2019年3月23日土曜日

現の虚 2014-9-2【場の記憶】


人間が死んで霊魂が死後の世界に行くとか、ヤレ輪廻転生して生まれかわるとか、そういうことはないね。だいたいさ、死後の世界だなんて、バカバカしくて笑っちゃうよ。

と云い切るのは死神B。顔面に包帯をグルグル巻きにして丸い緑色サングラスを掛けた、透明人間かミイラ男のようなイデタチ。ひょろ長い体を場末の喫茶店の狭い席に片づけて、包帯の隙間から器用にブラック珈琲を啜る。

死神Bは俺のために持って来たという義手を紙袋から取り出し、テーブルの上に置いた。それは義手というより、誰かの腕から今切り落とされたばかりのナマの人間の手そのものだった。いや。人間の手の形をした生き物か。手はテーブルの上でモゾモゾ動いて、触ると生き物みたいに温かかった。

付けたら付くよ、と死神B。俺はモゾモゾ動く手を俺の右手首にくっ付けた。付いた。一瞬背中がゾクゾクッとしたと思ったら、もう自分の手のように自由に動かせる。便利だよねえ、と死神B。便利だなあ、と俺。さっそくその右手で珈琲カップを掴んで珈琲を飲んだ。何の不都合も違和感もない。

じゃあ僕が除染してる霊魂と呼ぶあの連中はなんだ、と君は訊くだろうね、と死神Bは話を戻し、俺は頷く。右手を失って以来ずっと目撃し続けている、あの、明らかに死んだ人間の霊魂のような幽霊のような連中はなんだと云うのか。あれこそまさに死後の人間そのものじゃないか。

死神Bは首を振る。

便宜的に霊魂とか幽霊とか呼んでるけど、アレは記憶とか思いと呼んだ方が実態に近い。英語で云えばメモリーだけど、思い出と訳すと感傷的すぎる。もっと工学的なイメージ。問題は誰にとっての記憶かということだけど、実は死んだ人間のじゃない。場(ば)の記憶なんだ。

場ってなんだ、と俺。

場というの英語で云えばフィールド。古い概念で云えば時空間のことさ。かつて存在した人間によって生み出された場の揺らぎがその場に留まっている状態が場の記憶で、つまり、君が見て来たいわゆる幽霊たちだ。けど、連中はかつて存在した人間の成れの果てじゃないよ。布団に残るぬくもりは今までそこに寝ていた人間をイメージさせるけど、布団に残るぬくもりは絶対に幽霊じゃないだろ。それと同じ。

そうなのか、と俺。ウソだよ、と死神B。包帯の下でニヤっと笑って珈琲を啜る。君って何でも簡単に信じるよねえ。ま、連中の正体が何であるにせよ、君には連中が見える。それが君にとっての事実の全てさ。