「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年3月23日土曜日
7-8:フクタローさんとその娘
コドモが熱を出すと、親は「フクタローさんに行くか?」と言う。コドモが腹が痛いと言っても「フクタローさんのところに行け」と言う。コドモがイウコトヲキカナイない時には「フクタローさんに注射してもらう」と言う。
フクタローさんは、村でただ一人の医師だが、背が高く、しかし、首の後ろで見えない米俵を担いでいるみたいに体は曲がっていて、中華饅頭のような顔に、いわゆる瓶底眼鏡をかけ、ハゲ頭で、村の言葉とは全く違う訛りで喋る、コドモにとっては、ただの怪人だった。
怪人のアジトは、採石場の地下や森の奥ではなく、コドモの家から歩いて5分の村の真ん中にあった。村ではダントツに広い敷地に、診療所と住宅を背中合わせに建てたオヤシキだ。コドモは、住宅の方に行ったことはなかったが、診療所には何回も連れて行かれた。変な道具と妙なクスリでいっぱいの棚が並び、嗅ぎなれないニオイのする薄暗い平屋の建物で、タタズマイはまさにホンモノ。
更にそこには、怪人に甲斐甲斐しく仕える魔女がいた。魔女は看護婦で、薬剤師で、受付係で、実は(と言っても、別に隠してたわけではない)怪人のひとり娘だった。コドモはもう忘れたが、魔女は極ありふれた「ホニャ子さん(サチ子さんとかヨシ子さんとか)」と呼ばれていた。「ホニャ子さん」が魔女の理由は「ちゃんと」喋れなかったからだ。ちゃんと喋れなかったのは「ホニャ子さん」には、舌の前半分がなかったからだ。事故か病気か糊を舐めたせいかコドモは知らない。ホニャ子さんの喋る言葉は、だから、究極の「舌足らず」で、コドモには「AWAW」としか聞こえない。その上、どうしても唾液が口から漏れ出しがちになり(舌の表面積が少ないせいだ)、途中に何度も「C」という唾液の吸引音が挟まる。このように、コドモには全く理解不能のホニャ子さんの「AWAW-C」語をオトナはちゃんと聞き取っていて、コドモをしきりと関心させた。
村の言葉と全く違う訛りで喋る怪人が注射器を構え、「AWAW-C」語の魔女が受付の小窓から顔を出す診療所は、コドモにとってはまさに異界ではあったが、だからこそ、ビョーキに打ち勝つ、いわゆる「パワースポット」でもあった。
「昔の中国の『五毒』もそうだが、猛烈な毒は、それ以上に猛烈な毒で打ち負かせるというのは、ヒトにありがちな幼児的発想だよ」と、待合室の長椅子で学研の科学を読みながら8つ目のギニグがコドモに言った。