2020年3月9日月曜日

金色に光る真鍮の潜水服は、この身を守ってくれる防具であると同時に、外界との交流を著しく妨げる妨害でもある。だがしかし、ここではやむを得ない。この場所は、ナニカ空気(つまり地球の大気)以外のもので満たされていて、この真鍮の鎧なしでは5分と保たないのだ。

今潜水服と言ったが、この場所を満たしているのは水でもない。水ではないばかりか、おそらく液体でもない。それどころか、物質の相にある固体・液体・気体・プラズマのどれとも違うように思える。印象として最も近いのは靄だが、ならばやはり気体か? しかし、この場所を満たすものにはナニカしら液体めいた性質があり、たとえば、物を落とすと、その落下速度はややゆっくりになる。単に重力が少し弱いのかもしれない。

物腰の柔らかい若い男が用意してくれた「取って置きの紅茶」も、潜水服のせいで味わうことができなかった。相手もそれをとても残念がった。

赤い髪に、タートルネックの白いセーターを着て、細い長い二本の脚に黒いジーンズを履いた物腰の柔らかい男は、歩く時に、足をそっと持ち上げ、またそっと下ろす。

深海プールの「水面」から(何度目かの)顔を出した時、物腰の柔らかい男は紅茶を淹れている最中だったが、気配に気づいて振り返り「おや」と言った。それから紅茶を淹れ終わるまで少し待つように言い、紅茶を淹れ終わると、潜水服の手を取ってプールの上に引き上げてくれた。プールサイドには接客用のソファがちゃんと設えてあった。

物腰の柔らかい男の話では、ここはまだ大分「下の階」らしい。最上階に行くまでにはこの先何度も深海プールに飛び込まなくてはならないと言う。

「しかし最上階にまで行けば、あなたは素晴らしいものを得ることができるでしょう。いや、それはあなたに限った話ではありませんよ。そこに行きさえすれば、誰もが真の幸福を得られると、ワタクシは確信しています」

物腰の柔らかい男に改めて訊いてみた。実際そこは「最上階」なのか、それとも「最下層」なのかと。

「深く深く潜ることで辿り着く場所が最高の高み、ということになりますね」

物腰の柔らかい男は、ワタクシだけが申し訳ない、と言って、さっき自分で淹れた紅茶を啜った。

物腰の柔らかい男とは「飽きること」について話をした。すなわち、人間が最後には世界の全てに飽きてしまうことにこそ、人間の不幸の源があるという話だ。

2020年3月8日日曜日

本木が樹木希林の目の前で内田裕也を殴った「この際だからやっちゃいなさい(by 樹木希林)」事件の顛末を、『土曜スタジオパーク』に出演した本木自身が面白く可笑しく話しているのを、サービスが始まったばかりの「NHK+」で面白く見た。「NHK+」って再生箇所の途中から再生を「共有」できてすごく便利。因みに戦国大名には何の共感も覚えないので『麒麟』の方の話は観てない。

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東日本大震災のときに役場の職員40人が犠牲になった大槌町(この震災で地域の長が犠牲になったのはこの町だけらしい)を取り上げたNHKスペシャルを観た。地震発生後いち早く独自の判断で、高台の公民館(緊急時の災害対策本部にすることがあらかじめ決められていた)に逃げ上がった福祉課の連中は無事だったが、それ以外の役場職員は、町長を含め、判断がつかない状態で30分ほど「麓」の役場の駐車場でモタモタしているうちに、やってきた大津波に飲み込まれてしまった。そのとき役場にいた連中で助かったのは、ギリギリでなんとか屋上までたどり着いた15名ほどと、建物の二階で溺れかけていたときに窓の存在に気づきそこから建物の外に出ることができた広報課のナントカさんと、、高台の様子を見に行くように指示されて、少し前に役場を離れた災害対策課のナントカさん。

