2021年10月11日 月曜日
天気:晴れ。猫散歩なし。
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『∀ガンダム』鑑賞。第50話「黄金の秋」。たぶん、2周目。最後、コレンの「シャアザク仕様」(ツノもある!)の赤い改造カプルの「ロケットパンチ」が、∀とXを「ひき剥がした」ことで、「月光蝶」の最大化は防がれた。ヨットで旅に出るグウェン(同性愛者)が連れているのは、メリーベル。ディアナの薬指の結婚指輪の相手はロラン?(おそらく「公式」にはディアナが月に帰り、キエルがロランと田舎に引っ越したことになっているはずなので、「表向き」はロランとキエルが結婚したことに?)
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「空気階段」の「かたまり」の「金八偽善」発言で、ふと思い出したが、当時、熱心に『金八』を観ていた「当事者」としての中学生の、その「熱心さ」の理由は、あの番組に理想の教師像や教育現場を見ていた/求めていたからではない。自分たちがよく知っている風景(たまに校内暴力があり、「ツッパリ」や不良が日常的に「徘徊」する学校)がテレビドラマで描かれることが「楽しかった」からだ。つまり、ちょうど、地元の商店街や自分が住んでいる界隈が紹介されるしょーもないテレビ番組をつい熱心に観てしまうあの感じと同じ。そもそも、当時の「マトモ」な中学生にとって、「金八先生」のイメージは、「ろくに授業もしないで(授業風景はあまり描かれないからね)、生徒に向かってやたらと大声を出して、怒ったり泣いたりする、変な髪型の顔の大きい、本当に担任だったらひたすら鬱陶しいバカ教師」で、しかし、「100パーセントどこにも存在しない作り物(子供をなめるな)」だった。だから、そもそも『金八』が「偽善」とかどうとうか、そういうことは思いもしなかった。だって、『暴れん坊将軍』と同じだから。
今、ふと、気づいたが、当時の中学生にとっての『金八』の印象は、アレにそっくり。日曜日の夜9時からやっていた銀行員が土下座するドラマ。やたらと深刻ぶって、大げさに騒ぎ立てるけど、最後に主人公クラスが怒鳴って泣いたら、なんとなく方がついてしまう。