2020年10月16日金曜日

支持するのは断然科学王国


2020年10月16日 金曜日/曇時々晴。雨も?


『ターンAガンダム』第17話視聴(ガンチャン):ムーンレースたちが雷を怖がる。ガンダムも雷に打たれるが平気(描写はなし)。ディアナ暗殺未遂事件勃発(黒幕はテテス)。


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『Dr.STOME』第10話「薄っぺらの同盟」:視聴メモ


千空、復活後1年4ヶ月目にして、発電に成功。浅霧幻が、獅子王司に「復活」させてもらった時の描写(回想)。/幻がマグマに殺されかける/コーラ一本で、幻は科学王国側につく。

@支持するのは断然科学王国。ツカサ帝国に何の魅力も感じないのは、ツカサ帝国は未来の人類に対して完全に無責任だからだ。ここでいう未来とは、地球環境の激変とか、太陽の膨張とか、宇宙の崩壊のことだ。というか、もっと身近に、小惑星衝突でもいい。そういう「過酷な未来(というか絶望の未来)」に立ち会った子孫たちに対して、ツカサ帝国は何もしてやれない。ちょうど、8月31日の小学生の自分から見た、[夏休みの宿題を一切やってこなかった過去1ヶ月半の自分のような存在]がツカサ帝国の正体であり本質。どんなに偉そうなことを言っても、獅子王司は、今自分が遊んでいる(自分が楽しんでいる)ツケを将来の人類に回しているだけの怠惰な人間であり、しかも、その自覚がない。


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『マッドマックス 怒りのデスロード』を面白く観た。一番気に入ったのは、マックスが一人で、追っ手の一台(破壊されたサーチライトの破片で両目が見えなくなり、やけくそで銃を乱射しながら追ってくる)を倒して戻ってくる場面。戦闘場面は一切になくて、ウォー・タンクのはるか後方で、闇夜にボカンと爆発が光る。と思ったら、しばらくして、マックスが敵から奪い取ったと思われる武器を大量に持って歩いて帰ってくる。笑った。ギタリストキャラもヨカッタ。気合いの入ったバカ映画はオモシロイ。


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『タリオ』第2話を観た。ゲストは竹原ピストル。インチキ霊能者を「成敗」しにいく設定からして、もう、完全に『トリック』だし、主人公の二人のヤリトリも、山田奈緒子と上田次郎のマンマ。あと、竹原ピストルにセリフで「おい、そこのワケエの!」と言わせたりして、悪ふざけが全開。「ムラシタコウゾを燃やした煙を吸うと笑いが止まらなくなる」という妙な設定は、本来、絵的にただただ深刻になりがちな放火の場面を、逆に笑い

を取れる場面にするための、いいアイディアだと思った。

 

ダカラナニ氏とは、端的に言えば、擬人化された虚無である。

2020年10月15日木曜日

『ガンダム』視聴メモ: 第8話「戦場は荒野」

 

2020年10月15日 木曜日/曇り


岡田斗司夫ゼミ『未来少年コナン/太陽塔』視聴。


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『Dr.STONE』視聴メモ:

第9話「この手に科学の灯を」

見た目が「ブラックジャック」な子(浅霧幻:あさぎりげん)初登場。/鉄を手に入れた/強力磁石を手に入れた/手回し発電機を手に入れた/電球を手に入れた


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√「生命教」とは何か? 人間には「生命教」は見えにくい。人間が生命だからだ。逆に言えば、生命以外の視点から眺めるとよくわかる。例えば、コンピュータにインストールされたプログラムから「自己言及する知性」すなわち「意識」が出現したとすると、その意識は、コンピュータという機械(構造物)、もしくはコンピュータプログラムという言語(数式)を、意識が存在するための最も基本的な存在(本質)だと思い込んでしまう。その場合にこの意識が「信仰」することになるのは、「生命教」ではなく、「集積回路教」あるいは「コンピュータプログラム教」である。で、名前が「集積回路教」であろうと「生命教」であろうと、実態は「媒体(medium) 教」である。未熟な知性は、自らが拠り所にしている「媒体(medium)」を、自らの本質だと思い込む。