思うのは、こういう状況で、正体は[お上や専門家の指示の「仲卸」にすぎない]組織の長だの上司だのの指図を待っているうちに、手遅れになって死んでしまうのは絶対に嫌だってこと。こういう[長くても百年そこそこしか生きない存在の人間]なら[誰にとっても本質的に「未体験」な緊急事態]に自分が巻き込まれた場合には、結果的に間違った判断になったとしても、自分で下した決断に従ってさっさと行動した方が、同じ死ぬにしてもきっと後悔は少ないだろう。

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任天堂の代名詞「マリオ」のジャンプが、異様に不自然(特に「スーパーマリオブラザース」系の重力のかかり方や空中での方向転換などが極めて不自然〕なのは、そもそもマリオがマリオネット(操り人形)で、上から糸で吊るされた人形のジャンプを「再現」しているからなのだと気づいた瞬間に、妙に合点が行って、一応納得もできた。しかし、だからと言って、操作している時の気持ちの悪さが治るわけじゃない。自分の中で「マリオシリーズ」は、これまでもこれからもずっと「気持ちの悪い操作感のゲーム」の代名詞で…

2020年3月7日土曜日

高齢者や持病持ちは重症化しやすく、逆に若い人間は感染しても無症状の場合さえあるということなら、毎夜繁華街を遊び歩いている孫と寝たきりのじいさんが同居する家があった場合、まずじいさんが発症し、それをきっかけに家族の他のメンバーの検査が行われ、結果全員の感染が判明していたとしても、その家族の最初の感染者は、最初に発症した寝たきりのじいさんではなく、夜毎遊び歩いていた元気そのものの孫である確率が高い、ということになる。必ずしも「最初に発症して死んだ人=最初に感染した人=ある集団にウィルスを持ち込んだ人」ではないということを理解すること。

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信楽焼に見られる白いつぶつぶは、鑑賞用語で「蟹の目」と呼ばれる。正体は信楽地方の土に含まれる長石や石英。(『ブラタモリ』より)

それにしても、信楽と甲賀、隣り合う二つの地方の、一方は焼き物で文化的に発展し、他方は山城だらけで戦(甲賀忍者)に明け暮れたその本当理由が、彼らの足元の地層にあったというのは実に興味深い。タモリも言ってたが、人間は自分の意思で生きているつもりでも、実際、多くの場合、多くの部分で、置かれた環境によって操られているのだ。なぜなら、人間は、生き物であり、生き物それ自体が環境の一部だからだ。

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非常事態宣言中の二度目の週末を迎えた札幌市だが、もう道路は車がうるさい感じ。先週の静けさはどこにもない。コロナの「恐怖」に「慣れた」し、コロナの「騒ぎ」に「飽きた」のだろう。いかにも生命現象らしい反応。各個体の一定割合の損失は、生命現象全体から見れば、初めから織り込み済みの「必要経費」なので、当事者たる各々の個体も、当初は騒いだり身を潜めたりするが、「これで急激に絶滅することはない」と「本能」的に気づけば、以前の生活を再開するようになるわけ。

全ての生物個体には「使用期限」があり、その使用期限が来る前に、やるべきこと、すなわち「生命現象」という現象自体を継続させるための作業に取り組まなければならない。たとえば、すべての人間は百年後にはまず間違いなく死ぬと分かっている。それは、「新型コロナウィルス感染からの発病」に対する恐れや推測などとはまるで次元の違う「将来の事実」。しかし、だからと言って、人間は呆然ともならないし、自暴自棄にもならない。まるでそんなことは知らないかのように、ある意味「無感動」に生命現象の継続に貢献するための行為に勤しむ。

2020年3月6日金曜日

飲酒運転の疑いで車を止められた運転者が、車の中にとじこもり、警官が見ている前で缶ビールのがぶ飲みを始める。これを「追い飲み」という。その後で検査で呼気からアルコールが検知されても、それは、今止まっている間に飲んだビールのせいだと言い張って、飲酒運転を免れるために広く知れ渡っている手段。もちろん、有効性は低い。

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地震で大きな揺れを感じなくても、海底地滑りが起きることで、高い津波が発生するメカニズムが解明されつつある。これを「サイレント津波」と呼ぶ。今度のNHKスペシャルで詳しく。

