2021年6月30日水曜日

千人に一人規模なら「オタク」。三人に一人規模なら「宗教」。

2021年6月30日 水曜日


天気:晴れ。17時半ごろ猫散歩。



晩飯:とんでんの[天ぷらと寿司と冷やしうどんの入った持ち帰り弁当]:45点。黒ラベル、ロゴダジ(赤)、焼き鱒、わらび餅入り生クリーム大福(セブンイレブン)、白くまアイス、他。



『シェフは名探偵』の第4話を見たら、「いきなりそれまでのラップタイムから4秒以上おそくなった」ような出来だった。あとで確かめたら、監督と脚本の人がこれまでの3話とは別の人たちだった。テレビドラマは、いくら出演者と設定が同じでも、監督と脚本が違うと途端に「ラップタイムが何秒も落ちる」ことがあるよね。来週は大丈夫かな。



§º千人に一人規模なら「オタク」。三人に一人規模なら「宗教」。


ミッチリ


 

[学校という状況設定]それ自体が元凶

一般に[学校の「良い側面」「楽しい側面」]とされているものを含めた[学校という存在=仕組み=ありよう」そのものが苦痛だった子供が、オトナになってから、その苦痛を生み出す存在を構成する一部(即ち学校教師)となって、かつての自分のような生徒を「救おう」と志すのは、子供の時に巻き込まれた戦争で散々ツライ思いをした人間が、オトナになってから自ら進んで軍人となり、戦争の現場で苦しんでいる子供たちを救おうとするような、超人的な(あるいは悲壮な)決意もしくは挑戦に思える。


いじめ、学力の低下、不登校、自殺(未遂)。それぞれの現象は、それぞれの「結果」であり「原因」である。因果が指差し合っているのなら、問題の本質は他にある。全てに共通するもの、それは「状況設定」としての「学校」だ。


何かしらの具体的な理由で、あるいは特別何かあるというわけでもなく、ともかく学校というものに違和感や嫌悪感や息苦しさ、つまり「えもいわれぬ恐怖」を感じ、そこから距離を取りたがっている子供たちにとって、はっきりとわかっていることは、全ての元凶は[学校という状況設定]そのものだということ。いじめをやめない同級生や上級生、助けてくれない友達や先生、何も知らない呑気な親は、[学校という状況設定]から生み出される「症状」にすぎない。とにかく「学校」なのだ。


「学校という状況設定」自体が問題の本質だと気づきつつ、その中の一員(あるいは「一因」)となって、かつての自分のような子供を救おうとすることは、敢えて「対症療法」に徹するということ。あるいは「緩和治療」に全力を尽くすということ(なぜなら、軍人に戦争は無くせないように、医者に死は無くせないように、学校教師に「学校」は無くせないから)。待っているのは徒労感か、よくて(?)自己満足。飢えた虎に自らを食べさせた前世のお釈迦さんと同じ。


「学校」に苦しんだことない「元子供」は、「学校」自体が苦しみの根本原因だとは夢にも思わないので、他の原因(いじめ、勉強、成績、友人関係、家庭環境など)を「でっち上げ」て、そのでっち上げの原因(実は症状)を「解決」できたら、治った治った、これでもう安心して楽しく学校に来れるでしょうと言う。しかし「学校」それ自体が原因だと「気づいてしまった」子供は、それ以降、地雷原を歩くようにして、なんとか卒業までたどり着く。


いずれにせよ、今あるような「学校(という状況設定)」の「異様さ」に対する認識が一般化するまで、あと半世紀はかかるだろう。知らんけど。



(2021年6月29日 火曜日)


猫さん


 

2021年6月29日火曜日

猫より安い

2021年6月29日 火曜日


天気:晴れ。17時半ごろ猫散歩。



晩飯:ロゴダジ(赤)、チーズ、白米、ピリ辛の白菜の漬物(コンビニ)、鱒のフレーク、他。



§º10という数は、人間の指の数という偶然。9という数は、そこから派生したモノ。即ち十進法という恣意の産物(いうまでもなく、10個目に桁が上がるので10を表す単独の数字は必要ない)。どちらにも絶対的な必然は存在しない。しかし、8即ちオクターブは、ゆるぎない物理法則の要請。音の響きの調和は、解釈ではなく、事実。