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『ガンダム』視聴メモ:

第8話「戦場は荒野」


ペルシア母子(おやこ)が今回の主役。子供の名前はコーリ。

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(ペルシア母子の母親から、自分の子供を大地で育てたい気持ちはあなたにはわからないでしょうね、と言われて)

アムロ「地球には住んだことはありませんから」

@「再会、母よ」でのアムロ自身の回想で、母親と別れ、父親とふたりでサイド7に行く4歳くらいのアムロの様子が映し出される。更に、一緒に行かない母親が「わたし、宇宙の暮らしって馴染めなくって」と言っている。というか、その回のエピソードで実家が地球にあり、幼馴染もいたことがわかる。すなわち、アムロの「地球に住んだことはない」はウソ。

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他の避難民たちと別れて、死んだ夫の故郷のセントアンジェに向かうペルシア母子の母親のセリフ

「セントアンジェがなくなっていましたら、みなさんのところに戻らせていただきます」

@この母親は、セントアンジェが「なくなっている」可能性も想定したのだということに今回気づいた。

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このエピソードを、子供の時に見た時の「衝撃」は、戦争をしている当事者同士でも助け合ったり、気遣ったり、からかいあったりすることがあるという描写。

2020年10月14日水曜日

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』を、面白く観た

 

2020年10月14日 水曜日/曇り。晴れ


『Dr.Stone』第8話「Stone Road」視聴。砂鉄集めからの鉄作り(だが失敗)。スイカ初登場。ラーメンを作る。試食をした「原始人」たちは大絶賛するが、「本物のラーメン」を知っている千空だけは悶絶する。


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三池崇史監督『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』をAmazon Prime Videoで、面白く観た。虹村形兆の最期が原作とは違った。原作ではチリペッパーにやられるが、この映画ではキラークイーンのシアーハートアタック(この時点ではまだ正体不明)に爆殺される。あと、虹村形兆は「弓と矢」を使って「怪物化した父親を殺せる」スタンド使いを生み出そうとしていた(さがしていた)ということを忘れていた。「父親を治せる」スタンドを探そうと言ったのは、「事情」を知った東方仗助だった。(と、ここまで書いて、「虹村形兆」も「東方仗助」も、1発で正しく漢字変換してしまう、このMacBook Airの辞書にオドロイタ。「すごい」のは、Macの方じゃなくて、『ジョジョ』の方かもしれないが。)


気になったのは、スタンドの描写/造形。せっかく実写映画にしたのに、スタンドは「漫画」のままだった。つまり、「スタイル」「文法」が漫画のままだった。だから、スタンドの描写/造形に、実写ならではの「生々しさ」がない。ちょうど、実写キャラとアニメキャラが共演しているような、全然別物同士感。漫画原作は、生身の人間もスタンドも両方が「漫画」なので、スタンドは「ああいう描写=スタイル」なだけであって、人間の方を実写にしたなら、スタンドのほうも「実写」スタイルにすべきなのだ。言ってる意味がわかるかなあ。ただ、『バッドカンパニー』の攻撃風景は、漫画よりヨカッタ。それはつまり、人型スタンドと違って、戦車や戦闘ヘリには「実物」があるから、スタイルをそれに寄せることができるからだろう。


あと、伊勢谷友介が大麻で捕まったから(もう保釈されたけど)、もし、続編(第二章)があっても、承太郎役は別の俳優になるのかな? と余計な心配をした。まあ、続編はなさそうだけど。


と、ここまで書いて、新たな情報。なんと、NHKが年末に、高橋一生主演で『岸辺露伴は動かない』をやるという(この「岸辺露伴」も一発変換!)。NHKで「実写ジョジョ」とは、正直、すごい時代になったものだと思うね。


2020年10月13日火曜日

モルツのCMのせいで長年観たくてしょうがなかった『第三の男』をようやく観た

 

2020年10月13日 火曜日/曇り


モルツのCMのせいで長年観たくてしょうがなかった『第三の男』をようやく観た。Amazonのprime videoで。まあ、期待はずれ? 主人公ホリーのキャラがよくわからんし、ハリー(オーソン・ウェルズ)のキャラは更によくわからん。女主人公アンナがバカ女なのはわかった。主人公が途中でオウムに指を噛まれたのが、あとで、何かにつながるのかと思ったら、何もなかった。もう一度も観たら、面白くなるのか?


