2021年10月14日木曜日

二枚のドガの絵

2021年10月13日 水曜日



天気:晴れ。04:10~04:30猫散歩。



『コロンボ』鑑賞。第6話「二枚のドガの絵」。


デイル(Dale Kingston)は、エドナ(Edna Matthews)を最初から犯人に仕立てるために、共犯者に女画学生を選んだのか? つまり、警備員に「逃げる犯人のハイヒールの音」をわざと聞かせたのか? そうすると、「二枚のドガの絵」だけを「盗んだ」のも、エドナの家にこっそり持ち込むのに都合が良い大きさ(小ささ)だったからというだけなのか? つまり、「他の絵は全て遺産としてエドナに渡っても、あの二枚のドガの絵だけは自分のものにしたかった」というのが、犯行の動機ではなかったということなのか?


しかし、拳銃を「エドナの散歩コース」近くに捨てさせたのが、当初からの計画だったとしても、エドナの家の戸棚に「二枚のドガの絵」を隠すのは、どうみても「急に思いついたこと」のように描かれている。


デイルが叔父を殺害したあとで絵を「盗んだ」のは、「絵画泥棒」あるいは「金目の物目当ての強盗」に見せかけるためなのは[当初からの計画]だろう。さらに、エドナに殺人の濡れ衣を着せるのが、デイルの[当初から計画]だった場合、「殺人犯であるエドナ」が、捜査を撹乱させるために「絵画泥棒」という「工作」をしたが、結局はその工作は見破られ、「真犯人エドナ」は警察に逮捕されるというのが、デイルの「筋書き」になる。


が、その場合、一つ問題がある。


遺言の最終版の中身を知っていたエドナは、元旦那(デイルにとっては叔父)の死後に、元旦那のコレクションを全て自分が相続することを知っていたし、同じく遺言の最終版の中身を知っていたデイルも「エドナが全てのコレクションを相続することをエドナは知っている」ということを知っていた。そして、エドナが相続したコレクションは全て寄贈されることもまた、両者ともに知っていたのだ。


これの何が問題か?


いずれ明るみに出る事実として、「エドナには元旦那をわざわざ殺す動機が何もない」ということが、デイルには分かりきていたということ、これが問題。つまり、だから、そんなデイルが、エドナに殺人犯の濡れ衣を着せる計画を立てるわけがないのだ。


やはり、デイルの「当初の計画」は、他のコレクションはすべてエドナが相続し寄贈されたとしても、「叔父のコレクションの中でも最も高価な(=2枚で50万ドルはくだらない)」二枚のドガの絵だけは、自分のものにする、というものだった。つまり、二枚のドガの絵を手に入れることだけが、この殺人の当初の目的だったのだ。


もうひとつ、「当初は二枚のドガの絵だけを自分のものにするつもりだった」説の裏付けとなる論拠がある。


エドナに殺人犯の罪をなすりつけるのが当初からの計画なら、デイルの計画が全てうまくいけば、エドナはコレクションの相続権を失い、絵画は全てデイルのものになるわけで、デイルにとって、最初に「盗む」絵は、別段「二枚のドガの絵」でなくても構わなかったということになる。なぜなら、計画が全てうまくいけば、その二枚の絵も、結局はデイルが相続することになるからだ。


エドナの家から「発見」される「決定的証拠」としての絵が必要だったとしても、別に、最も高価なドガの絵である必要もない。エドナは、弁護士曰く「ピカソと町の広告の区別もつかないような女性」なのだ。デイルもエドナの審美眼は知っていたはずで、そんな彼女が「盗む」ものはなんだって構わないはずなのだ。むしろ、エドナの家から「安い絵」が「発見」された方が説得力が増すくらいだ。殺人によって「持ち去れれる」のが最も高価な二枚のドガである理由は、やはり、デイルの所有欲しかない。ドガがどうしても欲しくて、叔父を殺してしまったのだ。


では、どのタイミングで、エドナに殺人犯の濡れ衣を着せようと思い立ったのか? それは分かりやすい。やはり警備員が逃げ去る犯人の足音を「ハイヒール」の音だと証言したときだ。エドナに濡れ衣を着せようと思った動機はもっとわかりやすい。エドナから相続権を奪えば、叔父のコレクションを全て手に入れられると「そのとき初めて気づいた」からだ。


こんな「軽率」な「濡れ衣計画」にデイルがうかうかと乗り換えたという事実から、叔父殺害の計画を立てた時のデイルが、エドナに殺人犯の濡れ衣を着せられるかどうかについては全く検討していないことがわかる。上で書いた通り、少し検討すれば、エドナには殺人の動機が全くないことがわかるのだから、逃走する犯人の足音がハイヒールだったと警察にバレた=犯人は女だと警察が思い込んだことを利用しようと一瞬思ったとしても、よりによってエドナを真犯人に仕立てようとは考えない。事前に思いつきもしなかったので、当然、十分な検討もしていない。だから、「降って湧いたチャンス=素晴らしい思いつき」に見えたのだろう。


だいたい考えてみれば、エドナに濡れ衣を着せる工作などやらず、あのまま大人しくしていれば、事件は迷宮入りになっていたはずだ。どう考えてもコロンボに勝ち目はない。他のコレクションは全てエドナが相続して公共のものになったとしても、デイルは当初の目論見通りに、二枚のドガの絵を手に入れ、素知らぬ顔で人気美術評論家を続けて行けたはず。


memo: 画廊の駐車場の運転手の兄ちゃん(parking boy)の俳優は、『Star Wars』のマーク・ハミルにそっくりだが、調べたら全く別人のDennis Ruckerという俳優だった。


memo: コロンボが、死んだ画学生トレイシー(デイルが殺した共犯者)の顔写真を見せながら知り合いかどうか尋ねた時に、デイルが恐ろしく不機嫌になるのは、あからさまな「私はその女を知っている」というボディランゲージ。本当に知らない存在なら、もっと「ふつう」に「警察に協力」する。