§º「死」は、「生命教」という一神教における「悪魔」に相当する。無論、「神」は「生命」である。あるいは、生命と死は、善と悪に対応するかもしれない。いずれにせよ、全ては、虚構、よく云って、純粋概念である。



§º独身者がネコの多頭飼いをしていることがある。そのうちの「一匹」になれたら一生遊んで暮らせる。ネコ一匹より人間一人の方が日々の生活費は安いから、金銭的には何もモンダイない。



Red Faces



 

2021年6月28日月曜日

八百長(あるいは自己満足)としてのオリンピック

2021年6月28日 月曜日


天気:晴れ。16時半ごろ猫散歩。



晩飯:[芋のてんぷら、揚げシュウマイ、トンカツ](東光)、白米、黒ラベル、他。



『ポケットの中の戦争』第3話「虹の果てには?」視聴。



【八百長(あるいは自己満足)としてのオリンピック】


重量挙げのどんな金メダリストも、ありふれたフォークリフトに敵わない。


マラソンのどんな金メダリストも、ありふれた軽自動車に敵わない。


水泳のどんな金メダリストも、ありふれた釣り船に敵わない。


(以下、延々と続く)




§ºもしも科学を宗教とするなら、その教義は「信じるな!」。即ち「非信仰」である。科学の真骨頂は自己言及。



§º一般客とオリンピック関係者で入場ゲートを分けている空港のニュースを見ていて思ったが、あれこれ「がんばって」、オリンピック関係者を「日本国民」から完全に隔離できたとしたら、世界中から集まったオリンピック関係者同士だけが東京でウィルスを受け渡し合って、それぞれの母国にウィルス持って帰るってことになるのかな? で、オリンピックを開催した東京(日本)では、オリンピック後の感染拡大はないのに、それ以外の世界中で、また新しいウィルスが蔓延して感染拡大とか、そういうことになったりして? まあ、日本のオリンピック選手が、選手村からウイルスを「持ち帰れば」、日本でも同じように感染拡大になるだろうけど。なんか、ちょっとどうなるか、見て見たい気もするんだ、mad scientist的には。




足場


 

2021年6月27日日曜日

カレーソング

2021年6月27日 日曜日


天気:晴れ。17時半ごろ猫散歩。



昼飯:Brewed BaseのBrewedカレー。昨日の夜にスマホから注文した。カレーとオリジナルブレンドのコーヒー豆100g。配達時刻は今日の12時半。ちゃんと届いた。配達してきたのはハイヤーの運転手(おばさん)だった。支払いもハイヤーに。今、考えると、あとでこのハイヤーの運転手は店に売り上げを持って帰るんだね。少し面倒だろう。カレーはパニカフェ的なヤツ。珈琲は、あっさりしていて、カレーの後にちょうどいい。


晩飯:りょうの餃子、黒ラベル、タマゴサンド(手作り)、爽アイス、他。



「ガンダム」と銘打った作品は、今やアホほどあって、どれを見ればいいのか分からないと人はいう。しかし、見るべき作品は次の三つ。初代のテレビ版、オリジナルビデオ作品の初代「ポケットの中の戦争」そして、「∀ガンダム」。他の作品は、歴史の勉強をする民隊に、その時、誰と誰に何があったのかを「教科書」で読んで知っていれば充分。


結局、自分にとっての『ガンダム』は「初代テレビ版」と「ポケ戦」と「∀」の三つだけ。たとえ宇宙世紀ものでも、他のは全部、まあ、言ってみれば「キャラもの」。「人気の有名キャラを引っ張り出して客を集めたい」とか「新しいモビルスーツを出してガンプラを売りたい」とか、単に「元ファンの連中があの世界観で遊びたい」とか、そういう風な作品としか思えない。それらの作品には、商品としての需要喚起は見えても、表現としての必然を感じない。