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インターネットのフリーマーケットで、マスクの転売を禁止する措置を1週間後に発動するみたいなニュースを見て、最初一瞬、なぜ即時じゃないのかと思ったけど、ああ、高値で売りつけようとしてマスクを溜め込んでいた連中から、シナモノを吐き出させるための1週間か、なるほど、と思った。

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今回の新型コロナ騒動で改めて、進化論ってスゴイ発見だな、と。

人間という[知性のスーパーチャージャーを搭載した生物]は、そのスーパーチャージャーをフル活用して地球上に溢れ返り、さらに、高速大量移動手段を発展させて、地球上全ての地域を、百年前の「国内」レベルの「時間的近さ」にまで近づけてしまった。今や世界中が「国内」であり、隣国などは「隣町」レベル。

人間は、今、天下を取ってるわけだけど、進化論によれば、全ての生物が、それ以外の全ての生物の生存環境であり資源である。人間というものが地球上に溢れかえり、どこにでもすぐに行くことができるなら、他の生物としては、その有り余る[人間という生存環境資源]を利用しない手はない。

地上に植物が栄え、酸素という「猛毒」が大量に溜まり始めると「間も無く」、その酸素が生み出す高エネルギーを利用する動物が活躍するようになった。

生物とは、意味も理由も主義も主張もなくただ増えて増えて増え続けることが原理。生命現象のプロトタイプとでもいうべきウィルスも、その原理にもっとも忠実。故に、世界中に際限なく広まり続けることを何の意味もなくただ「目指す」。そのための環境として、今の人間という生き物の「有り様」はまさに理想的。地球環境の破壊者としてかつての酸素同様に「猛毒」扱いされている人間を、新型コロナウィルスは(酸素を利用し始めた頃の動物のように)最大限有効活用する。これぞまさしく生物進化が30億年以上繰り返してきた…

2020年3月5日木曜日

魔女は悪魔にコネがあり、悪魔は地獄に詳しい。地獄には亡者が大勢いて、そのうちの何人かは、役に立つので地上に戻される。派遣社員のようなものだ。

魔女が手配したゴーストライダーは、天翔ける青白き馬ではなく、旧ドイツ軍のサイドカーを乗り回す。噂によると、あの戦争の時、冬のシベリア攻撃で凍死した兵士らしいが、その辺の詳しいことは魔女は知らず、悪魔も興味がないらしい。

ゴーストライダーは、閉鎖されたオフィスビルの前でサイドカーを止めた。運賃として新品の徳用マッチを渡すと、すぐに蓋を開けて、ヘルメットのバイザーの隙間に中身(マッチ棒)をザラザラと流し込んだ。体全体が青白く光る。

空中に点滅する矢印が現れたので、その指す先を見た。魔女が立っていた。見上げると夜空に緑色に点滅するいつもの光。魔女の手招きに従い、ビルの通用口から中に入った。

閉鎖されているにも関わらずビルには電気が通っていてエレベータが動く。魔女の後について乗り込む。こういう大きなビルは、たとえ使用しなくなっても、何かの時の用心のために電気を止めないのかもしれない。と思う。

最上階だか、最地下だかに着いた。

降りると、がらんと広いところに、ガヤガヤと大勢がいる。が、その全てが、生きた人間ではない。かと言って、死んだ人間でもない。魔女によると、それは人工人格と呼ばれる存在で、謂わば人工幽霊だ。

かつて生きていた人間の「情報」をモトに作られた者もいるし、ゼロから任意に積み上げられた「情報」によって作られた者もいる。前者には当然「前世」の記憶があるが、後者にもそれに類するものが人工的に作られ、与えられている。ので、当人には、自分がどちらのタイプなのかは分からないようになっている。

「気にする者はいませんよ」

と、そのうちの一人が言った。

「本物の記憶か、人工的な偽記憶か、それとも誰か別人の記憶なのか、もはやどうでもいいのです」

肉体の束縛からの解放、言い換えると、生命現象という制限からの解放が、個別の体験にこだわる意識を完全に消し去ってしまうのだという。

「生命現象という呪いを免れた、純粋な知性現象としての我々にとって、その記憶が誰のものなのか、ということは既に問題にさえならないのです。結局のところ、生命現象は単なる媒体に過ぎませんから」

