2020年3月5日木曜日

魔女は悪魔にコネがあり、悪魔は地獄に詳しい。地獄には亡者が大勢いて、そのうちの何人かは、役に立つので地上に戻される。派遣社員のようなものだ。

魔女が手配したゴーストライダーは、天翔ける青白き馬ではなく、旧ドイツ軍のサイドカーを乗り回す。噂によると、あの戦争の時、冬のシベリア攻撃で凍死した兵士らしいが、その辺の詳しいことは魔女は知らず、悪魔も興味がないらしい。

ゴーストライダーは、閉鎖されたオフィスビルの前でサイドカーを止めた。運賃として新品の徳用マッチを渡すと、すぐに蓋を開けて、ヘルメットのバイザーの隙間に中身(マッチ棒)をザラザラと流し込んだ。体全体が青白く光る。

空中に点滅する矢印が現れたので、その指す先を見た。魔女が立っていた。見上げると夜空に緑色に点滅するいつもの光。魔女の手招きに従い、ビルの通用口から中に入った。

閉鎖されているにも関わらずビルには電気が通っていてエレベータが動く。魔女の後について乗り込む。こういう大きなビルは、たとえ使用しなくなっても、何かの時の用心のために電気を止めないのかもしれない。と思う。

最上階だか、最地下だかに着いた。

降りると、がらんと広いところに、ガヤガヤと大勢がいる。が、その全てが、生きた人間ではない。かと言って、死んだ人間でもない。魔女によると、それは人工人格と呼ばれる存在で、謂わば人工幽霊だ。

かつて生きていた人間の「情報」をモトに作られた者もいるし、ゼロから任意に積み上げられた「情報」によって作られた者もいる。前者には当然「前世」の記憶があるが、後者にもそれに類するものが人工的に作られ、与えられている。ので、当人には、自分がどちらのタイプなのかは分からないようになっている。

「気にする者はいませんよ」

と、そのうちの一人が言った。

「本物の記憶か、人工的な偽記憶か、それとも誰か別人の記憶なのか、もはやどうでもいいのです」

肉体の束縛からの解放、言い換えると、生命現象という制限からの解放が、個別の体験にこだわる意識を完全に消し去ってしまうのだという。

「生命現象という呪いを免れた、純粋な知性現象としての我々にとって、その記憶が誰のものなのか、ということは既に問題にさえならないのです。結局のところ、生命現象は単なる媒体に過ぎませんから」

一応、人のカタチをしたその人工人格は、そう言って微笑んだ。

2020年3月4日水曜日

勤め先の送別会の帰りにタクシーを捕まえ損ね続けて、大雪の中をだらだらとずいぶん歩いてしまい、もうタクシーに乗るほどの距離でもない辺りまで来てしまった。酔いも覚めて、体も冷えてきたので、まずくて甘い缶コーヒーでも飲んで温まろうと、横道に入った。その奥に安売りの自販機があるのを思い出したのだ。

自販機の光の中に若い女の顔が白く見えた。女の顔はじっと見入って商品を選んでいるふうにも見えるが、実際はそんなことはないだろうことはすぐに分かった。若い女は顔だけが人間で、首から下はガガンボなのだ。ガガンボは音で聴くとなんだかよく分からないが、漢字で書くと「大蚊」すなわち「大きな蚊」なので、まさに「名は体を表す」。

顔は若い人間の女(しかも美人)の、体はガガンボ(細いが普通の人間くらいの大きさはある)が、大雪の夜の自販機の光の中にふわふわと浮かんで、「微糖」だの「ラテ」だの「しぼりたて」だのと印刷された缶のダミーの並びを見てどうしようというのだろう?