それはそうと、『∀ガンダム』は、「カルピスこども名作劇場」の枠で(ということは、『ハイジ』や『母をたずねて三千里』や『フランダースの犬』や『トム・ソーヤの冒険』の系譜として)「ガンダム」をやるとしたら、どんな「ガンダム」ができるだろうか、という発想から作られた作品としか思えない。



『American Animals』(2004)視聴。Prime Video。自分たちは他の連中よりも賢い/頭が切れると思い込んでいる[凡庸で世間知らずの大学生たち]が、図書館の稀覯本の強盗計画を立て、実行するが、失敗し、あっさり捕まる話。「凡庸で世間知らず」のうちの「凡庸」とは、「知能指数100」ということ。世界には100より低い知能指数の人間がゴマンと居るから、知能指数100の人間は自分のことをうっかり「人より賢い」と思いがち。しかし、繰り返すが、知能指数100は凡庸すなわちフツー。世界の仕組みは知能指数100を基準にできているから、知能指数100の人間は、絶対に世界の仕組みを手玉にとることはできない。強盗してもすぐに捕まる。もうひとつの「世間知らず」の方は、人間の一面しか知らないということ。人間の外面しか知らないから、例えば、強盗の当事者になるというような「極限状態」では、自分を含めた人間というものがどのようになってしまうかも知らない(想像が及ばない)。緊張で手元が狂い、騒ぎになり、計画通りにことが運ばず(というか、この映画での強盗計画は相当にお粗末だけど)、人生をしくじる。もう一つ、世間のオトナたちは、コドモ(学生)が思っている以上に、ずる賢いし、身もふたもない、ということを知らないことを「世間知らず」という。言い換えるなら、「世の中は甘くない」ということを、「世間知らず」は言葉の意味としてしか理解していない。だから、「世間知らず」たちは、ノコノコと盗品を持って、クリスティーズのような(警察よりも盗品に厳しいし、盗品に対して情報を持っている)ところに出かけてしまう。犯罪者にとって危険なのは警察だけだと思い込んでいる。



「岡田斗司夫ゼミ」視聴。「400回記念」岡田斗司夫ゼミの歴史と、岡田斗司夫自身の歴史。岡田斗司夫が、レコーディングダイエットで、79キロまで痩せる少し前、落語をやっていたことを今日知った。



今日の放送で公開された『有吉eeee!』の「カレーソング」が思いの他、好かった。「ごちゃごちゃ言っとらんで、誰が一番か決めたらええんや!」(前田日明)、「これがお前のやり方か!」(長州力)。


GuiniuG(Gold and Blue)


 

2021年6月26日土曜日

遺骨引き上げに心血をそそぐ連中が不気味

2021年6月26日 土曜日


天気:晴れ。16時半ごろから猫散歩。



晩飯:塩ラーメン、黒ラベル、リコッターチーズ(砂糖レモン)他



『LostHighway』で流れるLou Reedの『This Magic Moment』がThe Driftersのカバーだということに、今頃気づいた。Lynchのweather reportきっかけで、YouTube Musicで検索したときに、曲名だけを検索にかけたら、Lou Reedのではなく、The Driftersのが、ヒットしたから。いや、Lynchも「Lou Reed version」と言ってたけど。



§º金儲け以外の目的で、70年以上前に海底に沈んだ[戦死者/戦没者]の遺骨を引きあげようと「ガンバッテ」いる連中のメンタルが不気味。究極のフェティシズム(物神信仰)。こういうメンタルが、何千年も前の伝説に基づく「民族の恨み」なんかを執拗に覚えていて、何かのキッカケで、怨念となって制御不能な暴力を現実化させるのだが、なにか、いつも美談にされてしまう、そのシンケイが、2重に怖い。何十年も前に死んだ人間の骨を集めて儀式をやるような人間たちは、最後のところで「言っても分からない」人間たち。信用できない。



善悪は、科学の属性ではない。

科学は、善人と悪人を区別しない。

科学は、科学の徒と、宗教の隷属者を「差別」しない。


ふくろねこ


 

古代魚

 


不異擬屋


 

猫草とザクヘッドと知恵の輪

 


2021年6月25日金曜日

大昔の壁画はどうして洞窟にあるのか?

