2021年6月4日 金曜日
晴れ。18時半頃、猫散歩。
朝の9時に、管理会社に電話。向かいの空き部屋の電灯がここ4日ほど24時間つきっぱなしの件を伝える。担当者に報告しておくとの返事。しかし、結局、電灯は24時を過ぎてもついたまま。誰も何もしに来ない。
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晩飯:鯖の塩焼き、クラムチャウダー、白米、羊羹パン(猫のご相伴)、黒ラベル。
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昨日観た『シェフは名探偵』第1回を今日、また、観た。やはりオモシロイ。これは本物かもしれない。
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当該外国語のジョークや軽口をすんなり聞き取れて理解できるのでない限り、外国映画は、母国語の吹き替えで観るべきだ。
理由
字幕を見ている間は(たとえそれが一瞬でも)、画面に映し出されたもの(俳優の演技、風景、変化)を観てない。映画は、映像芸術。[見逃していい瞬間]などありはしない。
字幕の「簡潔」な[文章/言い回し]は、大体に於いて話し言葉であるセリフの[言い澱み/冗長性/リズム]を全て消し去っていて、嫌に「文学的」なものになる。つまり、字幕でセリフを理解すると、登場人物たちが、悉く[高尚な/洗練された]コトバを吐き出す「知的な人間」になってしまう。すると、作品全体も、その内容、製作者の意図にかかわりなく、どことなく「品のある」印象になる。これが、例えば日本人が、邦画よりも「洋画」の方が「上等」に思いがちな一番の理由。
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「多様性を受け入れる」という態度には、「[多様性を受け入れない人間という存在]も一つの多様性の現れとして受け入れる」ということが含まれているはずだから、話はヤヤコシクなる。このヤヤコシサを突き詰めていくと、「殺人鬼を死刑にする/しない」問題に行き着くだろう。
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スポーツ、それも近代オリンピックが褒めそやす近代スポーツの正体は「新興宗教」なので、それを取り仕切る組織のトップに、金メダリストやスポーツ愛好家なんかが座るのは、マズイ気がする。なにか、軍人を国の政治のトップに座らせるのに似ている気もする。
狂信はオソロシイよね。信仰のためには火あぶりにもなるし、子供への輸血も拒否する。「新興宗教:スポーツ教」の「法王」や「信者」たちが、コロナ感染拡大招きかねない様々な[行動/行事]を、世界規模レベルでまとめて日本でやろうとしている、その理由が、要するに、「球遊びをしたい」「駆けっこしたい」「プールで泳ぎたい」っていう、風邪引き小学生の駄駄と同じなんだから、やっぱり、これはただの狂信だよ。