以前、自称死神から聞いた話だと、ごく稀に、死んだ人間の記憶がいつまでも消えずに残ってしまうことがある。記憶は時間が経つと「腐って」、元のものとは「全くの別物」になり地上を「汚染」する。通説とは異なり、死神の仕事は、この死んだ人間の腐った記憶による地上の汚染の除去すなわち「除染」なのだ。

今目の前に浮かんでいる美人ガガンボも、自称死神が言うところの「腐った記憶」なのだろうか。

気づいたガガンボが横に避けてくれたので、前に進んで、財布から小銭を出して投入口に入れた。青い缶を選んでボタンを押す。取り出し口から缶を取り出し、プルタブをひねって蓋を開け一口飲んだ。その全ての動作を空中のガガンボは、横で黙って見ていた。

欲しいのかと思ったので、もう一本同じものを買って、どうせ自力でプルタブを開けられないだろうから、蓋まで開けてやって、顔を前にそっと差し出すと、小さく立ち上る湯気をじっと見ている。口の中からストロー的なものでも出てくるのか思っていたがそれもない。ただじっと見ている。

そのガガンボの若い女の顔を見ているうちに、この女の顔には見覚えがあるような気がして、はっと気がつくと、雪に埋もれて倒れていた。

死んではいない。だが体は冷え切っている。
「危なかったよ。ギリギリ」
レトロなライダーファッションの小さい女が注射器を見せた。

2020年3月3日火曜日

Dawkinsの『The Selfish Gene』は、「人間」の「敵」あるいは「搾取者」の正体を自覚しろという本。遺伝子は、遺伝子の都合で「人間」の体を活かしたり殺したりするが、「人間」は、必ずしも遺伝子(もちろん、自分自身を作り上げている遺伝子のこと)と利害が一致するわけではない。なにより、「人間」は死ねばそれきりなので、できれば死にたくはないが、遺伝子は「人間」が死んでも(つまり個体生物としてのヒトが死んでも)それは、単に乗り物を乗り換えるようなもので、遺伝子という特定の情報は「生き延びる」ことができる。だが、その「生き延びた」情報には、それまで生きた一人の「人間」の本質とでもいうべきモノは殆ど何も含まれていない。

「人間」の体は遺伝子の都合で出来上がっているので、様々な仕様が、「人間」用にではなく、遺伝子用になっている。例えば、恋に夢中になったり、愛に殉じたり、経済的な破綻が見えていても子供を持ちたがったり、年老いてオレオレ詐欺に騙されたり、というのは、すべて、「人間」の体の設計が遺伝子用の仕様になっていることで引き起こされる。その多くは、実は「純粋な人間」にとっては「ナクテモイイモノ」が原因。

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全然懐かないペットのナマケモノの世話について、飼い主であるタレントの壇蜜が、昔偉かったおじいちゃんを介護しているようだ、と『タモリ倶楽部』で言ってたのがツボにハマった。ただ、壇蜜自身は完全にかつてのオーラがなくなってて(冴えないおばさんになってた)、「結婚」ってスゴイもんだなと思った。というのは、褒めてるのでも貶してるのでもなく、例えば、産卵のために川を登ってくる鮭が、海で泳いでいる時とまるで違う生き物になるように、人間もツガウとまるで違う生き物になるんだな、という話。

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北海道の人間は、冬の室内で薄着になって(靴下さえ履かない)、それで寒い寒いと暖房の温度を上げる。何度言ってもその愚行を改めない。そんな彼らも、もし沖縄の人間が夏に室内で分厚いセーターを着て暑い暑いとクーラーの温度を下げているのを見れば、「まずはセーターを脱げばいいのに」と思うはず。だが、普段自分たちが「同じコト」をしていることには全く気づかないだろう。

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昆虫の大きさは大気中の酸素濃度で決まる(酸素を体の隅々に運ぶ循環機構が備わっていないからだ)。昆虫の大きさも、ブラックホールの規模同様、物理が決める。

2020年3月2日月曜日

そこにいた連中は皆それぞれに自分の筒を持っていた。筒は両端が開いている。底もないし、フタもない。だから、厳密にいうと管なのかもしれないが、その形状は、やはり、管というよりは筒だ。

連中は、それぞれが持っている自分の筒の一方の口、すなわち穴だけを布などで覆い隠している。もう一方の口、すなわち穴には何の覆いもしていない。一方を隠し、他方は丸出し。その理由を尋ねると、連中は、笑ったり、驚いたり、固まったりした。反応はいろいろだが、要するに誰もがひどく当惑したのだ。