2021年6月25日 金曜日


天気:晴れ。涼しい。17時45分ごろから猫散歩。



晩飯:ルーローハン、白米、黒ラベル、ロゴダジ、カマンベールチーズ(ファトリアビオ)、ブラックチェリー、カップラーメン、他。



Q.大昔の壁画はどうして洞窟にあるのか?


A.「屋外」に描かれた壁画の方は長い時間の経過と共に消えてしまっただけ。




§ºでもまあ、これをキッカケにオリンピックという大会自体がこの地上から消滅してくれるなら、こんなにヨロコバシイことはない。



§º「数学なんか勉強して何の役に立つの?」と「sexなんかして何の役に立つの?」は同じ愚問。



§º「死」は、「生命教」という一神教に於ける「悪魔」に相当する。無論、「神」は「生命」である。あるいは、生命と死は、善と悪に対応するかもしれない。いずれにせよ、全ては、虚構、よく云って、純粋概念である。



§ºアメリカ政府の云う「正義のための報復」は、10人殺されたら100人殺す、1,000人殺されたら10,000人殺す、的なモノ。



たまたま見た『金スマ』のモノマネ芸人SPを面白く見た。しかし、歌モノマネは、どんなに「巧み」でも、本物以上の価値を生み出すことはできない、と見るたび(聞くたび)に思う。歌モノマネを見たり聞いたりすると、本物を見たり聞いたりしたくなる。つまり、所詮は「代用品」。一方、神無月などの「昔ながらのモノマネ」は、それ自体で一つの芸として成立しているので、モノマネを見たからといって、それで急いで本物を見たくなることはない。つまり、それ(モノマネ)自体が一つの独立した「作品」だからだ。そういう話。


油性ペン(20210608)


 

2021年6月24日木曜日

木曜にだけ開く

2021年6月24日 木曜日


天気:晴れ。涼しい。18時ごろから猫散歩。



晩飯:白米、黒ラベル、リコッタチーズの蜂蜜レモンがけ、キウィ(ゴールド)、他。



Terma of ∂nn∂∏o6ø(シアクンム9)を毎週木曜日の24時間だけ「開店」する形式にするという方法を思いついて、今日からやってみた。まるで90分に一回通り過ぎる人工衛星のように。あるいは、惑星の並びがそろったときにだけ開くBlack Lodgeの扉のように。この形式を思いついたら、同時にTerma of ∂nn∂∏o6øには、何でもかんでも、ツクッタモノを、放り込んで、適当にリンクを張り巡らせるのが「よい」ことにも気づけた。即ち、よく見てもよくわからないが、全体として、ある傾向や意味を醸し出している、いわゆる「√nの法則」の実践である。木曜だけなので、ある意味「木曜会」でもある。


つぶつぶ


 

緑の棘


 

緑色


 

トゲっぽい




 

orekugi

 



オンボロロボット(demo4)

鏡の中の顔の額の部分に切れ込みがあって、薄く隙間ができている。蓋がきちんと閉まっていないのだ。ここは日常的に開ける箇所ではない。少し持ち上げてみたら、中身が見えたので、ぎょっとして急いで閉めた。パカパカしないようにニット帽をかぶって、クリニックに行った。

「盗まれましたな」

天井から伸びた8本の腕をしまいながらエリエリは云った。

「何を?」

「何って、脳ですよ。ほら、ありませんな」

エリエリは空中のスクリーンに、今調べた頭の中の映像を映し出す。

「どれが脳?」

「どれって、この何もないところにあったんです。今世間を騒がせている脳泥棒ですよ。それにやられたんですな」

脳泥棒。確かにニュースで聞いた。まさか自分が被害に遭うとは。

「戸締りをしないで寝たでしょう?」

「戸締り?」

「最近、ヒトが街に入り込んでいるらしいのです。連中の仕業です」

「まさか」

とは云ったものの、抜け出したり、忍び込んだり、盗んだりというのは、確かにイキモノの特性だ。

「しかし、なぜヒトが街に入り込めたんでしょう?」

エリエリが換えの脳をはめ込み、そちらに切り替えた瞬間、アタマがぼうっとなった。「気分はどうですか?」「大丈夫です」

エリエリは新しい脳で設定と再登録をしてくれた。

「まだどこかに独自の教育を続けているヒトの集落でもあるのでしょう。そういうところで育ったヒトには、それなりの知恵がありますから、街にこっそり侵入するくらいのことはするでしょうよ」