一応、人のカタチをしたその人工人格は、そう言って微笑んだ。

2020年3月4日水曜日

勤め先の送別会の帰りにタクシーを捕まえ損ね続けて、大雪の中をだらだらとずいぶん歩いてしまい、もうタクシーに乗るほどの距離でもない辺りまで来てしまった。酔いも覚めて、体も冷えてきたので、まずくて甘い缶コーヒーでも飲んで温まろうと、横道に入った。その奥に安売りの自販機があるのを思い出したのだ。

自販機の光の中に若い女の顔が白く見えた。女の顔はじっと見入って商品を選んでいるふうにも見えるが、実際はそんなことはないだろうことはすぐに分かった。若い女は顔だけが人間で、首から下はガガンボなのだ。ガガンボは音で聴くとなんだかよく分からないが、漢字で書くと「大蚊」すなわち「大きな蚊」なので、まさに「名は体を表す」。

顔は若い人間の女(しかも美人)の、体はガガンボ(細いが普通の人間くらいの大きさはある)が、大雪の夜の自販機の光の中にふわふわと浮かんで、「微糖」だの「ラテ」だの「しぼりたて」だのと印刷された缶のダミーの並びを見てどうしようというのだろう?

以前、自称死神から聞いた話だと、ごく稀に、死んだ人間の記憶がいつまでも消えずに残ってしまうことがある。記憶は時間が経つと「腐って」、元のものとは「全くの別物」になり地上を「汚染」する。通説とは異なり、死神の仕事は、この死んだ人間の腐った記憶による地上の汚染の除去すなわち「除染」なのだ。

今目の前に浮かんでいる美人ガガンボも、自称死神が言うところの「腐った記憶」なのだろうか。

気づいたガガンボが横に避けてくれたので、前に進んで、財布から小銭を出して投入口に入れた。青い缶を選んでボタンを押す。取り出し口から缶を取り出し、プルタブをひねって蓋を開け一口飲んだ。その全ての動作を空中のガガンボは、横で黙って見ていた。

欲しいのかと思ったので、もう一本同じものを買って、どうせ自力でプルタブを開けられないだろうから、蓋まで開けてやって、顔を前にそっと差し出すと、小さく立ち上る湯気をじっと見ている。口の中からストロー的なものでも出てくるのか思っていたがそれもない。ただじっと見ている。

そのガガンボの若い女の顔を見ているうちに、この女の顔には見覚えがあるような気がして、はっと気がつくと、雪に埋もれて倒れていた。

死んではいない。だが体は冷え切っている。
「危なかったよ。ギリギリ」
レトロなライダーファッションの小さい女が注射器を見せた。

2020年3月3日火曜日

Dawkinsの『The Selfish Gene』は、「人間」の「敵」あるいは「搾取者」の正体を自覚しろという本。遺伝子は、遺伝子の都合で「人間」の体を活かしたり殺したりするが、「人間」は、必ずしも遺伝子(もちろん、自分自身を作り上げている遺伝子のこと)と利害が一致するわけではない。なにより、「人間」は死ねばそれきりなので、できれば死にたくはないが、遺伝子は「人間」が死んでも(つまり個体生物としてのヒトが死んでも)それは、単に乗り物を乗り換えるようなもので、遺伝子という特定の情報は「生き延びる」ことができる。だが、その「生き延びた」情報には、それまで生きた一人の「人間」の本質とでもいうべきモノは殆ど何も含まれていない。

「人間」の体は遺伝子の都合で出来上がっているので、様々な仕様が、「人間」用にではなく、遺伝子用になっている。例えば、恋に夢中になったり、愛に殉じたり、経済的な破綻が見えていても子供を持ちたがったり、年老いてオレオレ詐欺に騙されたり、というのは、すべて、「人間」の体の設計が遺伝子用の仕様になっていることで引き起こされる。その多くは、実は「純粋な人間」にとっては「ナクテモイイモノ」が原因。