連中にとって筒の一方の口を隠すのは当然すぎるほど当然なのだ。そのことに疑問を持つ方がどうかしている。それは無知というよりも無礼あるいは不躾である。すなわち、それは、謂わば「偽の疑問」であり、自分でもその答えを知っており、だから、訊かれた相手が答えるのに困ることも充分に知っている上で、敢えて発せられる疑問・質問なのだから、その問いかけの根底にあるのは好奇心や探究心ではなく、単なる悪意なのだ。というのが、連中の見解であり解釈だった。

私のこの無礼な問いかけは、私というものが、この場所では部外者であり、新参者であり、あるいは全く異なる存在であることが考慮され、不問に付されることとなった。

「本来ならば」という意味のことを、連中の代表者が、連中の言葉で言った。「最も寛大な処置だったとしても、永久追放に値するものです」

私は翻訳端末機の画面から目を挙げ、感謝の意を表すという「オジギ」という動作を連中に対して行った。連中は、すっかり気を許したというわけではないが、その表情(私には極めて感情が読みにくい顔ばかり)はそれまでよりも和らいだように見えた。

間も無く、連中によって、私の歓迎会が開かれた。連中は、それぞれが持っている自分の筒の、覆いをしていない側の穴に、テーブルに並べられた液体や固体を、好き勝手に入れては、筒を振り回して、陽気に騒いだ。時々、席を立って、離れた場所にある個室に入る者がいた。不思議そうに見ている私に気づいた、連中の中でも私に対して特に理解のある親切な一人が教えてくれたところによると、それは、筒の中に溜まった液体や固体を、筒の隠してある側の穴から外に出すために作られた部屋で、ここではどこの施設や建物にでもあるものだという。

やがて90分が過ぎた。ポケットから出てきたCOBEが「窓」を開いた。

2020年3月1日日曜日

今回の新型コロナウィルス「騒ぎ」の本質は、人間という存在が、ますます「生命現象の都合に巻き込まれることを拒否したい」と思うようになっている証拠。生命現象という観点からすれば、今回の「新型」が直接の原因になって70億人の1割が死んでも9割が死んでも「生き物とはソンナモノだ」というハナシで済むこと。いや、もっと言ってしまえば、今回のこれで仮に人類が絶滅したところで「ダカラナニ?」というのが生命現象としての立場。なぜなら、地球に生命が誕生して30億年以上、生命現象自体は存在し続けているし、今この瞬間に人類が消え去ったとしても、その30億年の歴史が終焉を迎えるわけでもないからだ。

人間の「生命現象の都合に巻き込まれるのはゴメンだ!」という態度は、何も生き死にに関わる事例ばかりではない。典型例が美容整形と老化防止。老化防止は生き死にに関わっているように見えるが違う。老化防止に夢中になる人間も殆どが、最終的に自分が死んでしまうこと自体は受け入れている。老化防止は、自身の容姿や生き様が「醜く」なることを防ごうとする行為に過ぎない。つまりは美の問題だ。

人間の知性現象は、生命現象が作り出すそれぞれの個体に依存しているので、本来、生命現象がさほど重要視していない[生物個体の生き死に]が、知性現象にとっては最重要問題になってしまう。今回の新型コロナが「騒ぎ」になってしまうのも、人間という存在にとって「個体の死」が(生命現象本来の視点からすれば)過度に重要視されてしまっているからだ。

農耕が始まって人間が集団で密集して暮らすようになったことで、感染症や伝染病の「繁栄」が始まったのは、誰でも知ってる話。それでも、集落毎の距離が徒歩で1週間かかる文明レベルなら、三日で発症して四日目に感染者死ぬような伝染病は、一つの集落を絶滅させてそれでおしまいだった。今地球上の大抵の国には、一日か二日あれば行けてしまう。上で言った三日目に発症して四日目に患者を殺してしまう伝染病も、今なら地球の全ての地域に拡散できる。交通機関の発達は、人間にとっても便利だが、伝染病にとっても有益なのだ。

