15年、猫と歩いている。即ち、猫の散歩人。
猫が若い頃は、早朝(というか、まだ夜中)の3時ごろから1〜2時間。今は、夕方、家の裏の空き地で数十分。
そして昨日の昼間、ふと、感覚器の異なる動物と一緒に歩くことによる気付きがあることに気づいた。自分は何を好き好んで、例えば、暗がりの早朝の人気のない住宅街を、髭の生えた小動物の言いなりになって、歩き回っているのか、長年ギモンだったのだが、その答えが、15年目にして、不意にわかったのだ。
猫は人間とは世界の体験の仕方が決定的に違う。それが面白いのだ。
体験している光(闇)、匂い、音、全てが違っている。そうすると、意味が違ってくる。つまり、今、目の前にある世界が発する意味が。
また、こんなことを考える。
人間の心臓がおよそ1秒に1鼓動なのに対して、猫の心臓の1鼓動は0.3秒である。鼓動の平均速度は、その動物の体験している時間の速さと、一定の相関関係にある。細かい数値は省略するが、要するに、猫の時間は、人間の時間よりも速く流れている。
シュレディンガーの猫ならぬアインシュタインの猫。