「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年3月22日金曜日
7-7:なぜこのカタチなのか
小学生になれば自然と分かるものだと思っていたが、そうではなかった。すなわち、コドモがしばらく前からアタマを悩ませている「なぜ、男にはあって、女にはないのか問題」である。周りのオトナは、生まれた赤ん坊が男か女が、医者や看護婦やサンバや親に、すぐに分かるようにするためだ、と、答えた。7つ目のギニグは、コドモから、そのオトナのコタエを聞いて、動かない口でボボボボと笑った。コドモも苦笑した。
「そんなバカな話があるものか。ネコにだって同じようなものはあるが、ネコには医者も看護婦もサンバもいないし、ネコは、生まれた子供のオスメスなんか気にしない。他の動物だってそうだ」
7つ目のギニグは、上に3つ、下に4つ並んだ目玉をキラキラさせてコドモに言った。コドモはその意見に同意し、さらに一歩進んだ。百歩譲ってアレのあるなしがオスメス判別用だとして、では、なぜあのカタチで、あの場所でなければならないのか? オスメス判別のためだけなら、アタマのてっぺんのツノでもいいはずだ。
「その通り!」
ギニグの賛意に後押しされて、コドモは、オトナにその一歩進んだギモンをぶつけてみた。オトナは、ニヤニヤ笑って、オトナになれば分かると答えた。それを聞いたギニグは「順番が逆」とコドモに耳打ちし、コドモはオトナにそれをそのまま言った。オトナは今度は黙って、何も答えなかった。
ギニグとコドモは堤防まで歩いてそこに座った。ギニグは、学生服のポケットから煙草を取り出し、動かない口に差し込んで火をつけた。
「オトナになれば自然と分かることなんて高が知れてるが、オトナになって自然と分かる知識だけで、大抵の人間はオナカいっぱいさ。だから、大抵の人間はオトナになっても、人間の外の世界について殆ど何も知らない。ネコやスズメやワラジムシが、自分たちの世界の外を何も知らないのと、全く同じだ。しかし彼は違う」
コドモは、ギニグの視線の先を見た。堤防の先っちょで年寄りが魚を釣っている。ジモトで有名な、引退した漁師で、今日も入れ食いだ。達人の足元にはバケツが二つあり、釣り上げた魚をオスメスで分けていた。それぞれのバケツの透明な水の中で釣られた魚たちがゆらゆら呑気に泳いでいる。コドモには、どちらのバケツの魚がオスで、どちらのバケツの魚がメスだか見分けがつかなかったが、達人は魚を釣り上げると、なんのタメライもなく、どちらかのバケツにちゃぽんと放り込む。