という話じゃなくて、つまり、伝染病拡散という問題で重要なのは距離じゃなく時間ということ。アンドロメダ星雲にある植民地に二日で行ける移動手段を持ってれば、はるかかなたのアンドロメダ星雲の植民地も上で言った伝染病の感染危険エリアになる。

2020年2月29日土曜日

テレビ放送を録画してあった『翔んで埼玉』を観た。『パタリロ』の作者の原作とは知らなかった。しかも30年前の。しかし、そう思って観ていると確かにパタリロだ。元祖BL(ただしギャグ漫画を隠れ蓑にした)のあの世界だ。充分楽しめたが、関東圏の人たちはもっと楽しいのだろう。

「空気tasiting」と「動け、僕の足!」

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「若造」のスタンドプレー感がなくもない北海道の「非常事態宣言」だが、そのおかげで、朝から外が静かで好い。幹線道路が交差する場所のすぐ近くに住んでいるので、不自然に「静か」なのがよくわかる。なんというか、空気の音が違う。雪が降り積もると、音波が積もった雪に吸収されて、いつも以上に静かになるけど、あの感じに似てなくもない。さっきちょっと用事で外に出たら、人通りもマバラで、散歩するならむしろ今日だろう、と思ったくらい。無論、店などどこにも寄らず、ただひたすらヒトケのない道を歩く散歩。というか、これが散歩だろう。

あと、学校関係が急に一ヶ月も休みになって、成績がどうとか入試がどうとか騒いでるけど、どうにもこうにも思考が硬直してるよね。成績に関しては、今期は実質として「ナカッタコト」にしちゃえばいいのに。というのは、つまり、今期は全員[但し書きのついた及第点]にしておけばいいじゃないかってこと。競馬だのトトカルチョだのの賭けが不成立だったときに、胴元(banker)が賭け自体をナカッタコトにするアレと同じ(いや、それは違うかな)。入試も、まあ、希望者は早い物勝ちで合格にしてしまえば? 受験生だって、入学後のことを考えれば、あまりに「無理」なところには入ろうとはしないだろうし。

だいたい昔の学生紛争の頃に「卒業」した連中って、本当に全員ちゃんと「卒業」(卒業に値する勉強をして卒業)したのか? ドサクサに紛れて、社会に出て、今一人前のオトナヅラをしている連中がゴロゴロいるはず。でも、タマにはソレでもイイダロ、というハナシ。どうせ、卒業だの成績だの合格だの一人前のオトナだのってモノは、人間が「勝手に」やってることなんだから、たまに、ズルしたり、ごまかしたりしても別にカマヤシナイ。

今回も、世界中の「大騒ぎ」なんだから、たまたまこんな大イベントにぶつかった連中が「あの年はあんなことがあって逆にツイてたねえ」と思い返せたほうが、「あれで人生損したよ」と思い返すことになるより全然好いはず。

2020年2月28日金曜日

10年前に発売された『バイオニックコマンドー 』(PS3)を10年後に900円(新品)で買って、もう20周以上してるんだけど、昨日、全トロフィー(ゴーゴーバイオニック!)を獲得した。『ゴッドハンド』(PS2)と並んで、一生楽しめるゲームな気がする。ちなみに、90過ぎても「テレビゲーム」をやってたら、その人生は「勝ち」だと思ってる。

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新型コロナウィルスの「影響」で(と言うか、本当は人間が決めてだけで、コロナにそのつもりはないんだけど)、いろいろなイベントやらなんやらが中止や延期になって、イベント会社の社長がヒーヒー言ってるのをテレビで見た。「人出」や、外国人観光客の「襲来(ある意味襲来だろう」をアテにしている商売はみんな、世の中が今のような事態に陥る場合をリスクとして抱えている自覚があるべきなんだけど、ないんだよね。やっぱり。

これはつまり、漁師が何日も続く悪天候で漁に出られずジリ貧になっていくとか、農家が長雨や日照りやで不作になって、出稼ぎに行くしかなくなるとか、そういうのと同じこと。漁師や農家が「天候」に左右されるように、イベント会社や芸能や音楽家は「人出」に左右される。そして、この「人出」を決めているのは、実は自然。ウィルスは自然だし、人間も自然(ウィルスに感染している限りは=つまり生命現象に依存している限り)。「人出」は、「天候」や「潮の流れ」や「日照時間」や「降雨量」と同じもの。

