「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年3月18日月曜日
■「お菓子はいらない。オマケだけが欲しい」
「生命現象」からみれば「知性現象」は「副産物/便利な道具」に過ぎない。一方で、人間からすれば「知性現象」こそが本質で、「生命現象」は「器(容れ物)」でしかない。しかも、その器には耐用年数があり、いずれ必ず漏れ始め、遂には粉々になる。しかし、耐用年数があることは生命現象のソモソモの「仕様」であり、生命現象自体はこの点を問題にしない。むしろ、この仕様があるからこそ、さまざまな生命活動が生まれる。これを悩むのは人間だけだ。
現在の地球上の生き物の中で、人間だけが、生命現象ではなく、知性現象に軸足を置いている。しかし、物理現象から見た場合、人間の実態は依然として生命現象そのものであり、それゆえに、知性現象は単なる「オマケ」にすぎないのだが、人間の「ツモリ」は「知性現象こそが人間」なのだから、人間が「悩み多き存在」なのは当然である。人間はまだ、「お菓子はいらない。オマケだけが欲しい」と駄々をこねる子供。
2019/03/06 アナトー・シキソ