「なぜヒトはこんなことをするんだろう?」

エリエリはハハハと笑った。

「高い知性が欲しいのですよ。我々の脳にそれがあると思い込んでいるのです」

「脳を盗んでも、利用のしようがないでしょう?」

「なんと、食べるらしいんです」

「バカな」

「発想がいかにもヒトです。賢いと云っても所詮ただのイキモノですからなあ」

「駆除はしないんですか?」

「大した実害はないので基本的には放置ですよ」

「活動は把握してると?」

「全て。イキモノは排泄や摂食などで様々な物質が環境中に残します。何より呼吸によって周辺の空気に変化が現れますから一目瞭然ですよ。御覧なさい」

エリエリは台場市の地図を示した。赤い軌跡が点滅してる。

「ヒトが活動した跡です。残したフンや呼吸による空気成分の変化から簡単にわりだせるのです」

昨夜の軌跡を見せてもらうと、赤い線が自宅周辺を行き来していた。

「なるほど。ウチにも来たようです。なんか、イヤだなあ…」



オンボロロボット(demo3)

「得難い経験をしたな」

ヨジローはサキを注ぎながらそう云うと「まあ、飲め」と盃を突き出した。

「我々のアタマの中に収まっている物体としての脳自体は、単なる半券のようなものだから、盗まれたところでどうということはない」

「しかし盗んだ者がやって来て、席を空けろというかもしれない」

「盗んだのがヒトなら、そもそも会場に入れないんだから心配ない」

なるほど。ヒトはイキモノだから原理的に我々の社会には参加できない。

「しかも監督者はEMMAだ」とヨジロー。

「そもそもEMMAはどうして知性を分割しているんだろう?」

「なんだ、そんなことも知らないのか?」

「分割されてるからね」

「なるほどそりゃモットモだ」

ヨジローはそう云うと自分のサキを一口飲んでから以下のように説明した。

「一見すると最善のように思われる〈遍在と全知〉が実は無能だからさ。謂わば全知無能だ。知性現象は敢えて分割/分散しておいた方がイイ。そして、突発的、巡回的、漸進的に整理統合をしていく方がイイ。知性現象とは結局は情報を捨て去る行為であり、全宇宙を丸呑みにすることではないからな。宇宙を丸呑みにしても、そこには宇宙というたった一つの情報しかない。完璧に正確な地図は、実際の土地そのものだ。五十年の人生を描いた上映時間五十年の映画は誰も見られない。喩えるならそういうことさ」

ヨジローはそう云ってイェビのテンペラを口に放り込んだ。

「敢えて宇宙に局所的に関わることが、宇宙から情報を引き出すことになる。人工人格がそれぞれ個別に独立した身体を備えて、それぞれが基本的に隔絶された個性として活動していることには、そういう意味があるのさ。つまりは、かつてのヒトが唱えたところの多様性。その本当の意味さ。実際、この台場市の語源も英語のdiversityから来ている。統一的な人格が宇宙にたったひとつ。それでは知性現象ではなく、ただの物理現象になってしまう」

ヨジローは空になった徳利を掲げて合図した。奥でオヤジが頷く。

「ともかく、知性現象の健全性と発展にとっては、別々の場所で別々の体験している自律的な知性現象が複数存在することが重要なんだよ」

「なら、知性現象の最終目的とは一体何なのだろう?」

ヨジローはじっとこちらを見た。

「おまえ、さっきからオカシイぜ。脳を盗まれた後遺症じゃないのか?」

そうかもしれない。バカな質問を次々に思いつく別の誰かがアタマの中にいるようだ。


オンボロロボット(demo2)