あと、「政府の『要請』が突然で困る。もっと前もって段階的にしてもらわない」と、なんてことを、ニュースのキャスターとかが言ってるけど、本気なのかな? それって、昨日から妙にダルいなと思いながら1日仕事をして家に帰って寝て起きたら、朝、四十度の熱があったので、会社に欠勤願いの電話しましたって相手に、「昨日のダルい時点で、今日休むかもしれないと言ってもらわないと、そんあ急に困るよ!」って言うようなものだろう。

別に、アベとか政府とかの肩を持つつもりはない。政府だ識者だ専門家だって言っても、要はタダの人間なんだから[人の往来的には実質国境など存在しない今の時代に発生した新型伝染病]にどうしていいかわからず、内心「オロオロ」してるだけなのは、みんな分かってるわけで、分かった上で、一応タテテるというか、ね。「困っている人たちの味方」アピールで、カラッポなことを口走る「報道関係者」にはイラっとするよ。

2020年2月27日木曜日

『水木しげる妖怪画集』を読んだ。というか観た。1970年に出版されたものが、2017年に復刊ドットコムで復刊したもの。昔の本だけあって、同じ妖怪でも「姿」が違うのが面白かった。「べとべとさん」や「ぬりかべ」などだ。

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昨日は北海道だけだったけど、どうやら、全国的に休校になるらしい。しかも、小中に加えて高校も。これだけ「地球が小さく」なって、どこの何人でも、どこの何国にでも行ったり来たりできるわけで、当然、この先も「こういうこと」は起きるはず。だから、これを機に、ひとつどうなるか、いっぺん極端なことをやってみたほうがいいよね。つまり、社会が死なない程度に社会活動を「休眠状態/冬眠状態」にして「やり過ごす」と、実際どうなるか、どういう不具合が起きて、どういうことは案外平気かっていう、いわゆる「社会実験」ってのを。

もうひとつ。これを機に、やっぱり、remote working(遠隔勤務)が普及するんじゃないかな。つまり、生身の人間が毎朝大量にノコノコ出かけて行って一つ場所に集まってやる必要のない仕事が、今、実際、大量にあるわけで、しかし、経営者の方は、経費とかキッカケとかがなくて、なかなか切り替えができなかったのが、こうなってみると、長い目で見たら、経済的にも経営的にも有利だってことにやっと気づいて。ちょうど、フクシマが、太陽光エネルギーだのなんだのにカネを振り向けるキッカケになったように。人間、痛い目を見ないと行動を起こさないからね。

エライ人たちの考えは、新型だから、今のところワクチンも特効薬もなくて、だから、最終的にはきっと、今生きている地球人のほとんどが感染するつもりで、しかし、いっぺんに大勢が感染したら困るから、できるだけ長い時間をかけて、うすーく感染させていくようにして乗り切ろうって寸法。まあ、それしかないよね。だから、コチラとしても「絶対に感染しないぞ」っていうよりも「どうせどっかのタイミングで感染するだろうけど、遅ければ遅いほどトクなはずだから、できるだけ粘ろう」くらいに構えていたほうが、精神衛生上ヨロシイ気がする。

今回のコロナ騒動で、昔の「スペインかぜ」(世界中で何千万と死んだらしい)の時とかの「世の中の感じ」はどんなだったんだろうと思う。今生きている連中はみんな、あのウィルスの「淘汰」を生き延びた者たちの子孫だよね。今回、新たな「淘汰」が起きたことで未来…

2020年2月26日水曜日

冷凍チャーハンが美味くなったというのを、ドッカのテレビ局でやっていたのを観た。昔は、チャーハン(炒飯)と言いながら、実は炒めてなかったのが(つまり、炒めたような風味をつけた、タダの炊いたご飯だったのが)、今は技術が進歩して、本当に炒めてから冷凍できるようになったのが、美味くなった一番の理由だ、みたいなことを言って、実際、でかい、水車のような、足ひれのようなもので、炒めた飯をぐるぐる回してバタバタ落としている機械の映像が流れていた。これは、中華料理人がチャーハンを作るときに行う「煽り炒め」というワザを再現したものらしい。