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『Dr. Stone』第7話視聴/先に石化から復活したもの達の子孫の村が登場。千空、妖術使いクロムの「倉庫」を手に入れる。


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岡田斗司夫ゼミの「プラダを着た悪魔」と「自己啓発」と「老化しない世界」を面白く視聴した。


「老化」は「病気」だという考え方は、まあ、その通りで、もっと厳密にいえば「遺伝病」。なぜ、老化が遺伝病なのかといえば、それは、「老化」という現象を、[自然淘汰=自然選択]が頓着しない/気にしないから。言い方を変えると、「老化」は自然淘汰をすり抜けられるから、今、この地上で生きている人間の全てが「老化」という遺伝病を持っている。老化が、自然淘汰を「すり抜けられる」のは、老化が「繁殖」の後に現れる症状だから。もっと厳密に言えば、繁殖後に生まれた次の世代が繁殖可能になるまで「発症」しないなら、その「遺伝病」は確実に遺伝していく。それが、今の人類を悩ます「老化」の正体。


だから、自然淘汰が「問題視しない病気」すなわち「老化」を防ぎたいなら、人工的な淘汰を行うしかない。人工的な淘汰とは、まあ、言ってしまえば、遺伝子編集で、例えば、なぜか100歳を超えたヘビースモーカーなのにピンピンしている個体に含まれる「特異的な遺伝子」を探り出して、他の個体の遺伝子に組み込んでしまう。そういう「乱暴」なことをすれば、人間の平均寿命は理論的にはどんどん長くなっていく可能性はある。


しかし、まあ、それは場当たり的な問題解決。というのは、結局は、「生命教」に囚われたままだからだ。知性こそが本質であると知っている我々からみれば、装置にすぎない生命の改善に拘泥したところで、結果は同じだから。50歳で死のうと、200歳で死のうと、1000歳で死のうと、生命という媒体に乗った知性では、宇宙を統べることも、乗り越えることもできない。生命の「力動」である「自己と他者」が「命取り」。

2020年10月12日月曜日

筒美京平死去(80歳)。誤嚥性肺炎。

 

2020年10月12日 月曜日/曇りのち雨


『ガンダム』メモ

第6話「ガルマ出撃す」


ガルマ「笑うなよ。兵が見ている」

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リード「突破できるんだな?」

ブライト(聞こえないように)「わかるものか」

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ガンタンクで出撃するアムロを見送りながらフラウが「完全にオーバーワークだわ。でも…」

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ハヤトと一緒にガンタンクで出たアムロだが、戦い方で意見が合わない。そうこうするうちに、マゼラアタック隊が現れ、ガンダムに乗り換えてくれとブライトに頼まれた時の心の声「一人の方が戦いやすいか…」。さらに、ガンタンクについて、「ガンタンクは、カイかセイラさんに操縦させてください。セイラさんならできるはずです」@これは、セイラに対するアムロの嫌味/当てこすり。で、結局ガンタンクに乗るのはカイ。

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セイラ「コアファイターを換装させている時間はないわ。アムロ、走って!」

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シャア「ガルマはモビルスーツに乗ったか?」

ドレン「いいえ」

シャア「(そうか。ガルマは乗らなかったか。ガルマがガンダムと戦って死ぬもよし、危ういところを私が出て救うもよし、と思っていたがな)」

@ここはセリフのミス。シャアは「ガンダム」という名前は知らないはず。もうひとつ。ガルマはモビルスーツに乗ることがある、という事実。いわゆる「ガルマ専用ザク」は、単なるガンダムゲームの産物ではなく、本家の物語の中で「言及」されていた!