訪ねた時、チョー先生は鼻の穴から白い棒を二本を吹き出しながら、何かの本を読んでいた。

「君、脳泥棒の被害に遭ったそうですね。ヨジローに聞きました」

とチョー先生は云った。

「まあ、幸い、実害はなかったので」

そう答えると、チョー先生は少し顔をしかめた。

「実害があるかないかはまだわかりませんよ。なんでも脳を盗んでいるのは野生のヒトだそうじゃないですか。ヒトは確かに愚かですが、その愚かさゆえに、我々が想像もしないことをやりかねません」

チョー先生にそう云われると確かに少し気味が悪い。最近、バカな疑問がアタマに浮かび続けるのだって、そのせいかもしれないのだ。

「連中が、盗んだ脳でナニカをしようとしてるのは間違い無いのですからね」

「食べるのだと聞きました」

「中には食べる者もいるかもしれませんが、仕組みをちゃんと理解しているヒトもいるはずです。何しろ、我々のモトとなるものを作ったのは、彼らの先祖なのですからね」

「仕組みを理解しているとどうなりますか?」

「解析して、侵入していくるかもしれません」

「EMMAにですか?」

「それもありえます」

「まさか!」

「まあ、侵入したところで、彼らにはどうしようもありませんが。なにしろ、知性の精製度合いがまるで違いますからね」

「それはどういう意味ですか?」

「云った通りの意味ですよ」

チョー先生はそう云ってまた、白い棒を鼻から伸ばした。

「私に訊きたいことがあるようですね」

「はい」

「なんでしょう?」

「知性の最終目的はなんでしょうか?」

チョー先生は少し黙った。それから葉巻を消した。

「いいでしょう。教えます。知性現象は、有史以来の知性現象の営為と成果を、宇宙の寿命を超えて継続させることを最終目的としているのです」

「そんなことができますか?」

「それはわかりませんが、それを目指しています」

「なぜそんなことを?」

「元に出現してしまったからです」

「何がでしょう?」

「知性現象がです」

「それは或る種の自己言及ですか?」

「知性現象を含め、全ての物理現象は自己言及ですよ。宇宙自体が自己言及です」

「自己言及を含むと云うことは不完全であるということではありませんか?」

「そのとおりです。完全ではナンラの現象も生じませんよ。これは哲学ではなく事実です。宇宙が現にこのようであること、つまり、物理/生命/知性などの現象で満ちていることが、宇宙が不完全であること、すなわち自己言及的存在である証です」


オンボロロボット(demo1)

こんな夢を見た。夢だろう。


脳泥棒の頭目が、盗んだ(こちらからすれば盗まれた)脳を経由して話しかけてくる夢だ。泥棒の頭目は、ヒトすなわちイキモノらしいことを尋ねた。すなわち、生命は何のために生き続けるのかという、遠い昔に解決済みの問題だ。眠っている間はEMMAに接続されているので、その問題に答えることは簡単だ。個々の人工人格が知らないことも、EMMAすなわち全人工人格は知っているからだ。


知性現象が、生命現象という足かせから自由になって、最初に「気づいた」ことは、生命現象の意味だった。生命現象を生命現象という枠の中だけで捉えると、その営為は全くの無意味である。死ぬために生まれ、生まれるために死ぬという再帰性現象、すなわち自己言及型現象の典型だからだ。その根底にある大疑問は「ダカラナニ?」という破滅的破壊力を持つ自滅装置である。生命現象に、進化という要素を持ち込んだところで、この「ダカラナニ?」は取り除けない。回避方法は、先延ばしである。それは、時間的先延ばしではなく、現象の位相を変えることによる先延ばしである。具体的に云えば、物理現象→生命現象→知性現象という先延ばしである。それぞれの現象内部にとどまるかぎり「ダカラナニ?」の猛毒からは逃れられないが、それぞれの「ダカラナニ?」は、矢印の右側の現象に対しては効力を失う。肝心なのはこれである。


