮いたり沈んだりしている。人間の血が赤いのは鉄分のせい。地獄の血には鉄分は含まれない。代わりに脂肪分が含まれている。すなわち地獄の血の池は白い。真っ白な血の池から顔を出すカンダタ。
いや待て。
鉄分の含まれていない血は酸素を運べない。それはまるで客車が一つもない機関車。むしろ鉄輪だけが鉄路を転がるようなもの。悪くはないが役には立たない。価値がない。しかし意味はどうだ?
意味だって?
小さく歓声が上がった。顔を上げ土俵に目を向ける。
どっちが勝った?
勝負有り!
行司の軍配が東を指す。すぐに審判の手が挙がった。物言い。審判たちが土俵中央に集まる。話し合いが済みそれぞれの場所に戻る。審判長がマイクを手にする。
「ただ今の協議についてご説明いたします。黒蝙蝠の心筋梗塞で行司軍配は東を上げましたが、月ノ光の脳溢血が先ではないかと物言いがつき、協議した結果、月ノ光の脳溢血が先に起きており、行司差し違えで、黒蝙蝠の勝ちといたします!」
少しの歓声と少しの響めき。パラパラの拍手。
そしてふたつの老人の死体。
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