で、買って食ってみたら、なるほど確かに。

「確かに」というのは、二十年ほど前の冷凍チャーハンは、電子レンジでチンするより、自分でフライパンで炒めて温めた方が断然美味かったのが、今度買ってきた煽り炒めを謳ったチャーハンは、電子レンジでチンしただけで、ちゃんと美味くなっているということ。つまり、ちゃんと炒めた感じになってる。まあ、味付けが濃いので、そこまで含めて美味いかというと、やっぱり、「いや、これ、味濃いよ」と不満を言いたいけど、それで言えば、外食チャーハンはみんなこんなものだから、まあ、フツウの味の濃さと言えばその通り。

そう言えば、さっき「路線バスの旅」のベスト版みたいなの(早い話が再放送)をテレビでやっていて、その中の蛭子さんが妙に若くて(だって、その「妙に若い蛭子さん」は、何十年も前の蛭子さんではないはず)、ああ、このくらいの歳の人って数年のうちに急激に老け込んでいくんだなあ、と思った。

あと、遂に今日、首相が新型コロナの対策の「要請」を出したので、ラグビーのプロリーグの開催が中止(延期?)になって、ダレカの音楽イベントが当日中止になって、北海道の小中学校が2週間ほど休校になって、あと、プロ野球のオープン戦がすべて無観客試合(プロ野球史上初)になった。この調子でいくと、来月の大相撲も中止になる。日本政府は、オリンピックの8月までにこの騒動を治めたいと必死なのだろうが、ダメだね。「東京オリンピック」は「モッテナイ」から中止になるよ(そもそもマラソンが札幌に移った時点で雲行きが…)。今の世界の状況だと「他所に取られる」こともないだろうけど、オリンピックみたいな大イベントは、今年ダメならじゃあ来年とはいかない。結局、2020年は「ナカッタコト」になると思…

2020年2月25日火曜日

新型コロナウィルスの感染が疑われても、症状が軽ければ自宅待機/自宅療養ということになって一安心だ。病気そのものよりも、隔離されて普段の生活場所から切り離されることの方が大問題になるヒトたちが圧倒的に多いはずだからだ。例えば、1人暮らしで、赤ん坊やネコやガー(熱帯魚)の世話をしているヒトなどがそうだ。

生命現象にとって、ウィルスというのは、まあ、毎年来る台風みたいなもので、或る種の「掃除屋」。新型となると、さらに念の入った本格的な掃除屋というところ。そういう「大風」が吹き荒れて、古い木や弱った木をなぎ倒して、海の底をかき混ぜることで、生物環境の新陳代謝を促す。人間で言えば、老人や病気持ちに「死の機会」をもたらす。

もちろん、人間は生命現象である以上に知性現象なので、生命現象では当たり前の定期的な「大掃除」に個人として誰も巻き込まれたくはない。生命現象としては、年寄りや病人を定期的に一掃することはむしろ「好ましい」ことだとしても、知性現象として、そんなのおぞましいばかりで全然納得できない。

何度も言うように(そしてこれからも何度も言うだろが)、人間が抱える問題や不合理や、人間が生み出す害悪は、すべて、人間が生命現象という機構の中にとどまっているために起こる。言い換えると、人間の知性現象がいつまでも生命現象という「媒体」に頼っているからこそ起こる。人間が今乗り越えられないでいる数多くの問題や難題や悩みは、すべてこの生命現象という「媒体」が理由。

ちょうど、物語後半で、機械(マシン)としてガンダムが、ニュータイプとして覚醒したアムロの反応(パイロット能力)についてこれなくなったように(其の場凌ぎ的にモスク・ハン博士のマグネットコーティングで最終回までごまかして、そこでジオングと刺し違えて壊れた)、人間の知性現象の側面(というかまあ、本質なんだけど)に、人間の生命現象の側面(というか媒体/機構/まあ、やっぱりこれもガンダムと同じ機械やね)が追いつけなくなり、対応しきれなくなったことで起こるのが人間の諸問題。

