2021年6月12日 土曜日
晴れ。昨日に比べると相当涼しい。猫散歩なし。
*
土曜ドラマ『ひきこもり先生』第1回視聴。主演は佐藤二朗。いろいろ文句がある。しかし2回以降を観てからにするかな。
*
『桜の塔』の総評。
終わってみれば、オープニングに顔を出す連中の「順位を決めない徒競走」を見せられただけ。「大物」俳優たちが演じるキャラクター全員を「憎みきれない人間」にしたかった(しなければならなかった)のだろう。
主人公は当初「警察組織の膿を出す」なんて言ってたけど、実際に起きたことは、上条が、親父の仇討ちみたいなちょっとした「憂さ晴らし」をしただけ。警察組織そのものは本質的には何も変わっていないまま終わってる。ものすごい茶番劇。
上から下まで、主要な登場人物全員が骨の髄までの「隠蔽体質」なことに、このドラマの作り手は気づいてるんだろうか? 椎名桔平演じる千堂や吉田鋼太郎の権藤はもちろん、主人公の上条や、広末涼子が演じる女刑事(名前忘れた)や、誰かの「部下」の富樫まで、ことごく「隠蔽体質」。それぞれが「自分の正義」とやらを振りかざして、怒鳴ったり泣いたりしていたけど、全員がどうしようもない隠蔽体質という点では「目くそ鼻くそ」の諍いにしか見えなかった。
特に「致命的」だったのは、広末涼子演じるキャラが最後に言う「おかえり、漣」。これは要するに、「これ(改造拳銃で撃たれたこと)で、あんたのやったこと(マインドコントロールをして、「何の罪もない」刈谷を、元嫁に殺させたこと)は黙っておいてあげる」って言ってるだけのことで(実際、主人公上条漣はそのあとトントン拍子で出世している)、こんなのは、警視総監になった権藤が、保身のために、千堂がやってきた数々の「悪事」を内々にもみ消したのと同じ。ところが、このセリフの場面の演出が、なにかちょっと感動的になってて、呆れかえってしまった。もし現実にこんな状況が出現したら、それは感動する場面ではなく、怖気る場面だよ。それに気づかないのは、趣味の猛獣狩りで仕留めた獲物と一緒に写っている写真を自慢げに部屋に飾ってしまう連中と同じ知能レベルだと思った(変な喩え)。
しかも、エンディングは「なにかひとつの大掃除が済んだ」みたいな雰囲気。いやいやいや、最初にも書いた通り、何も変わってないから。隠蔽体質の人間同士で席替えをしただけだから。
とにかく、脚本が薄っぺらいのははっきりしているので、俳優たちが自分たちの演技で、どうにかしてその薄っぺらさを消そうと奮闘しているのはよくわかった。大変だよね、俳優も。