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全然懐かないペットのナマケモノの世話について、飼い主であるタレントの壇蜜が、昔偉かったおじいちゃんを介護しているようだ、と『タモリ倶楽部』で言ってたのがツボにハマった。ただ、壇蜜自身は完全にかつてのオーラがなくなってて(冴えないおばさんになってた)、「結婚」ってスゴイもんだなと思った。というのは、褒めてるのでも貶してるのでもなく、例えば、産卵のために川を登ってくる鮭が、海で泳いでいる時とまるで違う生き物になるように、人間もツガウとまるで違う生き物になるんだな、という話。

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北海道の人間は、冬の室内で薄着になって(靴下さえ履かない)、それで寒い寒いと暖房の温度を上げる。何度言ってもその愚行を改めない。そんな彼らも、もし沖縄の人間が夏に室内で分厚いセーターを着て暑い暑いとクーラーの温度を下げているのを見れば、「まずはセーターを脱げばいいのに」と思うはず。だが、普段自分たちが「同じコト」をしていることには全く気づかないだろう。

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昆虫の大きさは大気中の酸素濃度で決まる(酸素を体の隅々に運ぶ循環機構が備わっていないからだ)。昆虫の大きさも、ブラックホールの規模同様、物理が決める。

2020年3月2日月曜日

そこにいた連中は皆それぞれに自分の筒を持っていた。筒は両端が開いている。底もないし、フタもない。だから、厳密にいうと管なのかもしれないが、その形状は、やはり、管というよりは筒だ。

連中は、それぞれが持っている自分の筒の一方の口、すなわち穴だけを布などで覆い隠している。もう一方の口、すなわち穴には何の覆いもしていない。一方を隠し、他方は丸出し。その理由を尋ねると、連中は、笑ったり、驚いたり、固まったりした。反応はいろいろだが、要するに誰もがひどく当惑したのだ。

連中にとって筒の一方の口を隠すのは当然すぎるほど当然なのだ。そのことに疑問を持つ方がどうかしている。それは無知というよりも無礼あるいは不躾である。すなわち、それは、謂わば「偽の疑問」であり、自分でもその答えを知っており、だから、訊かれた相手が答えるのに困ることも充分に知っている上で、敢えて発せられる疑問・質問なのだから、その問いかけの根底にあるのは好奇心や探究心ではなく、単なる悪意なのだ。というのが、連中の見解であり解釈だった。

私のこの無礼な問いかけは、私というものが、この場所では部外者であり、新参者であり、あるいは全く異なる存在であることが考慮され、不問に付されることとなった。

「本来ならば」という意味のことを、連中の代表者が、連中の言葉で言った。「最も寛大な処置だったとしても、永久追放に値するものです」

私は翻訳端末機の画面から目を挙げ、感謝の意を表すという「オジギ」という動作を連中に対して行った。連中は、すっかり気を許したというわけではないが、その表情(私には極めて感情が読みにくい顔ばかり)はそれまでよりも和らいだように見えた。

間も無く、連中によって、私の歓迎会が開かれた。連中は、それぞれが持っている自分の筒の、覆いをしていない側の穴に、テーブルに並べられた液体や固体を、好き勝手に入れては、筒を振り回して、陽気に騒いだ。時々、席を立って、離れた場所にある個室に入る者がいた。不思議そうに見ている私に気づいた、連中の中でも私に対して特に理解のある親切な一人が教えてくれたところによると、それは、筒の中に溜まった液体や固体を、筒の隠してある側の穴から外に出すために作られた部屋で、ここではどこの施設や建物にでもあるものだという。

やがて90分が過ぎた。ポケットから出てきたCOBEが「窓」を開いた。

2020年3月1日日曜日

今回の新型コロナウィルス「騒ぎ」の本質は、人間という存在が、ますます「生命現象の都合に巻き込まれることを拒否したい」と思うようになっている証拠。生命現象という観点からすれば、今回の「新型」が直接の原因になって70億人の1割が死んでも9割が死んでも「生き物とはソンナモノだ」というハナシで済むこと。いや、もっと言ってしまえば、今回のこれで仮に人類が絶滅したところで「ダカラナニ?」というのが生命現象としての立場。なぜなら、地球に生命が誕生して30億年以上、生命現象自体は存在し続けているし、今この瞬間に人類が消え去ったとしても、その30億年の歴史が終焉を迎えるわけでもないからだ。

