「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年3月15日金曜日
7-5:連絡が取れていない人たち
昔のラリーカーのフォグランプのような五つ目のギニグが、振り返って、テレビを指差した。昨夜どこかでおきた火事のニュースで、アナウンサーは、警察はこの家に住む4人と連絡が取れていません、と言った。
「ホラ、おかしいだろう?」
確かにオカシナ話だ、とコドモは思った。夜に自分の家が火事になって、それで気がつかない人間はいないはずだ。もしもたまたま、4人揃ってその時刻に外食していたとしても、食事が終わって家に帰って来れば気づくはずだし、もっと運悪く家族旅行で遠くにいたとしても、親戚や近所の人や職場の誰かが、行き先なり居場所なりを知っていそうなものだ。なにより、テレビのニュースになっているのだ、とコドモは思った。自分の家族なら、ニュースで自分の家が火事で焼けたのを見たら、すぐに自分の方から、警察なり消防なりに連絡を取るだろう。それが、まだ連絡が取れないって、どういうことなのだ? よっぽどノンキなのか、警察の電話番号を知らないのか、イマドキ、電話も持っていないのか? それともテレビを見ていないか、見ない4人なのか?
そこまで考えて、コドモはふと気づいた。
もしかしたらテレビの見られないトコロにいるのか?
ギニグは頭のエグゾーストパイプから、煤混じりの空気をゆっくりと排気しながら、「まあ、テレビの見られない場所にいるんだろう」と答えた。
確かに、ものすごい山奥のオンセンとか、アマゾンのジャングルとか、ムジントーとかでは、テレビは見られないかもしれない。ガイコクということもある。ガイコクでは、このニュースは見られないだろう。なるほど。と納得しかけたコドモは、いや待て、と思い直した。今はネットの時代で、世界中どこにいても、どこのジョーホーも手に入る。確かにテレビを見る人は減ったけど、ジョーホーへのアクセスはむしろ増えた。無駄に増えた。となると、連絡の取れない4人というのは、ネット接続不可能なトコロにいるということなのか? しかし、そんなトコロが今この惑星上に存在するのだろうか?
「今や、世界の屋根ヒマラヤや、宇宙に浮かぶ国際宇宙ステーションでさえ、ネット接続はできるからな」と、ギニグ。
そうなのだ。現に、無重力空間でくるくる回る宇宙飛行士のオジサンを、コドモはネット経由で見たことがある。では、連絡の取れない4人は、一体今、どこにいるのか?
ギニグは膝を抱えて「不漁を憂う全さんま」のニュースを見ている。