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アムロ「女に作戦を聞くわけにはいかない。ブライトが初めからはっきりしてりゃあ……」

@ここでアムロがいってる「女」とはセイラのこと。

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ミライ「ブライト、今はみんながあなたをあてにしているのよ」

ブライト「わかっているミライ。…さ、ガンダムの戦士を迎えよう」

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シャアのシャワー場面

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筒美京平死去(80歳)。誤嚥性肺炎。


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『Dr.Stone』第6話視聴(アマゾンプライムビデオ)/首の後ろにだけ残っていた「石化」のおかげで生き返る千空。


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【メモ】

侍坐(じざ):その原語 upanisâは、ウパニシャッドという語の原義である。


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【メモ】

マリアナ海溝の超深海(8187m):カメラを沈めて30時間で海底に到達。



【メモ】

四万六千日(しまんろくせんにち):七月十日の観音の縁日。この日にお参りすれば、四万六千日お参りしたのと同じ功徳があるとされる。


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too tired to get tired:疲れすぎてて疲れない

2020年10月11日日曜日

『日々是好日』を観た。まるで世間話をしているだけのような樹木希林の演技がすばらしい。

 

2020年10月11日 日曜日/曇り


『日々是好日』を観た。まるで世間話をしているだけのような樹木希林の演技がすばらしい。


ついでだから「お茶」に関して言えば、あれは一種の瞑想/メディテーション/マインドフルネスで、お茶の作法を徹底的に体に覚えさせることで、「特に意識することなく何か一つのことに集中している状態」を作り出し、瞑想状態に入る。つまり、無意識的にお茶の所作を次々に執り行っている状態が、瞑想のそれと同じということ。


ちなみに、お茶の作法に限らず、自転車でもピアノでも「一連の動きを体に覚えさせる」とか「体が勝手に動くようになるまで繰り返し練習する」というのは、あれは全部、自分の小脳にプログラミングをするということ。小脳は、意識を持たない単純なプログラム実行コンピュータで、だから、普段の生活で我々は、蛇口をひねるとか、服を着るとか、歯を磨くとか、冷蔵庫を開けるという動作を、何も意識せずに行うことができる。というか、それよりもずっと基本的な、道を歩く、階段を上り下りするという動作も、小脳という自動コンピュータがきちんと働いてくれているおかげ。


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『24 Japan』の第1回をたまたま見た。ドラマ全体に漂う「見よう見まね感」に苦笑する。全体に浮き足立ってる。


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【メモ】

地球からの脱出速度(第二宇宙速度)は、秒速11キロメートル。すなわち分速660キロメートル(11*60)。すなわち時速39,600キロメートル(660*60)。すなわち、およそ時速4万キロメートル。因みに音速は時速1225キロメートル。


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√「人間が死ねば死神も消える。常識とはウラハラに」(ダカラナニ氏)


√「死神は死人には憑かない」(ダカラナニ氏)


√「タバコを吸って好きに死ぬことを許さない硬直した人間社会」(死神B)


√「人間は、珈琲を同じ味に淹れたがるが、人間の味覚は四六時中変化している」(死神B)


√「全ての生き物は、盗んで生きているのよ。[許される盗み]としての[商売]は、人間の、発明というより再発見。[許される盗みで生きる]は、生き物がもともとずっとやり続けていることだから」(コビ)


√「科学をトコトンまで進めて、自前の新しい宇宙を作り出すところまで行ってこその人類」(コビ)


√「人間って、記憶よ。記憶は知識で、知識は知恵になる。人間の甲斐は知恵なのよ」(コビ)


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【メモ】

パホイホイ溶岩とアア溶岩。

(ブラタモリ)

