今回の新型コロナウィルス「騒ぎ」の本質は、人間という存在が、ますます「生命現象の都合に巻き込まれることを拒否したい」と思うようになっている証拠。生命現象という観点からすれば、今回の「新型」が直接の原因になって70億人の1割が死んでも9割が死んでも「生き物とはソンナモノだ」というハナシで済むこと。いや、もっと言ってしまえば、今回のこれで仮に人類が絶滅したところで「ダカラナニ?」というのが生命現象としての立場。なぜなら、地球に生命が誕生して30億年以上、生命現象自体は存在し続けているし、今この瞬間に人類が消え去ったとしても、その30億年の歴史が終焉を迎えるわけでもないからだ。
人間の「生命現象の都合に巻き込まれるのはゴメンだ!」という態度は、何も生き死にに関わる事例ばかりではない。典型例が美容整形と老化防止。老化防止は生き死にに関わっているように見えるが違う。老化防止に夢中になる人間も殆どが、最終的に自分が死んでしまうこと自体は受け入れている。老化防止は、自身の容姿や生き様が「醜く」なることを防ごうとする行為に過ぎない。つまりは美の問題だ。
人間の知性現象は、生命現象が作り出すそれぞれの個体に依存しているので、本来、生命現象がさほど重要視していない[生物個体の生き死に]が、知性現象にとっては最重要問題になってしまう。今回の新型コロナが「騒ぎ」になってしまうのも、人間という存在にとって「個体の死」が(生命現象本来の視点からすれば)過度に重要視されてしまっているからだ。
農耕が始まって人間が集団で密集して暮らすようになったことで、感染症や伝染病の「繁栄」が始まったのは、誰でも知ってる話。それでも、集落毎の距離が徒歩で1週間かかる文明レベルなら、三日で発症して四日目に感染者死ぬような伝染病は、一つの集落を絶滅させてそれでおしまいだった。今地球上の大抵の国には、一日か二日あれば行けてしまう。上で言った三日目に発症して四日目に患者を殺してしまう伝染病も、今なら地球の全ての地域に拡散できる。交通機関の発達は、人間にとっても便利だが、伝染病にとっても有益なのだ。
という話じゃなくて、つまり、伝染病拡散という問題で重要なのは距離じゃなく時間ということ。アンドロメダ星雲にある植民地に二日で行ける移動手段を持ってれば、はるかかなたのアンドロメダ星雲の植民地も上で言った伝染病の感染危険エリアになる。