2020年3月3日火曜日

Dawkinsの『The Selfish Gene』は、「人間」の「敵」あるいは「搾取者」の正体を自覚しろという本。遺伝子は、遺伝子の都合で「人間」の体を活かしたり殺したりするが、「人間」は、必ずしも遺伝子(もちろん、自分自身を作り上げている遺伝子のこと)と利害が一致するわけではない。なにより、「人間」は死ねばそれきりなので、できれば死にたくはないが、遺伝子は「人間」が死んでも(つまり個体生物としてのヒトが死んでも)それは、単に乗り物を乗り換えるようなもので、遺伝子という特定の情報は「生き延びる」ことができる。だが、その「生き延びた」情報には、それまで生きた一人の「人間」の本質とでもいうべきモノは殆ど何も含まれていない。

「人間」の体は遺伝子の都合で出来上がっているので、様々な仕様が、「人間」用にではなく、遺伝子用になっている。例えば、恋に夢中になったり、愛に殉じたり、経済的な破綻が見えていても子供を持ちたがったり、年老いてオレオレ詐欺に騙されたり、というのは、すべて、「人間」の体の設計が遺伝子用の仕様になっていることで引き起こされる。その多くは、実は「純粋な人間」にとっては「ナクテモイイモノ」が原因。


全然懐かないペットのナマケモノの世話について、飼い主であるタレントの壇蜜が、昔偉かったおじいちゃんを介護しているようだ、と『タモリ倶楽部』で言ってたのがツボにハマった。ただ、壇蜜自身は完全にかつてのオーラがなくなってて(冴えないおばさんになってた)、「結婚」ってスゴイもんだなと思った。というのは、褒めてるのでも貶してるのでもなく、例えば、産卵のために川を登ってくる鮭が、海で泳いでいる時とまるで違う生き物になるように、人間もツガウとまるで違う生き物になるんだな、という話。


北海道の人間は、冬の室内で薄着になって(靴下さえ履かない)、それで寒い寒いと暖房の温度を上げる。何度言ってもその愚行を改めない。そんな彼らも、もし沖縄の人間が夏に室内で分厚いセーターを着て暑い暑いとクーラーの温度を下げているのを見れば、「まずはセーターを脱げばいいのに」と思うはず。だが、普段自分たちが「同じコト」をしていることには全く気づかないだろう。


昆虫の大きさは大気中の酸素濃度で決まる(酸素を体の隅々に運ぶ循環機構が備わっていないからだ)。昆虫の大きさも、ブラックホールの規模同様、物理が決める。