2020年10月10日土曜日

『天使にリクエストを』第4回は、新旧「里見先生」共演。

 

2020年10月10日 土曜日/曇り


『天使にリクエストを』第4回は、新旧「里見先生」共演。今回の歌は松任谷由実の『守ってあげたい』だった。今回気になったのは、死んだ子供をめぐる回想シーンがやたらと多かったこと。演出としてというよりも、時間を埋めるために何度も同じVTRを流す民放のバラエティみたいな感じだった。もしかしたら、コロナの影響で予定していた撮影のいくつかができなくて、尺が足りなくなった? あと、最終回で倍賞美津子が具合が悪くなることは最初からわかっていたよ。


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全く何の期待もしないで見た『タリオ 復讐代行の2人』が、想定外に面白かった。主人公がまるで山田奈緒子(『トリック』)みたいじゃないかと思って、あとで調べたら、演出スタッフがその『トリック』の人だった。浜辺美波は、前にドッカでやった腹黒アイドル役といい今回のこれといい、まあ、こういう感じのキャラがぴったりな気がする。


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【メモ】

『リアルインディケーション』という曲の歌はバダラメンティが歌っている。録音スタジオでバダラメンティが歌うのを聞いていたリンチは笑いすぎでヘルニアになり、最終的に手術をすることになった。という話が、『Room to Dream』に書いてあった。なるほど、CDを調べてみると歌はバダラメンティになっていた。しかし、笑いすぎでヘルニアになるとは、リンチも相当のゲラだね。


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√知性の対立概念は虚無である。客観的な事実としての「存在=実在」は「中立」である。なぜなら、「存在=実在」も、知性が不在な場合は、事実上の虚無だからだ(知性なしでは「存在=実在」は「虚無」とは対峙できない)。その意味で、生命もまた「中立」である。「生命」は、「存在=実在」のバリエーション(変奏)にすぎないからだ。


ここで重要なのは「虚無」の「正体」である。虚無とは、実は、「知性の影」としての「虚構」であり、実体を持たない。虚無だから実体を持たないのではなく、虚無というのは「概念にすぎない」という意味で、実体を持たないのだ。虚無は客観的事実ではない。だからこそ、虚無は「中立」ではない。「中立」ではないので、「中立」である「存在=実在」の対立概念になり得ない。というか、そもそも「存在=実在」は「中立」なので「対立」する存在を持たない。


この「発見=気づき」は重要である。[「存在=実在」は「虚無ではない」ではない]ということだからだ。




2020年10月9日金曜日

今日見た『第三の男』に、『コロンボ』の「ロンドンの傘」で殺される執事役の俳優ウィルフリッド・ハイド=ホワイトが、で出ているのを発見した。

 

2020年10月9日 金曜日/曇り


今日見た『第三の男』に、『コロンボ』の「ロンドンの傘」で殺される執事役の俳優ウィルフリッド・ハイド=ホワイトが、GHQの文化担当の男(クレビン)の役で出ているのを発見した。当たり前だけど、若い!


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『ガンダム』メモ:

第4話「ルナツー脱出作戦」

ルナツーに到着後、ブライト、ミライ、セイラ、リュウ、カイ、ハヤト、アムロは、他の民間人と隔離されて、身柄を拘束される。ワッケイン司令によると、士官候補生(ブライトとリュウ)と民間人(その他の5人)が、軍の最高機密(AAA:トリプルA)であるホワイトベースとガンダムを勝手に使用したことが軍事裁判の対象になったためだ。

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ワッケインがブライトに向かって言う。「今、君に、なぜ軍規が必要なのか説明したくはないが、定められた命令は厳守だ」

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第5話「大気圏突入」

アムロがラジコンカーを直してやる子供(ペロ)の両親は「一週間戦争の時に」戦死したと、その子供のおじいさんがアムロに言う(そのおじいさんは、地球に戻ったらコーヒー園を再開するつもりだとも言う)。「一週間戦争」という言葉が初めて出てくる場面。そして、おそらく、二度と出ない。

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サラミスのカプセルでサラミスから発進するときにリード中尉が部下に言う。「ミサイルはスタンバッておけ」。そう、「スタンバっておけ」はブライトのオリジナルではない。少なくとも、物語の中で、最初のこの言葉を使ったのはリード中尉!