人間の「生命現象の都合に巻き込まれるのはゴメンだ!」という態度は、何も生き死にに関わる事例ばかりではない。典型例が美容整形と老化防止。老化防止は生き死にに関わっているように見えるが違う。老化防止に夢中になる人間も殆どが、最終的に自分が死んでしまうこと自体は受け入れている。老化防止は、自身の容姿や生き様が「醜く」なることを防ごうとする行為に過ぎない。つまりは美の問題だ。

人間の知性現象は、生命現象が作り出すそれぞれの個体に依存しているので、本来、生命現象がさほど重要視していない[生物個体の生き死に]が、知性現象にとっては最重要問題になってしまう。今回の新型コロナが「騒ぎ」になってしまうのも、人間という存在にとって「個体の死」が(生命現象本来の視点からすれば)過度に重要視されてしまっているからだ。

農耕が始まって人間が集団で密集して暮らすようになったことで、感染症や伝染病の「繁栄」が始まったのは、誰でも知ってる話。それでも、集落毎の距離が徒歩で1週間かかる文明レベルなら、三日で発症して四日目に感染者死ぬような伝染病は、一つの集落を絶滅させてそれでおしまいだった。今地球上の大抵の国には、一日か二日あれば行けてしまう。上で言った三日目に発症して四日目に患者を殺してしまう伝染病も、今なら地球の全ての地域に拡散できる。交通機関の発達は、人間にとっても便利だが、伝染病にとっても有益なのだ。

という話じゃなくて、つまり、伝染病拡散という問題で重要なのは距離じゃなく時間ということ。アンドロメダ星雲にある植民地に二日で行ける移動手段を持ってれば、はるかかなたのアンドロメダ星雲の植民地も上で言った伝染病の感染危険エリアになる。

2020年2月29日土曜日

テレビ放送を録画してあった『翔んで埼玉』を観た。『パタリロ』の作者の原作とは知らなかった。しかも30年前の。しかし、そう思って観ていると確かにパタリロだ。元祖BL(ただしギャグ漫画を隠れ蓑にした)のあの世界だ。充分楽しめたが、関東圏の人たちはもっと楽しいのだろう。

「空気tasiting」と「動け、僕の足!」

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「若造」のスタンドプレー感がなくもない北海道の「非常事態宣言」だが、そのおかげで、朝から外が静かで好い。幹線道路が交差する場所のすぐ近くに住んでいるので、不自然に「静か」なのがよくわかる。なんというか、空気の音が違う。雪が降り積もると、音波が積もった雪に吸収されて、いつも以上に静かになるけど、あの感じに似てなくもない。さっきちょっと用事で外に出たら、人通りもマバラで、散歩するならむしろ今日だろう、と思ったくらい。無論、店などどこにも寄らず、ただひたすらヒトケのない道を歩く散歩。というか、これが散歩だろう。

あと、学校関係が急に一ヶ月も休みになって、成績がどうとか入試がどうとか騒いでるけど、どうにもこうにも思考が硬直してるよね。成績に関しては、今期は実質として「ナカッタコト」にしちゃえばいいのに。というのは、つまり、今期は全員[但し書きのついた及第点]にしておけばいいじゃないかってこと。競馬だのトトカルチョだのの賭けが不成立だったときに、胴元(banker)が賭け自体をナカッタコトにするアレと同じ(いや、それは違うかな)。入試も、まあ、希望者は早い物勝ちで合格にしてしまえば? 受験生だって、入学後のことを考えれば、あまりに「無理」なところには入ろうとはしないだろうし。