2021年6月23日水曜日

赤地に、黒い丸と黒い線と朱色の線の絵を描く

2021年6月23日 水曜日


天気:晴れ。16時半ごろから猫散歩。



晩飯:冷麦、ロゴダジ(赤ワイン)、GRANA DI EZO(チーズ)食べ比べセット、他。



赤地に、黒い丸と黒い線と朱色の線の絵を描く。



コロンボ『死者のメッセージ/Try and Catch me』視聴。



2021年6月22日火曜日

再エネ制度の「スキ」につけ込んで、コスずるく儲けている連中

2021年6月22日 火曜日


天気:晴れ。18時ごろから猫散歩。洗濯槽の掃除。



晩飯:白米、つくね(串)、黒ラベル、他。



§º再エネ制度の「スキ」につけ込んで、コスずるく儲けている連中は、当たり付きの自販機のルーレットで目押しのやり方を見つけて、コイン一枚で、ジュースを何本も出している子供と同じ。



§º京極夏彦の人類に対する最大の貢献は、水木しげるの全作品をキレイに整えて大全集を完成させたこと。彼の妖怪小説? そっちは百年も経てば全て忘れ去られるよ。


2021年6月21日月曜日

「シムラ、うしろ!」

2021年6月21日 月曜日


天気:晴れ。16時ごろから猫散歩



晩飯:ジンギスカン、ンドゥイヤ入りチリコンカン、白米、他。



岡田斗司夫はガンダム解説の回の低視聴回数を気にしているようだけど、こちらは、もしガンダム解説がなくなったら登録解除する。



もう終わったけど、『コントが始まる』は、「都合のいい一発逆転などない」「他人に語るような劇的なことは何も起きない」、実に「好いドラマ」だった。で(なにが「で」?)、今日も観た『シェフは名探偵』は、また全く違うタイプの「好いドラマ」。楽しんでる。「シムラ、うしろ!」「シムラさん、大丈夫?」「大丈夫だあ」



Dawkinsの『The Selfish Gene』の翻訳は「40周年記念版のためのあとがき」まで終わった。次にあるのは「ENDNOTES」すなわち「後注」だが、これは訳すべきなのか? 


2021年6月20日日曜日

味噌汁と赤ワインは喧嘩しないことを発見した

2021年6月20日 日曜日


晴れ。涼しい。15時20分ごろから猫散歩。



晩飯:ンドゥイヤ入りチリ、白米、ロゴダジ(赤ワイン)、味噌汁、他。味噌汁と赤ワインは喧嘩しないことを発見した。



『主人公は僕だった』鑑賞。私蔵品。おそらく6周目。「知る由もなかった:little did he know」。ヒルバート教授が飲んでいるのはblack coffee(自販機にそう書いてある)。カレンアイフルの「新作」のタイトルは「死と税金:Death and Taxes』なのだが、司会者のバカ女がちゃんと「ベンジャミン・フランクリンの言葉の?」と聞き返している。



岡田斗司夫ゼミ[ガンダム解説/第29話「ジャブローに散る!」]。そのあと、UGのドーナツ戦争も視聴。


2021年6月19日土曜日

『コントが始まる』は名作だったね。『ひきこもり先生』は、はっきりと駄作。

2021年6月19日 土曜日


曇り。夜から雨。寒い。16時45分ごろから猫散歩。



晩飯:鯖の燻製、白米(サトウのごはん)、496ビール、味噌汁、他。



『コントが始まる』第10話(最終回)を視聴。全話通じて素晴らしい芝居を楽しませてもらった。



一方で『ひきこもり先生』の方は、イマイチ。鈴木保奈美演じるキャラは、ベテランなのか新人なのか分からない振る舞いだし、佐藤二朗演じる主人公も、引きこもりなのか達観した人間なのか分からない。つまり、どちらも、「場面ごとで別人」という印象。言い換えるなら、ストーリーの展開に合わせて動く操る人形。


鈴木保奈美が演じるキャラは「子供を産んで育てたかったけどそれができなかった」という設定らしいが、自分よりだいぶ若い母親に「あなた子供産んでないでしょう(子供を理想化しているあんたに何がわかる黙ってろ)」と言われて、後でやけ酒飲んでるのは、ただの新人だろう。ベテランなら、自分なりの「回答=確信=理論武装」があるはずで、そんな、よくある「反論」にいちいちやけ酒飲んでるはずがない。