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セイラ「高度には気をつけて」

アムロ「戦っている最中に気をつけられると思うんですか?」

セイラ「あなたならできるわ」

アムロ「おだてないでください」


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『CASSHERN』のモチーフは、まあ、中島みゆきの『空と君の間に』だよね。


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繁殖に成功しそうとか、失敗したとか、結局そんな歌ばっかり。


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『コロンボ』(第9話)『パイルD-3の壁』 メモ:


この事件の犯人は、殺人が明るみになることではなく、被害者のウィリアムズが死んでいることが明らかになることこそが一番困る。なぜなら、ウィリアムズが死んでしまうと、彼の財産が自由に使えなくなる仕組みになっていたからだ。だから、犯人は、殺人が発覚して自分が殺人犯として捕まるかもしれないからではなく、ウィリアムズが、すくなくとも生死不明の状態でなければならないので、絶対に見つからない死体の隠し場所が必要だった。

2020年10月8日木曜日

『ターンAガンダム』の第16話が、それまでの総集編であることを、すっかり忘れていた

 

2020年10月8日 木曜日/曇り


『ターンAガンダム』の第16話が、それまでの総集編であることを、すっかり忘れていた。というか、感覚としては「初めて知った」。「すっかり忘れていた」という意味は、前に一度最終話まで通しで観たからだ。少なくとも「最終話まで観たという記憶がある」からだ。


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初代『ガンダム』第3話「敵の補給艦を叩け!」メモ:


シャア「パプア補給艦? あんな老朽艦では充分な補給物資は…」

ドズル「現状を考えるんだ。充分な戦力で戦える昔とは違うんだぞ。シャア、ザクは二機送った。ムサイを潰しても、連邦の機密を手に入れるんだ!」

シャア「3機のザクを要求してこれか…」

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シャア「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを、教えてやる!」

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@ブライトたちの作戦は、アムロがシャアを引きつけている間に、ホワイトベースの主砲とメガ粒子砲で、ムサイを撃沈することだった。しかし、「不慣れな」リュウが、コアファイターでムサイの周りを飛び回るので、カイは主砲で攻撃ができず、しかも、ブライトがリュウに、敵艦から離れるように指示を出そうとしても、「ダメな」リュウは無線の回線を切っていて連絡がつかず、結局、ムサイ撃破最大のチャンスを取り逃がしてしまう。逆に言えば、このとき、戦闘員たち(というかリュウ)が、ちゃんとしていれば、ブライトは、シャアのムサイを撃破できていたのだ!


戦いが終わってブリッジに帰ってきたリュウが「いや、ブラントすまんな、俺、無線切ってたんだってなあ」と割と軽い感じで言い、ブライトも「ああ、気をつけてくれよ」とこっちも割と軽い感じで答えるので、本人もこの時、人生最大級の大金星のチャンスを逃していることに気づいてない。


戦闘終了後、アムロは、敵側に大きく回り込んだことをブライトに非難される。大きく回り込んだのは、太陽を背にして戦うためで、実は理にかなった行動だったので、リュウが「いや。あれはあれでよかったんだ」と軽く反論してくれる。しかし、アムロ自身は何も反論しないで、わざとらしく、敬礼したりするが、そのあと、リュウと二人で通路を歩いている時、「リュウさん、僕、あの人のこと、本当に殴りたくなってきた」と本音を言う。このときのアムロは、ブライトのことを、自分よりも「わかってない」、つまり、自分よりも能力の低い、ただ威張ってるだけの人間くらいに思っている。

2020年10月7日水曜日

『Dr.STONE』の1、2話を見た。

 

