2021年7月1日 木曜日
天気:晴れ。風強い。17時ごろ猫散歩。
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晩飯:手作りハンバーガー(レトルトハンバーグ、キャベツ千切り、胡瓜のピクルス、塩バターぱん)、白米、黒ラベル、他
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『ガンダム』は、いわゆる「初代」と『ポケットの中の戦争』と『∀ガンダム』だけを観ればいい。「初代」の「劇場版第三部」から始まる所謂「ガンダム・サーガ」は「もしもあの時シャアが死ななかったら」という「if物語」の流れ。
つまり、『初代』から『∀』までの間に「黒歴史」と呼ばれる「長い戦乱からの文明崩壊」は確かに存在したが、そこには[ア・バオア・クーで生き残ったシャア(どうやって? キシリアの死骸が乗ったザンジバルの、ア・バオア・クーすら破壊しそうな勢いの大爆発を見ろ!)]や[軍人になったアムロ(ララァにあんなことをしてしまったアムロが戦後再び「ガンダム」に乗るわけがない。ア・バオア・クーの戦いはララァを殺してしまったその日か、次の日で、まあ、テンションがオカシイままで、しかもホワイトベースの仲間のアレもあって、「勢い」でそのままパイロットをやってたけど、戦争が終わって一旦「落ち着いたら」、もう二度と「ガンダム」には乗れない。だって、ニュータイプなんだぜ、普通の人以上に無理!)]は登場しない。「史実」では、シャアはア ・バオア・クーで死に、アムロは軟禁生活で生涯を終える(その方が圧倒的にアムロの有り様としてリアル)。
だから、『劇場版第3部めぐりあい宇宙』『Z』『ZZ』『逆襲のシャア』『UC』それに今やってる『閃光のハサウェイ』までは、全部「もしもあの時シャアが死んでなかったら」の「if物語」。すなわち、フィクション内フィクション。あるいは「2次創作」。
『ポケ戦』はシャアが死ぬ前の物語なので「if物語」には含まれないし、『初代』にも『∀』にも「干渉」しないのでOK。
ついでに書けば、「初代」と「ポケ戦」と「∀」以外の「宇宙世紀モノ」は全部、「キャラアニメ」なんだよね。人気アイドルや有名俳優を見せるために作った映画みたいなもので、所謂「ファン用」。あの地味なキャラが出てきたとか、あのキャラとあのキャラが結婚していたとか、あのキャラがついに死んだ、とか、そういう「楽しみ方」のアニメ。
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今週の山崎努は『刑務所の中』。木下ほうかが演じている「自己確立している」殺人罪の服役者の名前は「大内」:「人一人殺して7年は安いもんだ」
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水木サンの作品がアニメ化されたものはドーシヨーもないモノばかりだけど、あれらのおかげで、世代をこえて水木ファンが生み出され続け、結果、水木サンのオリジナル漫画の揺るぎない評価を得ることになった。同じことが富野サンについても云える。初代が終わって以降につくられた全ての「ガンダム」は、「∀」が結実するために必要でもあった絶対的な(カルトな?)富野評価の[下地/食い継ぎ]になった。
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§º小学生は「最も賢い動物」。中学生は「最も愚かな人間」
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§º子供と女は全体主義者。子供は、周りのみんなと同じモノが欲しい。一方、女は、周りのみんなとは違うモノ(周りのみんなが持っていてないモノ)が欲しい。子供や女は、「周りのみんなと同じかどうかはどうでもよくて、ただひたすら自分が欲しいモノが欲しい」ということにはならない。自分が欲しい思って手に入れたモノでも、周りが同じモノを持っている/いないで、手に入れたモノの評価が上下する。