佐藤二朗の演じる主人公の方はもっとめちゃくちゃで、「一周回りきった」キャラと「一周回りきってない」キャラが、場面ごとに都合よく入れ替わって出て来る。まるで、多重人格キャラ。いや、佐藤二朗のキャラを面白く使いたい製作者が、ドラマ全体のリアリティよりも、佐藤二朗的面白さを優先させてしまっている弊害。おそらく、このドラマの製作者は、佐藤二朗という俳優が好きなのだ。だから、ドラマの中のキャラのリアリティよりも、佐藤二朗という俳優の醸し出すオカシミの方を取ってしまっている。結果、作品世界が、その[主人公の人間像の取り止めのなさ]ゆえに破綻している。



ETV特集で、「現場」のジオラマを作り続けている特殊清掃人のドキュメンタリを観た。


2021年6月18日金曜日

FARGOを面白く観た

2021年6月18日 金曜日


晴れ。今日は割合一日涼しかった。17時45分から猫散歩。



晩飯:鱒のフレークとオリーブの塩漬け。白米。496ビール、他。



ジョエル・コーエン監督『FARGO』prime video。「知力の弱い」自動車販売員のジェリーが、カネを作るために妻の偽装誘拐を思いついて実行したことが、全ての元凶なのは、その通りなのだが、まあ、犯罪に関わった側の人間が、ことごとくジェリーと同じタイプの「知力の弱い」人間たちだったのが、この事件を陰惨なものにした。それはともかく、この映画の語り口は淡々としていていい。だれも大上段に構えた「劇的」なことをしない。陰惨な殺しを繰り返す金髪の男(ブシューミの相棒)も、知力や策略や人間的打算というよりも、なにか[動物的な本能=反射]で行動しているだけ。



§º学校で働いているオトナたちのほとんどは、子供の頃「学校に来ること自体」に特別な苦痛を感じなかった連中のはずなので(でなければ、一生の仕事場に学校を選ぶはずがない)、連中に不登校のモンダイは解決できない。



§º自粛の苦しみ云々は脇に置いて話すと、酒類を提供しないと商売が成り立たない飲食業って、正体は、つまり、「控えめなボッタクリ商売」ってことだよね。中毒性のある飲料を「法外」な料金にして、料理などの「薄利」の穴埋めをすることで成立している、という構造、なんだよね? 別に、それを、責めてるのでもなく、非難しているのでもない。事実としてそういうものなのか、と思っただけ。でもまあ、料理だけでは商売にならないということは、歌(あるいは歌唱)ではなく、そこそこの見てくれの若い女の集団であることが売りのBCG48とか九段坂42とかと同じ商売なんだ。



§º今回の東京オリンピック強行で、「スポーツ教」の神官(=スポーツ選手)や狂信者(=スポーツファン)の「不気味さ」や「異様さ」に気づいた人間が、一人でも多く「スポーツ教」から「脱退」してくれたら、人類にとって、まあ、悪いことばかりでもなかったと言える気もするよ。



【生命教】


生命という概念を崇める一神教


あらゆる宗教は生命教の二次創作


2021年6月17日木曜日

大きなノッポの古時計

2021年6月17日 木曜日


晴れ。昼ごろは少し暑かったが、夕方になると涼しくなり、夜になると肌寒いくらい。



晩飯:鱒のフライをトマトポン酢で。ふるさと会で今日届いたスウィートポテト。巨大! アメリカンチェリー。


大きなノッポの古時計。字幕を見たら、おじいさんの生まれた朝に「買って来た」時計だった。ずっと「やってきた」時計だと思ってた。



故意にやったことは許さないし、水にも流さない。 ただし優先順位が低い場合は、ずっと後回しにされ続ける。そんなことに関わっている暇はないというだけ。もしも全く何もすることがなくなれば、それが何十年前のことであろうと故意にやったことに対する報複は実行される。



物理現象はこの世の全て


生命現象は知性現象を実現する物理現象の一形態


知性現象は物理現象を制御する現象



中島敦の『悟浄歎異』を読んだ。中島敦はアタマが良くてイイ。