だいたい昔の学生紛争の頃に「卒業」した連中って、本当に全員ちゃんと「卒業」(卒業に値する勉強をして卒業)したのか? ドサクサに紛れて、社会に出て、今一人前のオトナヅラをしている連中がゴロゴロいるはず。でも、タマにはソレでもイイダロ、というハナシ。どうせ、卒業だの成績だの合格だの一人前のオトナだのってモノは、人間が「勝手に」やってることなんだから、たまに、ズルしたり、ごまかしたりしても別にカマヤシナイ。

今回も、世界中の「大騒ぎ」なんだから、たまたまこんな大イベントにぶつかった連中が「あの年はあんなことがあって逆にツイてたねえ」と思い返せたほうが、「あれで人生損したよ」と思い返すことになるより全然好いはず。

2020年2月28日金曜日

10年前に発売された『バイオニックコマンドー 』(PS3)を10年後に900円(新品)で買って、もう20周以上してるんだけど、昨日、全トロフィー(ゴーゴーバイオニック!)を獲得した。『ゴッドハンド』(PS2)と並んで、一生楽しめるゲームな気がする。ちなみに、90過ぎても「テレビゲーム」をやってたら、その人生は「勝ち」だと思ってる。

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新型コロナウィルスの「影響」で(と言うか、本当は人間が決めてだけで、コロナにそのつもりはないんだけど)、いろいろなイベントやらなんやらが中止や延期になって、イベント会社の社長がヒーヒー言ってるのをテレビで見た。「人出」や、外国人観光客の「襲来(ある意味襲来だろう」をアテにしている商売はみんな、世の中が今のような事態に陥る場合をリスクとして抱えている自覚があるべきなんだけど、ないんだよね。やっぱり。

これはつまり、漁師が何日も続く悪天候で漁に出られずジリ貧になっていくとか、農家が長雨や日照りやで不作になって、出稼ぎに行くしかなくなるとか、そういうのと同じこと。漁師や農家が「天候」に左右されるように、イベント会社や芸能や音楽家は「人出」に左右される。そして、この「人出」を決めているのは、実は自然。ウィルスは自然だし、人間も自然(ウィルスに感染している限りは=つまり生命現象に依存している限り)。「人出」は、「天候」や「潮の流れ」や「日照時間」や「降雨量」と同じもの。

あと、「政府の『要請』が突然で困る。もっと前もって段階的にしてもらわない」と、なんてことを、ニュースのキャスターとかが言ってるけど、本気なのかな? それって、昨日から妙にダルいなと思いながら1日仕事をして家に帰って寝て起きたら、朝、四十度の熱があったので、会社に欠勤願いの電話しましたって相手に、「昨日のダルい時点で、今日休むかもしれないと言ってもらわないと、そんあ急に困るよ!」って言うようなものだろう。

別に、アベとか政府とかの肩を持つつもりはない。政府だ識者だ専門家だって言っても、要はタダの人間なんだから[人の往来的には実質国境など存在しない今の時代に発生した新型伝染病]にどうしていいかわからず、内心「オロオロ」してるだけなのは、みんな分かってるわけで、分かった上で、一応タテテるというか、ね。「困っている人たちの味方」アピールで、カラッポなことを口走る「報道関係者」にはイラっとするよ。

2020年2月27日木曜日

『水木しげる妖怪画集』を読んだ。というか観た。1970年に出版されたものが、2017年に復刊ドットコムで復刊したもの。昔の本だけあって、同じ妖怪でも「姿」が違うのが面白かった。「べとべとさん」や「ぬりかべ」などだ。

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昨日は北海道だけだったけど、どうやら、全国的に休校になるらしい。しかも、小中に加えて高校も。これだけ「地球が小さく」なって、どこの何人でも、どこの何国にでも行ったり来たりできるわけで、当然、この先も「こういうこと」は起きるはず。だから、これを機に、ひとつどうなるか、いっぺん極端なことをやってみたほうがいいよね。つまり、社会が死なない程度に社会活動を「休眠状態/冬眠状態」にして「やり過ごす」と、実際どうなるか、どういう不具合が起きて、どういうことは案外平気かっていう、いわゆる「社会実験」ってのを。