ガンダムといえば、『Gのレコンギスタ』(だっけ?)を見たいなあと思ったら、富野さん当人が、オトナが見ても仕方がないよ的なことを言っていたので、見るのをやめた。ただ、富野さんのは、他の連中が作るガンダムと違って、世界像に得体の知れないデカさあるから好きなんだよな。他の連中のはただの…

2020年2月24日月曜日

真鍮製の光る潜水服を着て湖底に向かって沈んでいくと、下の方に丸く明るくなった領域が現れた。それはちょうど、暗い井戸の底から昼の空を見上げたような感じの光る丸だった。

夜の甲虫さながらにその光に惹き寄せられる。

光の「正体」は、湖底にできた丸い穴で、僕は穴の縁に立って少しの間思案した。戻れなくなると困ると思ったからだ。腹ばいになって上半身だけを穴の中に入れてみたら、そこは水面で、穴に入れた僕の上半身は水から外、即ち空気中に出ていた。

圧力や粘度などをうまくやれば、水の入った容器の底に穴を開けても、そこから水が漏れたりしなくなる、という現象があるとかないとか。今僕が湖底の穴から頭を出したら、そこは水のない空気中だったという状況も、つまりは、湖という大きな鍋の底に丸い小さな穴が開いているようなものか。と、最初は思った。

が、そうではなかった。

湖底の穴から頭を出した僕は、重力を、頭の上ではなく、下に感じた。つまり、湖底の穴にあった「水面」から頭を出した瞬間に、それまで下だと思っていたものが、上になって、それまで上だと思っていたものが下になったのだ。

少なくとも重力的にはそうなった。

ともかく、事態を把握する必要がある。そう思った。

金属製の穴の縁に掴まって、潜水服のヘルメットの覗き窓越しに辺りを見回した。僕の視線の高さは、ちょうど、首だけ出して地面に生き埋めにされたEdoの死刑囚のようなものだから、地面(というのは穴の縁から続く金属板)から数十センチしかない。その、高さ数十センチの視界にエナメル靴が現れた。尖った杖の先も見えた。靴と杖が金属の床を鳴らしながら、こちらに近づいてくるのが見えた。だが、潜水服のヘルメットの覗き窓の小ささが災いして、見えるのは歩く靴と床を突く杖の先だけだった。

(因みに、この生き埋めにされたEdoの死刑囚は、通りがかった旅人たちにノコギリで少しずつ首を切られて徐々に殺される。昔、Japanのテレビドラマで、カワタニタクゾーという特異な面相の俳優が、そうやって処刑されて死んでいく男を演じていたのを覚えている)

靴が杖先で僕の潜水服のヘルメットの頭を軽く叩くと、中で音が響いて、こう言った。
「ようこそ深海プールへ……ここでは潜るほどに高みへと近づく……存在の頂点に立つ者……それは深い水の底に待つ」

穴の縁を掴んでいた潜水服の指が滑った。僕はまた、深い水の底へと沈んで行った。

2020年2月23日日曜日

松っちゃんの番組で、高須クリニックの院長が、(一部で有名な)スイスの安楽死協会に会費だか手付金だかを振り込んだ話をしていた。どうやら、安楽死の「審査」のようなものにパスしたのではなく、まあ、「審査」が受けられる[期限なしの予約]を取ったみたいなことらしい。当人は、いつでも使える航空券を手に入れたようなものだ、みたいなことを言っていた。

それはいいとして、この国は、というか、世界中の多くの国が安楽死や尊厳死を認めていない。これもまた「生命教」がもたらす弊害・害悪。安楽死や尊厳死を選択肢に選ばざるを得ない状況に陥っていない殆ど全ての人間には弊害・害悪という認識はないだろうが、そもそも知性現象として存在する人間にとって、生命現象という[媒体/機構]の不具合がもたらす最悪の苦しみを[回避/解消]する現状唯一の手段である[安楽死/尊厳死]を選ばせないようにするこの考え方(この場合は信仰=生命教信仰)は、マギレもない弊害・害悪。