2020年10月7日 水曜日/曇り


アマゾンプライムビデオで、『Dr.STONE』の1、2話を見た。岡田斗司夫が絶賛していたから。と言っても、岡田斗司夫が絶賛しているのは、多分、原作漫画の方。とは言え、「科学にも分からないことがある」という、科学を根本的に[理解していない/できない]連中が本気で口走るタワゴトを嘲笑う主人公に激しく共感した。科学は宗教ではないし経典でもない。科学は態度であり、世界について合理的な理解を深めようとする行為それ自体のこと。だから、「科学にも分からないことがある」は「分かろうとしても分からないことがある」という意味でしかなく、それは、知性にとって[諦めと怠慢]の表明にすぎない。


しかしここで反論が出るかもしれない。ゲーデルの不完全性定理は、つまりは「分かろうとしても分からないことがある」と言ってるじゃないか、と。


ゲーデルの不完全性定理は「数学も無敵ではない」と言ってるだけ。


この宇宙の現象は数学を用いた論理によって初めて「正しく」解明したり予測したりできるので(ガリレオ曰く「宇宙は数学という言語で書かれている」)、その数学に限界があるのなら、数学から見れば厳密さの点で少し「浅瀬」の「論理というもの」にも限界があるということになり、だから、「分かろうとしても分からない」すなわち「科学にも分からないことがある」は真理だろう、というリクツも通りそうな気がする。


しかし、そもそも「科学すなわち数学」ではない。科学にとって数学は「道具に過ぎない」。望遠鏡や定規と同じ。


もう少し面倒臭いことを言ってしまえば、数学は、実は、宇宙より「広い」。「広い」というのは、つまり、宇宙にはないものが数学にはあるということ。もっと言えば、宇宙が実現し得ないことも、数学の中では「合理的」に起きる。なぜか? ガリレオの「宇宙は数学という言語で書かれている」は、別の面でも核心を突いていて、それは、数学は「言語」だということ。数学は、現時点で最も精巧な虚構なのだ。


繰り返すが、宇宙の全ては数学で記せるが、数学の全てを宇宙が実現できるわけではないのは、数学が所詮はただの言葉だからだ。言葉は人間が世界を理解するための「勝手な取り決め」。「言葉は言葉よ。現実とは違うわ」という話。


数学は現実に含まれないことも語るが、科学が相手にするのは現実だけだ。だから、たとえ数学が無敵でなくても、科学は平気。

2020年10月6日火曜日

テリー・ギリアム『12 モンキーズ』(5周目)。観返すごとに素晴らしいものになっていく気がする。

 

2020年10月6日 火曜日/雨。肌寒い


アマゾンプライムに登録の思わぬ贈り物は、中島みゆきの有名どころが、Prime Musicで殆ど聴けるということ。


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テリー・ギリアム『12 モンキーズ』(5周目?/Prime Video)。観返すごとに素晴らしいものになっていく気がする。一度や二度見ただけではわからない深みがある。理解が深まるほどに、いろいろなモノが見えて来る感じ。


コロナ禍の今、なにやら、身につまされるような設定。


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初代『ガンダム』メモ


【第1話「ガンダム大地に立つ」】

ジーンをやられたデニムが、体当たりで突っ込んで行ったのは自殺行為に思えたけど、その前に、ザクマシンガン(ライフル)がガンダムの装甲には通用しなかったのを見ているからだ、ということに今回初めて気づいた。あと、アムロは、初めから割と「直情型」に描かれている。「こんな退避カプセルじゃもちませんから」と言って、親父に掛け合いに外に飛び出して行ったり、フラウ・ボゥの家族が殺されてアタマに来てガンダムに乗り込んだりしている。冷静からは程遠い、どちらかというと「カッと」くるタイプ。だから、のちに、ガンダムを持って「脱走」したりするのだ、とわかる。