もうひとつ。これを機に、やっぱり、remote working(遠隔勤務)が普及するんじゃないかな。つまり、生身の人間が毎朝大量にノコノコ出かけて行って一つ場所に集まってやる必要のない仕事が、今、実際、大量にあるわけで、しかし、経営者の方は、経費とかキッカケとかがなくて、なかなか切り替えができなかったのが、こうなってみると、長い目で見たら、経済的にも経営的にも有利だってことにやっと気づいて。ちょうど、フクシマが、太陽光エネルギーだのなんだのにカネを振り向けるキッカケになったように。人間、痛い目を見ないと行動を起こさないからね。

エライ人たちの考えは、新型だから、今のところワクチンも特効薬もなくて、だから、最終的にはきっと、今生きている地球人のほとんどが感染するつもりで、しかし、いっぺんに大勢が感染したら困るから、できるだけ長い時間をかけて、うすーく感染させていくようにして乗り切ろうって寸法。まあ、それしかないよね。だから、コチラとしても「絶対に感染しないぞ」っていうよりも「どうせどっかのタイミングで感染するだろうけど、遅ければ遅いほどトクなはずだから、できるだけ粘ろう」くらいに構えていたほうが、精神衛生上ヨロシイ気がする。

今回のコロナ騒動で、昔の「スペインかぜ」(世界中で何千万と死んだらしい)の時とかの「世の中の感じ」はどんなだったんだろうと思う。今生きている連中はみんな、あのウィルスの「淘汰」を生き延びた者たちの子孫だよね。今回、新たな「淘汰」が起きたことで未来…

2020年2月26日水曜日

冷凍チャーハンが美味くなったというのを、ドッカのテレビ局でやっていたのを観た。昔は、チャーハン(炒飯)と言いながら、実は炒めてなかったのが(つまり、炒めたような風味をつけた、タダの炊いたご飯だったのが)、今は技術が進歩して、本当に炒めてから冷凍できるようになったのが、美味くなった一番の理由だ、みたいなことを言って、実際、でかい、水車のような、足ひれのようなもので、炒めた飯をぐるぐる回してバタバタ落としている機械の映像が流れていた。これは、中華料理人がチャーハンを作るときに行う「煽り炒め」というワザを再現したものらしい。

で、買って食ってみたら、なるほど確かに。

「確かに」というのは、二十年ほど前の冷凍チャーハンは、電子レンジでチンするより、自分でフライパンで炒めて温めた方が断然美味かったのが、今度買ってきた煽り炒めを謳ったチャーハンは、電子レンジでチンしただけで、ちゃんと美味くなっているということ。つまり、ちゃんと炒めた感じになってる。まあ、味付けが濃いので、そこまで含めて美味いかというと、やっぱり、「いや、これ、味濃いよ」と不満を言いたいけど、それで言えば、外食チャーハンはみんなこんなものだから、まあ、フツウの味の濃さと言えばその通り。

そう言えば、さっき「路線バスの旅」のベスト版みたいなの(早い話が再放送)をテレビでやっていて、その中の蛭子さんが妙に若くて(だって、その「妙に若い蛭子さん」は、何十年も前の蛭子さんではないはず)、ああ、このくらいの歳の人って数年のうちに急激に老け込んでいくんだなあ、と思った。

あと、遂に今日、首相が新型コロナの対策の「要請」を出したので、ラグビーのプロリーグの開催が中止(延期?)になって、ダレカの音楽イベントが当日中止になって、北海道の小中学校が2週間ほど休校になって、あと、プロ野球のオープン戦がすべて無観客試合(プロ野球史上初)になった。この調子でいくと、来月の大相撲も中止になる。日本政府は、オリンピックの8月までにこの騒動を治めたいと必死なのだろうが、ダメだね。「東京オリンピック」は「モッテナイ」から中止になるよ(そもそもマラソンが札幌に移った時点で雲行きが…)。今の世界の状況だと「他所に取られる」こともないだろうけど、オリンピックみたいな大イベントは、今年ダメならじゃあ来年とはいかない。結局、2020年は「ナカッタコト」になると思…