「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年3月6日水曜日
現の虚 2014-8-5【ハンチング帽のオッサン】
俺が今回示した異常な回復力が生まれつきのものではないことは俺が一番よく知っている。中学の時、自転車の三人乗りで、下りカーブを曲がりきれずにガードレールに左ひざをぶつけたことがある。衝撃で俺の左ひざはばっくり裂けて病院で9針も縫ったわけだが、その傷が治るまでには何ヶ月もかかった。今回の右手首は裂けたどころか、完全に切断されたのに、傷口は一ヶ月足らずで完治している。治療技術の進歩は考慮すべきだろうが、それだけでこの回復の速さは説明できない。もちろん「歳を食って体質が変化した」というようなノンキな理由ではないだろう。何か特別な理由があるはずだ。
だが、今はそんなことはとりえあずどうでもいい。
傷が完治しても、右手が生えたわけじゃない。勤めていた印刷工場は片手では仕事にならない。というわけで、俺は工場を辞めた。で、しばらくは失業保険で食うつもりでいたら、失業保険を受け取るには、嘘でも職安に通わなくてはならない仕組みになっている、と云われた。なんだ、メンドウだな、と思ったが、仕組みは仕組みだ。俺は歩いて15分の職安に通いはじめた。カネをくれると云う連中に「働く意志」を示すためだ。
本当に働く意志があるかどうかは関係ないよ、愛情と同じでね。
と、ハンチング帽を被ってズボンのポケットに両手を突っ込んだ、いかにも無職風のニヤニヤ笑いのオッサンが、俺と並んで横断歩道を渡りながら、浅黒い顔で云う。更に、
つまり、他人が見て分かるのは行動だけだからさ。とは云っても、こうやって職安に通うことが、実質、稼ぎを得るために働いているのと同じだと云えなくもない。そういう意味では我々にも働く意志はある、ということになるのかもしれんがね。
そこまで云ってオッサンが俺の方を向いた瞬間、ドンと音がして、オッサンの体はハンチング帽もろとも(顔はニヤニヤ笑いのまま)宙に舞う。横断歩道で車に撥ねられたオッサンは、交差点の真ん中に落ち、そのままぴくりとも動かない。
毎回だ。職安まであと少しのこの横断歩道を歩く度に、ニヤニヤ笑いのハンチング帽のオッサンが現れては俺に同じことを話しかけ、横断歩道のこの同じ場所で、見えない車に撥ねられる。
俺は横断歩道を渡り切り、振り返って、交差点の真ん中に横たわるオッサンの上を無数の車が走り抜けて行くのを見る。オッサンの姿はもう消えかかっている。横断歩道に落ちたハンチング帽はとっくの昔に消えている。