【第2話「ガンダム破壊命令」】

有名な「軟弱者!」の場面だが、カイは別段ひどい態度でもない。少なくともいきなり平手打ちをされるような態度ではない。この場面は、実は、セイラの「欲求不満女ぶり」を見せる場面だということに今回気づいた。なにもかもオモシロクなくて四六時中イライラしているのは、カイではなく、セイラである。/ドッグに潜入したシャアのカメラを破壊したのは、ブライトが撃ったライフルの弾! それまでに他の連中がシャアを狙って撃った弾は、ことごとく外れている/アムロ「相手がザクなら人間じゃないんだ!やります!」。いや、人間だけどね。しかし、分かる。つまり、戦車に乗ってたり、戦闘機に乗ってたりしているなら、人間の姿は見えないので「殺しやすい」のだ。ちょうど、空爆パイロットが、自分たちの行為と人殺しとが結びつきにくいのと同じ。/アムロ対シャアの初対決。アムロは当然ビビっているが、シャアも(ガンダムの驚異的な性能に)かなりビビっていて、操縦桿を持つ手が震えている。


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ナントカいう店のたこ焼きを食った。ソース味と岩塩味。しかし、どちらも「ネギましまし」にしたせいで、ただのネギ味だった。

2020年10月5日月曜日

行きつけの歯医者で、半年にいっぺんの歯のクリーニングをしてきた。いつもと違う歯科衛生士が、いつもと違う椅子(クリーニング専用の部屋ではなく、歯の治療をする椅子)でクリーニングをしてくれた

 

2020年10月5日 月曜日/晴。少し暑い。


行きつけの歯医者で、半年にいっぺんの歯のクリーニングをしてきた。いつもと違う歯科衛生士が、いつもと違う椅子(クリーニング専用の部屋ではなく、歯の治療をする椅子)でクリーニングをしてくれた。待合室で、支払いを待っていたら、いつもの歯科衛生士が現れた。今日は17時からの出勤だったらしい。てっきり、辞めたかクビになったのかと思っていたが(所謂コロナ禍の影響で)、そうではなかった。帰りにドラッグストアで買い物をした。家に着いてから、どこかで千円札を落としてきたことに気づいた。最近は専らPayPay払いで、数ヶ月ぶりに現金を使うとこのザマ。我ながら嫌になるが、拾った誰かに幸運をあげたのだと思えば悪い気もしない。むしろ、日々のちょっとした幸せの材料とは、こうした「他人のちょっとした不幸」なのだろう。


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【メモ】

マシンガンの弾の中には、5発に一発ぐらいの割合で、曳光弾(えいこうだん)が入っていて、発射するとそこに含まれるマグネシウムなどが光る。射撃者はその光で弾筋を見て、狙いを調節する。曳光弾には通常の弾のような破壊力や攻撃力はない。その上、ほんの少し軽い。つまり、通常の弾よりも少し上を飛ぶ。だから、射撃手はそのズレを考慮して、狙いをつける。

(岡田斗司夫情報)

@ちゃんとした映画やアニメなどでは、拳銃の弾は光って飛ばないし、マシンガンの光る弾がヘルメットなどに当たっても、光は弾かれるだけ。


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結局、富野さんは「ガンダム」しか作らせてもらいないのだから、「ガンダムの世界観」というシバリの中で、どんなことをやったかを見ればいい。ちょうど、世界中の物語が、結局は、例えば「キリスト教の世界観」とか「仏教の世界観」とか「アインシュタイン以降の世界観」で作られているようなものだ。それでいうと、『初代ガンダム』『逆襲のシャア』『ターンA』が、観るに値する傑作と言える(『レコンギスタ』は未鑑賞)。『Z』『ZZ』は、「歴史的事実」として、各キャラクターに何が起きたのかを知っていれば、特に物語を追う必要はない。もちろん、『イデオン』と『ダンバイン』は、「ガンダムの世界観」以外の傑作である。


富野さん以外の「ガンダム」で物語として体験する価値があるのは、傑作『ポケットの中の戦争』だけ。他は全てやはり「歴史の授業的知識」さえあればよく、それぞれの物語を追う必要はない。