まあ、「安楽死や尊厳死を法的に認めないのは、安楽死や尊厳死のフリをした殺人を未然に防ぐためだ」という[ニセの実践的モノイイ]も存在するが、そんなのはカラッポの主張。というのは、どんな医療行為にも失敗や想定外は付いて回るもので、医療行為の「失敗」で患者が死んでしまったこれまでの事例のうちのどのくらいに「医療行為の失敗を装った殺人」が紛れ込んでいるか分かったもんじゃないからだ(コロンボが言うように、医者がその気になりゃ、殺人なんかやり放題)。たとえ「失敗」や「事故」ではくても、医者が「もうこれ以上は手の施しようがありません」と言うとき、それが事実なのかは、患者やその家族(遺族)には知りようがなかったりする。人生に絶望した医者が、助かる命をみすみす見殺しにすることだって、なくはないだろう。

安楽死や尊厳死が殺人の隠れ蓑になるかもしれないという主張の「ウソ」は、普通の医療行為に既にある「キケン」を、安楽死や尊厳死にだけ適用しようとしているからだ。安楽死や尊厳死が殺人の「隠れ蓑」になる危険があるからやるべきではないなら、全ての医療行為もやるべきではない。知らんけど。

生命教信仰は「生命」という特別なアリヨウが存在すると信じることで、人間を、知性現象である前に、生命現象であると見做す。これは人類最凶最悪の「邪教」で、知性現象としての人間の苦悩の最も深い部分に巣食う魔物で…

2020年2月22日土曜日

氷の近くに火があれば、氷が溶けて水になる。これが物理現象。水を得るために、氷に火を近づけようとすること。これが知性現象。そして、知性現象が透けて見える物理現象を、人間は「生命現象」と名付け、別の現象として扱う。

物理現象は火で氷を溶かすことはできるが、たまたま第三の物理現象が介在しない限り(南極近くで海底火山が爆発して流出した溶岩が氷山を溶かす、みたいなこと)、火を氷に近づけることができない。偶然に頼らずにそれができるのが知性現象。知性現象も、材料や原動力、つまり土台は物理現象だが、物理現象自体を制御できる点で超物理現象と言える。

知性現象の真骨頂を一言で言えば、物理シミュレーションができること。これを言い換えると、因果をひっくり返すことができるということ。って、これはついこの前にも言った。物理現象Aと物理現象Bを「足し合わせる」と物理現象Cという結果が得られる、ということを「知っている」ということ。

もちろん、この場合の「知っている」は比喩。この言葉が比喩ではないのは、この地球上ではおそらく人間だけ。今のところは。例えば、動物が物を食べるのは、体を維持するためだったり、活動ためのエネルギーを得るためだったりするが、当の動物はそんなことを意識的に(=人間のように)「知っている」わけではない。食欲に従っているだけだ。しかし、起きていることは、生命の維持(物理現象C)と言う結果を得るために、獲物(物理現象A)を襲って食べる(物理現象B)ということ。この生命現象と呼ばれる物理現象に透けて見えているのが知性現象。どうなるかわかっていて、意図的にやってるという感じがする。

新型コロナウィルスも物理現象で、新型コロナウィルスに感染するのも、その後回復するのも、逆にダメお陀仏になるのも、皆、物理現象。物理現象なんだから水道管の穴を塞ぐのとか、吹っ飛んだ原発の片付けをするのとかと同じ。違うのは、その現象に透けて見える知性現象のアリヨウや度合いで、これにオタオタしたり、妙な幻想や妄想を抱かされて、苦しむことになる。

感染症というのは、いわゆる放射能なんかよりも生命現象っぽいから(まあそりゃそうだ)、生理的な気持ち悪さが1.5倍増しになるのだろう。意思を持って拡がってるとか、襲ってくる感覚が「ただのモノ」でしかない放射性物質よりも強くて、それで、みんなキャーっとなってしまうんだろう。でもそれは…